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世界史

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北アジアの歴史【高校:世界史】

下に行くほど歴史的に新しい出来事です。

冒頓単于(ぼくとつぜんう)
冒頓単于(ぼくとつぜんう)

? - 前174年

前3世紀末に匈奴の冒頓単于が北アジアを統一した。

匈奴(きょうど)
匈奴(きょうど)

前3世紀末から後1世紀末にかけて、モンゴル高原を中心に活躍した遊牧騎馬民族。


ウイグル
ウイグル

遊牧民。

8世紀、北アジアで有力になり、744年にモンゴル高原を制圧した。

作った帝国は9世紀半ばに崩壊した。

イヴァン3世
イヴァン3世

1440年 - 1505年

モスクワ大公(在位:1462年 - 1505年)。

ツァーリ(皇帝)の称号を初めて用いた。


ツァーリ
ツァーリ

ロシアで使用される皇帝の称号。

イヴァン3世が初めて用いた。

ロマノフ朝(ロマノフちょう)
ロマノフ朝(ロマノフちょう)

1613年 - 1917年

ミハイル=ロマノフが開いたロシアの王朝。


ミハイル=ロマノフ
ミハイル=ロマノフ

1596年 - 1645年

ロマノフ朝初代皇帝(在位:1613年 - 1645年)。

コサック
コサック

15世紀にウクライナ地方に流入・定着した、騎馬や銃で武装し、自治的な集団を形成したスラヴ系を中心とする多様な人びと。

次第にロシアの保護下に入ったが。1670年にステンカ=ラージンが反乱を起こしている。


ステンカ=ラージン
ステンカ=ラージン

1630年頃 - 1671年

コサックらを率いてロシアに反乱を起こした。鎮圧された。

ピョートル1世(ピョートルいっせい)
ピョートル1世(ピョートルいっせい)

1672年 - 1725年

ロシア皇帝(在位:1682年 - 1725年)。

西ヨーロッパの視察を行って近代化に努めた。

北方戦争でスウェーデンに勝利し、バルト海まで領土を拡大し、ペテルブルクを建設した。


ネルチンスク条約
ネルチンスク条約

1689年

清とロシアとの間に結ばれた条約。

清に有利な国境が定まり、通商などの規定も設けられた。

北方戦争(ほっぽうせんそう)
北方戦争(ほっぽうせんそう)

1700年~1721年

バルト海を抑えるスウェーデンに対し、ロシアがポーランド、デンマークと同盟を結んで起こした戦い。スウェーデンは敗れた。


北方戦争でピョートル1世がスウェーデンを破る(ほっぽうせんそうでピョートルいっせいがスウェーデンをやぶる)
北方戦争でピョートル1世がスウェーデンを破る(ほっぽうせんそうでピョートルいっせいがスウェーデンをやぶる)

北方戦争でロシア皇帝のピョートル1世がスウェーデンを破る。

ペテルブルク
ペテルブルク

ピョートル1世が北方戦争でスウェーデンを破ってバルト海まで領土を拡大して建設した都。

「西欧への窓」と呼ばれる。


エカチェリーナ2世(エカチェリーナにせい)
エカチェリーナ2世(エカチェリーナにせい)

1729年 - 1796年

ロシア皇帝(在位:1762年 - 1796年)。女帝。

18世紀後半にオスマン帝国と戦ってクリミア半島を獲得した。

コサックの自治を廃止し、ロシアへの併合を進めた。

啓蒙専制君主として知られるが、プガチョフの農民反乱後は貴族を優遇し農奴制を強化するなど反動化した。

1792年にラクスマンを日本に派遣した。

啓蒙専制君主(けいもうせんせいくんしゅ)
啓蒙専制君主(けいもうせんせいくんしゅ)

上からの近代化を目指した専制君主のこと。

エカチェリーナ2世は啓蒙専制君主として知られる。


プガチョフの農民反乱(プガチョフののうみんはんらん)
プガチョフの農民反乱(プガチョフののうみんはんらん)

