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世界史

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西アジア・中東の歴史【高校:世界史】

下に行くほど歴史的に新しい出来事です。

農耕(のうこう)
農耕(のうこう)

田畑を耕して作物を作ること。

西アジアで最初に農耕が開始されたのは約9000年前であったと考えられている。

牧畜(ぼくちく)
牧畜(ぼくちく)

山羊・羊などを飼育し繁殖させ、その肉や乳などを得ること。

農耕とほぼ同じ頃に出現した別の食料生産手段。


メソポタミア
メソポタミア

チグリス川とユーフラテス川の流域一帯のこと。

「古代メソポタミア」はメソポタミアに生まれた複数の文明を総称する呼び名。

文明初期の中心はシュメール人。

神権政治が行われた。

神権政治
神権政治

神や宗教の権威によって統治する政治体制のこと。


ジッグラト
ジッグラト

古代メソポタミアの都市国家で主神をまつるために建てられた多層の塔。

シュメール
シュメール

紀元前3500年頃 - 紀元前2004年頃

チグリス川とユーフラテス川の間に栄えた最古の都市文明。


ギルガメシュ叙事詩(ギルガメシュじょじし)
ギルガメシュ叙事詩(ギルガメシュじょじし)

古代シュメールで成立した叙事詩。

古代エジプト(こだいエジプト)
古代エジプト(こだいエジプト)

紀元前3000年頃 - 紀元前30年

古代のエジプトに対する呼称。

太陽暦が用いられた。

神権政治が行われた。


ファラオ
ファラオ

エジプトの王のこと。

太陽神ラーの化身として崇められた。

ラー
ラー

エジプト神話における太陽神のこと。


エジプトの農法(エジプトののうほう)
エジプトの農法(エジプトののうほう)

ナイル川が上流域の降雨によって定期的に増水・氾濫するため、上流から運ばれる肥沃な土壌を利用した農業生産が下流の平地で行われた。

太陽暦(たいようれき)
太陽暦(たいようれき)

エジプトの農法との関連で生まれた暦。

古代エジプトで用いられた。


ミイラ
ミイラ

エジプト人は霊魂不滅を信じて遺体をミイラにして「死者の書」とともに埋葬した。

死者の書(ししゃのしょ)
死者の書(ししゃのしょ)

古代エジプトで成立した葬礼文書。


アッシリア
アッシリア

紀元前3000年ごろから栄えた王国。

前8世紀から首都ニネヴェ。

騎兵を編成し、前7世紀にはオリエントの大部分を統一した。

前612年滅亡。

ニネヴェ
ニネヴェ

アッシリアの首都。


エジプト古王国(エジプトこおうこく)
エジプト古王国(エジプトこおうこく)

前27世紀 - 前22世紀

古代エジプトの時代区分。

第3~第6王朝。

ピラミッドが盛んにつくられた。

ピラミッド
ピラミッド

エジプトにある、王の権力を象徴する石造建築物。

古王国時代から建造された。


アッカド人
アッカド人

セム語系の人々。

シュメール人を征服して前24世紀ごろにメソポタミア初の統一国家を建てたが異民族の侵入で滅んだ。

メッカ
メッカ

サウジアラビアにあるイスラム教の聖地。

隊商交易で栄えた。

ここにカーバ神殿が造られた。


カーバ神殿(カーバしんでん)
カーバ神殿(カーバしんでん)

メッカでカーバ神殿が造られた。

エジプト中王国(エジプトちゅうおうこく)
エジプト中王国(エジプトちゅうおうこく)

前21世紀 - 前18世紀

古代エジプトの時代区分。

第11~12王朝。

首都テーベ。


ヒクソス
ヒクソス

エジプトに侵入した遊牧民。

エジプトに戦車を伝えた。

バビロン第1王朝(バビロンだいいちおうちょう)
バビロン第1王朝(バビロンだいいちおうちょう)

前1900年頃 - 前1600年頃

バビロンを首都とする王朝。

ヒッタイトに滅ぼされた。


ハンムラビ王(ハンムラビおう)
ハンムラビ王(ハンムラビおう)