1773年 - 1775年

ロシアで、農奴制の廃止を目指して農民らが起こした反乱。

鎮圧された。

クリム=ハン国(クリム=ハンこく)
クリム=ハン国(クリム=ハンこく)

1430年頃 - 1783年

オスマン帝国の宗主権下でクリミア半島を支配した、キプチャク=ハン国の流れをくむ国。

ロシアのエカチェリーナ2世に併合されることで滅んだ。


クリミア半島(クリミアはんとう)
クリミア半島(クリミアはんとう)

エカチェリーナ2世はクリミア半島を獲得した。

ラクスマン
ラクスマン

1766年 - 1796年以後

1792年にエカチェリーナ2世によって派遣された初の訪日ロシア使節。

北海道の根室を訪れ通交を求めたが失敗した。


アレクサンドル1世
アレクサンドル1世

1777年 - 1825年

ロシア皇帝(在位:1801年 - 1825年)。

アレクサンドル1世の呼びかけにより神聖同盟が結成された。

神聖同盟
神聖同盟

1815年

ロシア皇帝アレクサンドル1世の呼びかけにより、キリスト教精神に立つ神聖同盟が結成され、ヨーロッパの大多数の君主が参加したが、イギリス王、オスマン帝国皇帝、ローマ教皇は参加しなかった。


デカブリストの乱
デカブリストの乱

1825年

ロシアで自由主義的な士官らが起こした蜂起。

鎮圧された。

ニコライ1世
ニコライ1世

1796年 - 1855年

ロシア皇帝(在位:1825年 - 1855年)。

即位日にデカブリストの乱を鎮圧。

1853年にクリミア戦争を開始するが、急死した。

アレクサンドル2世
アレクサンドル2世

1818年 - 1881年

ロシア皇帝(在位:1855年 - 1881年)。

クリミア戦争中に即位し、戦争に敗北した。

農奴解放を宣言し、近代化改革に着手したが、次第に反動化し、ナロードニキの一派に暗殺された。

クリミア戦争
クリミア戦争

1853年 - 1856年

ニコライ1世がクリミア半島を主戦場としてオスマン帝国と戦端を開いた戦い。

ロシアと、トルコ・イギリス・フランス・サルデーニャ連合軍が戦った。

ニコライ1世の急死により、アレクサンドル2世が引き継いだが敗北した。


アイグン条約
アイグン条約

1858年

ロシアと清の国境に関する条約。

アロー戦争を利用してロシアが清に圧力をかけて結んだ。

アメリカがロシアからアラスカを買収する
アメリカがロシアからアラスカを買収する

1867年

ロシア領だったアラスカをアメリカが買収した。

直後にアラスカで金鉱が発見された。


ヒヴァ=ハン国(ヒヴァ=ハンこく)
ヒヴァ=ハン国(ヒヴァ=ハンこく)

1512年 - 1920年

中央アジアに栄えたイスラム王朝。

1873年にロシアの保護国となった。

ナロードニキ
ナロードニキ

「ヴ=ナロード(人民の中へ)」を唱えるロシアの思想家、運動家。

ナロードニキの一派がアレクサンドル2世を暗殺した。


アレクサンドル2世の暗殺
アレクサンドル2世の暗殺

1881年

ナロードニキの一派がアレクサンドル2世を暗殺した。

ウィッテ
ウィッテ

1849年 - 1915年

ロシアの蔵相(在任:1892年 - 1903年)。

日清戦争に勝利した日本に対し、ニコライ2世の下で三国干渉を主導した。


ニコライ2世
ニコライ2世

1868年 - 1918年

最後のロシア皇帝(在位:1894年 - 1917年)。

日露戦争中に発生した第一次ロシア革命に対し、十月宣言を出した。

ニコライ2世が退位し、ロマノフ朝が滅亡した。

三国干渉(さんごくかんしょう)
三国干渉(さんごくかんしょう)