バビロン第1王朝の6代目の王。

前18世紀頃に全メソポタミアを支配した。

バビロン
バビロン

ハンムラビ王が都としていた都市。


ヒッタイト
ヒッタイト

ハットゥシャを都とした王国。

二輪戦車や鉄製武器を使用した。

前16世紀にはバビロン第1王朝を滅ぼした。

エジプト新王国(エジプトしんおうこく)
エジプト新王国(エジプトしんおうこく)

前1567年 - 前1085年

古代エジプトの時代区分。

首都テーベ。

ヒクソスを追放した。

シリア地方にも進出した。


テーベ
テーベ

エジプト中王国・新王国時代の首都。

アメンホテプ4世
アメンホテプ4世

エジプト第18王朝の王(在位前1351年頃 - 前1334年頃)。

アトンを唯一神とする独自の一神教を創始した。

アメンホテプ4世の下でアマルナ美術が栄えた。


アトン
アトン

太陽神。

アメンホテプ4世の時代に唯一神とされた。

テル=エル=アマルナ
テル=エル=アマルナ

アメンホテプ4世が建設して遷都した都市。


アマルナ美術
アマルナ美術

アメンホテプ4世の下でアマルナ美術が栄えた。

ラメス2世(ラメスにせい)
ラメス2世(ラメスにせい)

?年 - ?年

エジプトの王。

紀元前13世紀にカデシュの戦いで隣国のヒッタイトと戦い、その後、平和同盟条約を結んだ。

これは世界最古の国際条約と言われる。


カデシュの戦い(カデシュのたたかい)
カデシュの戦い(カデシュのたたかい)

紀元前13世紀のエジプトのラメス2世とヒッタイトとの戦い。

引き分けに終わり、その後世界最古の国際条約である平和条約を結んだ。。

ユダヤ人
ユダヤ人

「イスラエル人」「ヘブライ人」とも呼ばれる。


モーセ
モーセ

前13世紀頃の預言者。

「出エジプト」の指導者。

出エジプト(しゅつエジプト)
出エジプト(しゅつエジプト)

モーセがエジプトで虐げられていたイスラエル人を率いてエジプトから脱出した事件。

モーセは彼らをパレスチナに導き、途上「十戒」を授けられた。


十戒(じっかい)
十戒(じっかい)

神がモーセに授けた10か条の戒め。

アラム人(アラムじん)
アラム人(アラムじん)

セム語系遊牧民。

前13世紀頃よりダマスクスを中心に内陸交易で活躍した。


ヘブライ人の王国(ヘブライじんのおうこく)
ヘブライ人の王国(ヘブライじんのおうこく)

出エジプトの後、ヘブライ人が建てた王国はダヴィデ王とソロモン王の時栄えたが、その後イスラエル王国とユダ王国に分裂した。

ダヴィデ
ダヴィデ

統一イスラエル王国第2代目の王(在位:前1000年頃 - 前960年頃)。


ソロモン
ソロモン

統一イスラエル王国第3代目の王(在位:前961年頃 - 前922年頃)。

イスラエル王国(イスラエルおうこく)
イスラエル王国(イスラエルおうこく)

ヘブライ人の王国が分裂してできた王国のひとつ。

アッシリアに征服され滅んだ。


ユダ王国(ユダおうこく)
ユダ王国(ユダおうこく)

ヘブライ人の王国が分裂してできた王国のひとつ。

新バビロニアに征服され滅んだ。

バビロン捕囚(バビロンほしゅう)
バビロン捕囚(バビロンほしゅう)

前586年

新バビロニアに征服されたユダ王国の住民の多くが都のバビロンに連れ去られたことを指していう。

この受難の中、ヘブライ人は唯一神ヤハウェへの信仰を強固にした。


新バビロニア(しんバビロニア)
新バビロニア(しんバビロニア)

前625年 - 前539年

バビロニアに建設された王国。

ユダ王国を滅ぼした。

アケメネス朝ペルシアに滅ぼされた。

ユダヤ教(ユダヤきょう)
ユダヤ教(ユダヤきょう)