1895年

下関条約で日本が遼東半島を獲得したことに対し、ロシアがドイツ、フランスとともに干渉し、遼東半島の返還を要求したもの。

日本はこれを受け入れ、代わりに3000万両を得た。


日露戦争(にちろせんそう)
日露戦争(にちろせんそう)

1904年 - 1905年

三国干渉によって日露関係は悪化し、やがて日本とロシアの間で日露戦争が始まった。

日本は旅順を陥落させるなど日本優位に進み、講和条約としてポーツマス条約が結ばれた。

ガポン
ガポン

1870年 - 1906年

司祭。

日露戦争中の1905年に、ロシアの首都ペテルブルクで労働者、民衆を率いて民主化と戦争中止のための請願書を皇帝へ渡すべく冬宮(王宮)へ向かって行進した。

これに軍隊が発砲して多数の死者が出た(血の日曜日事件)。


血の日曜日事件
血の日曜日事件

1905年

ガポンに率いられて民主化と戦争中止を掲げてデモを行っていた労働者・民衆に対し、軍隊が発砲して多数の死者が出た事件。

第一次ロシア革命
第一次ロシア革命

1905年

日露戦争中のロマノフ朝ロシアで起きた革命。

これに対しニコライ2世は十月宣言を出した。


ソヴィエト
ソヴィエト

第1次ロシア革命の際に発足した、選挙に基づく労働者の自治組織。

ポーツマス条約
ポーツマス条約

1905年

アメリカ合衆国大統領セオドア=ローズヴェルトの仲介によって締結された日露戦争の講和条約。

講和会議においてはウィッテがロシアの全権代表をつとめた。


十月宣言(じゅうがつせんげん)
十月宣言(じゅうがつせんげん)

1905年

第一次ロシア革命に際して、革命運動を鎮圧するためにニコライ2世がポーツマス条約の締結直後に出したドゥーマ(国会)開設など政治的譲歩を公約した宣言。

ドゥーマ
ドゥーマ

第1次ロシア革命後、十月宣言の公約通りに開設されたロシアの国会。


ストルイピン
ストルイピン

1862年 - 1911年

ロシア首相(在任:1906年 - 1911年)。

ミール解体など改革を進めたが暗殺された。

第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)
第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)

1914年 - 1918年

バルカン半島のサライェヴォでセルビア人の民族主義者によってオーストリア帝位継承者が暗殺されたことに端を発するヨーロッパを中心に起こった世界戦争。

協商国27か国と同盟国4か国が戦った。

総力戦となった。

女性も軍需工業に動員されて戦争遂行を支えた。

国家が統制経済で負担や義務を課すと、女性はそれに見合う参政権拡大を求める声を高めた。

大戦中に革命がおこったロシアでは、社会主義政権のもとで女性参政権が実現した。


第一次世界大戦の協商国(だいいちじせかいたいせんのきょうしょうこく)
第一次世界大戦の協商国(だいいちじせかいたいせんのきょうしょうこく)

イギリス・フランス・ロシア・セルビア・モンテネグロ・日本・イタリア・ルーマニア・ポルトガル・アメリカ合衆国・中国・ギリシアなど27か国。

第一次世界大戦で同盟国と敵対し、勝利した。

協商国のことは連合国ともいう。

第一次世界大戦の同盟国(だいいちじせかいたいせんのどうめいこく)
第一次世界大戦の同盟国(だいいちじせかいたいせんのどうめいこく)

ドイツ・オーストリア・オスマン帝国・ブルガリア王国の4カ国。

第一次世界大戦で協商国と敵対し、敗れた。


サイクス=ピコ協定(サイクス=ピコきょうてい)
サイクス=ピコ協定(サイクス=ピコきょうてい)

1916年

戦後のオスマン帝国領を分割するために、イギリス・フランス・ロシアが各国の勢力範囲を定めた秘密の取り決め。

フセイン・マクマホン協定と矛盾する。

ロシア二月革命(ロシアにがつかくめい)
ロシア二月革命(ロシアにがつかくめい)

1917年

ロシアではデモやストライキが拡大し、ドゥーマでは臨時政府を樹立する動きが始まり、労働者や兵士のソヴィエトへの組織化が進んだ。

やがてソヴィエトの承認を得て臨時政府が立ち上がる。

ニコライ2世は譲位を迫られ、後継皇帝候補を指名したものの、候補者が固辞したため、3月(ロシア暦では2月)にロマノフ朝ロシアは滅亡した。

これがロシア二月革命である。三月革命ともいう。


臨時政府(りんじせいふ)
臨時政府(りんじせいふ)

1917年

二月革命から十月革命までのロシアの政府。

十月革命によって倒された。

レーニン
レーニン

1870年 - 1924年

ボリシェヴィキの指導者。

三月革命の報を亡命先のスイスで聞き、ロシアへ帰国。

帰国したレーニンはソヴィエトへの全権力の集中などを訴えた四月テーゼをボリシェヴィキの党会議へ提案。十一月革命に至ることになり、社会主義政権を樹立した。

「平和に関する布告」を起草した。


ボリシェヴィキ
ボリシェヴィキ

ロシア語で「多数派」を意味する。

ロシア社会民主労働党の左派。

レーニンが率いた。

四月テーゼ
四月テーゼ

1917年

4月にレーニンが提案したボリシェヴィキの革命戦略要綱。

内容は、臨時政府の否定、ソヴィエトへの全権力の集中など。


ケレンスキー
ケレンスキー

1881年 - 1970年

社会革命党の政治家。

臨時政府の首相となる。

十月革命後に反革命軍を組織したが失敗して亡命した。

ロシア十月革命
ロシア十月革命

1917年

11月(ロシア暦では10月)にレーニンが臨時政府を倒した。

十一月革命ともいう。


ロシア革命(ロシアかくめい)
ロシア革命(ロシアかくめい)

1917年

第一次世界大戦中に二月革命と十月革命からなるロシア革命が起き、帝政ロシアが崩壊して世界初の社会主義国家が成立した。

平和に関する布告
平和に関する布告

1917年

レーニンが起草したもの。

無併合・無償金・民族自決を訴えた。


土地に関する布告
土地に関する布告

1917年

レーニンが起草し、「平和に関する布告」と同時に採択されたもの。

地主の所有地を無償で即時没収すること、土地の私的所有を廃止することを宣言した。

ソビエト連邦(ソビエトれんぽう)
ソビエト連邦(ソビエトれんぽう)

1917年に革命によって作られ、1922年に正式に成立した多民族国家。

ソ連とも呼ばれる。


赤軍(せきぐん)
赤軍(せきぐん)

1918年 - 1946年の間のソ連軍の呼称。

コミンテルン
コミンテルン

1919年

モスクワでレーニンが設立した共産主義による世界革命を目ざす国際組織。

「第3インターナショナル」ともいう。


トロツキー
トロツキー

1879年 - 1940年

ソヴィエト政備で赤軍の創設に関わり、世界革命論を主張してレーニン死後の権力闘争に敗れ、メキシコで暗殺された人。

スターリン
スターリン

1879年 - 1953年

1930年代にソヴィエト連那で独裁的な権力を握り、ウクライナに対しても大規模な粛清を行った人。


一国社会主義論(いっこくしゃかいしゅぎろん)
一国社会主義論(いっこくしゃかいしゅぎろん)

スターリンが主張した論。

トロツキーらが先進国の革命の必要を主張したのに対し、後進国のソ連1国だけでも社会主義建設は可能であるとした。

第二次世界大戦(だいにじせかいたいせん)
第二次世界大戦(だいにじせかいたいせん)

1939年 - 1945年

ドイツ、日本、イタリアの日独伊三国同盟を中心とする枢軸国陣営と、イギリス、ソビエト連邦、アメリカ 、などの連合国陣営との間で戦われた全世界的規模の巨大戦争。人類史上最大の大戦争。連合国側が勝利した。