アケメネス朝ペルシアは前539年に新バビロニアを滅ぼすと、前538年にユダヤ人のイェルサレムへの帰国を許した。

帰国後、ユダヤ人はゾロアスター教から影響を受けた最後の審判、および選民思想を特徴とし、唯一神ヤハウェを信仰する宗教「ユダヤ教」を確立した。


ヤハウェ
ヤハウェ

ユダヤ教の唯一神。

ユダヤ教は偶像崇拝を禁止しているので絵が描けないけれど。

旧約聖書(きゅうやくせいしょ)
旧約聖書(きゅうやくせいしょ)

ユダヤ教の聖典。

後にキリスト教が成立すると、キリスト教でも聖典とされた。


アケメネス朝ペルシア(アケメネスちょうペルシア)
アケメネス朝ペルシア(アケメネスちょうペルシア)

前550年 - 前330年

古代ペルシアの王朝。

宗教はゾロアスター教。

アレクサンドロス大王に滅ぼされた。

シャー
シャー

アケメネス朝ペルシアから始まるイランの伝統的王号。


ゾロアスター教(ゾロアスターきょう)
ゾロアスター教(ゾロアスターきょう)

火を崇拝する宗教。

アケメネス朝ペルシアで信仰された。

この世を善神アフラ=マズダと悪神アーリマンの戦いの場ととらえ、善き人々の霊魂は最後の審判によって天国に導かれると説いた。

この考え方は、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教などに影響を与えた。

アフラ=マズダ
アフラ=マズダ

ゾロアスター教の善神。


ダレイオス1世
ダレイオス1世

アケメネス朝第3代の王(在位:前522年 - 前486年)。

最大領土を築いた。

ペルシア戦争
ペルシア戦争

前500年 - 前449年

アケメネス朝ペルシアとギリシアの諸ポリスとの間の戦争。

アケメネス朝ペルシアの支配下にあったイオニア地方のポリスが反乱を起こしたのを、アテネなどが支援したことをきっかけにはじまった。

3回に渡るペルシアの侵攻があった。

ギリシア人が勝利した。


サラミスの海戦
サラミスの海戦

前480年

ギリシアがペルシアを破った戦い。

アレクサンドロス大王(アレクサンドロスだいおう)
アレクサンドロス大王(アレクサンドロスだいおう)

前356年 - 前323年

マケドニア王国国王(在位:前336年 - 前323年)。

前4世紀にアケメネス朝ペルシアを滅ぼした。


ダレイオス3世
ダレイオス3世

前380年頃 - 前330年

アケメネス朝ペルシア最後の王(在位:前336年 - 前330年)。

イッソスの戦いでアレクサンドロス軍に敗れた。

その後、暗殺され、アケメネス朝は滅んだ。

イッソスの戦い
イッソスの戦い

前333年

マケドニアのアレクサンドロス軍がアケメネス朝のダレイオス3世軍に勝利した戦い。


アレクサンドリア
アレクサンドリア

紀元前4世紀にエジプトに建設された、アレクサンドロス大王の名前を冠した都市。

この都市に開設されたアレクサンドリア図書館は名高く、膨大な蔵書を誇った。

ムセイオン
ムセイオン

アレクサンドリアに設置され、エラトステネスが館長を務めたことでも知られる研究施設。


エウクレイデス
エウクレイデス

前300年頃

ギリシアの数学者。

幾何学の祖

アルキメデス
アルキメデス

前287年頃 - 前212年

数学、物理学者。

プトレマイオス朝の都アレクサンドリアで学び、浮力原理を発見した。


イエス
イエス

前4年頃 - 30年頃

ユダヤ教の戒律主義(律法主義)を批判。パリサイ派は形式主義だと批判。

神の絶対愛と隣人愛が大事だと説いた。

総督ピラトによって十字架刑になった。

イエスの死後、キリスト教が成立した。

隣人愛(りんじんあい)
隣人愛(りんじんあい)

キリスト教の倫理。

他者への愛。


パリサイ派(パリサイは)
パリサイ派(パリサイは)