バルト三国併合(バルトさんごくへいごう)
バルト三国併合(バルトさんごくへいごう)

1940年

第二次世界大戦中、ソ連はエストニア、ラトヴィア、リトアニアのバルト三国を併合した。

武器貸与方(ぶきたいよほう)
武器貸与方(ぶきたいよほう)

1941年に制定したアメリカの法律。

連合国に対する軍需品の供給を定めたもの。

第二次世界大戦の時期にイギリス、フランス、ソ連、中華民国などに対して武器貸与法を適用した。


スターリングラードの戦い(スターリングラードのたたかい)
スターリングラードの戦い(スターリングラードのたたかい)

1942年 - 1943年

ドイツとソ連の戦い。

ソ連が勝った。

ソビエト連邦(ソビエトれんぽう)
ソビエト連邦(ソビエトれんぽう)

ソ連とも呼ばれる。

第二次世界大戦後、東欧の大部分を影響下においた。


冷戦(れいせん)
冷戦(れいせん)

第二次世界大戦末期から1989年のマルタ会談まで、アメリカ合衆国を中心とする西側陣営と、ソ連を中心とする東側陣営に分かれて対立したこと。

ポツダム会談(ポツダムかいだん)
ポツダム会談(ポツダムかいだん)

1945年

7月~8月、ドイツのベルリン近くのポツダムで、アメリカのトルーマン、イギリスのチャーチル、ソ連のスターリンが参加した首脳会談。

ドイツの戦後処理、日本の幸福条件や戦後処理を話し合った。


サンフランシスコ会議(サンフランシスコかいぎ)
サンフランシスコ会議(サンフランシスコかいぎ)

1945年

国際連合憲章を採択した。

国際連合憲章(こくさいれんごうけんしょう)
国際連合憲章(こくさいれんごうけんしょう)

1945年

国際連合の基本原則と基本組織を定めた。


国際連合(こくさいれんごう)
国際連合(こくさいれんごう)

1945年

10月に発足した国際平和機構。

本部はニューヨーク。

当初、常任理事国はアメリカ合衆国、イギリス、フランス、ソビエト連邦、中華民国の5か国。

コミンフォルム
コミンフォルム

1947年設立された、ソ連を始めとするヨーロッパ9カ国の共産党が創立した情報交換などのための機関。


コミンフォルムのユーゴスラヴィア除名
コミンフォルムのユーゴスラヴィア除名

1948年

ソ連は独自路線を取るユーゴスラヴィアをコミンフォルムから除名した。

ユーゴスラヴィア
ユーゴスラヴィア

1929年 - 2006年

バルカン半島北西部にあった連邦共和国。

社会主義国だが、ソ連と別れて独自路線をとった。


コメコン
コメコン

COMECON(Council for Mutual Economic Assistance)経済相互援助会議。

1949年、ソ連が中心となって東欧諸国との経済連携を目指して組織した。

スターリンの死
スターリンの死

1953年

スターリンが亡くなった。


フルシチョフ
フルシチョフ

1894年 - 1971年

ソビエト連邦の共産党第一書記(在任:1953年 - 1964年)。

スターリンを批判し、平和共存政策を打ち出す。これにより「雪どけ」と呼ばれる緊張緩和が進んだ。

1960年代、キューバへのミサイル配備を巡って米ソは一触即発の状態になった。

ワルシャワ条約機構(ワルシャワじょうやくきこう)
ワルシャワ条約機構(ワルシャワじょうやくきこう)

1955年設立。

ソ連を盟主として東ヨーロッパ諸国が結成した軍事同盟。

西側陣営に対抗した。


スターリン批判(スターリンひはん)
スターリン批判(スターリンひはん)

1956年

スターリンの死後、ソ連で、スターリンの独裁と大量粛清に対して批判が表面化した。

ポーランド反政府反ソ暴動(ポーランドはんせいふはんソぼうどう)
ポーランド反政府反ソ暴動(ポーランドはんせいふはんソぼうどう)

1956年

待遇改善を要求する労働者と、民主化を要求する学生がポーランドのポズナニで起こした運動。

ソ連の軍事介入を回避するためポーランド政府自ら鎮圧した。

ポズナニ暴動ともいう。


キューバ危機(キューバきき)
キューバ危機(キューバきき)

1962年

キューバへのミサイル配備をめぐってアメリカとソビエト連邦が一触即発の状態になった危機。

ソ連のフルシチョフがミサイルを撤去し、戦争は回避された。

ブレジネフ
ブレジネフ

1906年 - 1982年

ソビエト連邦第5代最高指導者(任期:1964年 - 1982年)。

1964年のフルシチョフ解任後、ソ連共産党第一書記に就任した。


核拡散防止条約(かくかくさんぼうしじょうやく)
核拡散防止条約(かくかくさんぼうしじょうやく)

1968年

1968年時点で核を保有する米国、ソ連、英国、フランス、中国の5カ国以外による核保有を禁止する条約。

「NPT」とも呼ばれる。

第二次戦略兵器制限交渉(だいにじせんりゃくへいきせいげんこうしょう)
第二次戦略兵器制限交渉(だいにじせんりゃくへいきせいげんこうしょう)

核兵器の性能向上にともなって1970年代を通じておこなわれた米ソ間の軍縮交渉。

妥結の半年後にソ連がアフガニスタンに侵攻したためアメリカが批准しなかった。


チェルノブイリ原子力発電所事故(チェルノブイリげんしりょくはつでんしょじこ)
チェルノブイリ原子力発電所事故(チェルノブイリげんしりょくはつでんしょじこ)

1986年

ソ連のチェルノブイリ原子力発電所で起きた事故。

年号の覚え方は「行く(19)のは(8)無(6)理よ、チェルノブイリ原子力発電所事故発生」です。

ゴルバチョフ
ゴルバチョフ

1931年 -

ソ連共産党最後の書記長(在任:1985年 - 1991年)。

ソ連唯一の大統領(在任:1990年 - 1991年)。

「新思考外交」を掲げて軍縮やアメリカ合衆国などとの協調路線を進めた。

ソ連経済の再建に取り組んだ。

マルタ会談で冷戦終結の声明を出した。


グラスノスチ
グラスノスチ

ゴルバチョフが推進した言論の自由化。

新思考外交(しんしこうがいこう)
新思考外交(しんしこうがいこう)

ゴルバチョフによる協調外交。


ソ連がアフガニスタンから撤退する
ソ連がアフガニスタンから撤退する

1989年

ソ連が、ゴルバチョフ政権下で、アフガニスタンから撤退した。

マルタ会談(マルタかいだん)
マルタ会談(マルタかいだん)

1989年

米ソ首脳会談。

冷戦終結の声明が出された。


ソ連のクーデタ(ソれんのクーデタ)
ソ連のクーデタ(ソれんのクーデタ)

1991年

共産党保守派がソ連でクーデタを起こしたが、エリツィンら急進改革派はこれを鎮圧した。

エリツィン
エリツィン

1931年 - 2007年

ロシア連邦の政治家。および初代大統領(在任:1991年 - 1999年)。


チェチェン紛争
チェチェン紛争

1994年

チェチェン共和国のロシア連邦からの独立を巡る紛争。

1996年まで続いたが鎮圧された。

1999年から2009年に2回目の紛争が起きたが、こちらも制圧された。

年号の覚え方は「いく(19)ぞ、ク(9)ソ死(4)ね、チェチェン紛争」です。

プーチン
プーチン

1952年 -

ロシア連邦の大統領(在任:2000年 - 2008年、2012年 - )。

2008年で一度任期を満了し、2012年から再び大統領となった。


メドヴェージェフ
メドヴェージェフ

1965年 -

ロシア連邦の第3代大統領(在任:2008年 - 2012年)。

2008年、プーチンの後に大統領となり、2012年にプーチンが大統領に復帰してからは首相となった。