ユダヤ教の一派。

イエスに形式主義だと批判された。

ピラト
ピラト

?年 - ?年

ローマ領ユダヤの総督(在職:26年 - 36年)。

イエスを十字架刑にした人。


キリスト教(キリストきょう)
キリスト教(キリストきょう)

イエスの十字架刑後、イエスが復活したという信仰が生まれキリスト教が成立した。

新約聖書(しんやくせいしょ)
新約聖書(しんやくせいしょ)

キリスト教の聖典。

コイネー(古代ギリシア語)で書かれていた。


新約聖書はコイネーで書かれる
新約聖書はコイネーで書かれる

新約聖書はコイネー(古代ギリシア語)で書かれていた。

パルティア
パルティア

前248年頃 - 後224年

古代イランの王朝。

カスピ海東南の王国。イラン高原を支配した。

ササン朝に滅ぼされた。


パルティアの首都はクテシフォン
パルティアの首都はクテシフォン

パルティアの首都はクテシフォン。

安息(あんそく)
安息(あんそく)

パルティアは中国では安息と呼ばれた。


ササン朝がパルティアを滅ぼす
ササン朝がパルティアを滅ぼす

224年

ササン朝がパルティアを滅ぼした。

ササン朝(ササンちょう)
ササン朝(ササンちょう)

226年 - 651年

イランの王朝。


ササン朝の首都はクテシフォン(ササンちょうのしゅとはクテシフォン)
ササン朝の首都はクテシフォン(ササンちょうのしゅとはクテシフォン)

ササン朝の首都はクテシフォン。

マニ教(マニきょう)
マニ教(マニきょう)

3世紀前半にササン朝でマニが創始した宗教。

ゾロアスター教・キリスト教・仏教の要素を融合して成立。


シャープール1世(シャープールいっせい)
シャープール1世(シャープールいっせい)

? - 272年

ササン朝ペルシア第2代の王(在位:241年頃 - 272年頃)。

ローマ軍を破り、皇帝ウァレリアヌスを捕虜とした。

ホスロー一世(ホスローいっせい)
ホスロー一世(ホスローいっせい)

? - 579年

ササン朝ペルシアの王(在位:531年 - 579年)。

突厥と結びエフタルを滅ぼした。


突厥(とっけつ)
突厥(とっけつ)

6世紀中頃から8世紀中頃までモンゴル高原から中央アジアにかけて支配したトルコ系遊牧民族。またはその国家。

ササン朝のホスロー一世と結びエフタルを滅ぼした。

エフタル
エフタル

5世紀から6世紀にに中央アジアで活躍した遊牧民族。

突厥とササン朝ペルシアの挟撃を受けて6世紀半ばに滅んだ。


ササン朝、エフタル、突厥の地図
ササン朝、エフタル、突厥の地図

ササン朝ペルシア、エフタル、突厥のざっくりとした地図。

赤がササン朝ペルシア、黄色がエフタル、青が突厥。

ササン朝のホスロー一世は突厥と結び、エフタルを挟撃して滅ぼした。

ビザンツ帝国とササン朝の抗争(ビザンツていこくとササンちょうのこうそう)
ビザンツ帝国とササン朝の抗争(ビザンツていこくとササンちょうのこうそう)

7世紀

ビザンツ帝国とササン朝の抗争が続き、ササン朝は一時、ビザンツ帝国の統治地域であったエジプトやシリアを奪った。


ムハンマド
ムハンマド

570年頃 - 632年

アラビアで唯一神アッラーへの帰依を説くイスラム教を創始した人。

イスラム教は偶像崇拝を禁止しているので、絵が描けないけれど。

ヒジュラ
ヒジュラ

622年

イスラム教の預言者ムハンマドがメッカでの迫害から逃れ、メディナへ移住したことを言う。

聖遷ともいう。


イスラーム暦(イスラームれき)
イスラーム暦(イスラームれき)

ヒジュラ(聖遷)の年を紀元とする太陰暦。

ウンマ
ウンマ

イスラーム信徒共同体。イスラム教の信徒集団。

ヒジュラ後にメディナで作られた。

ウンマの指導者はカリフと呼ばれた。


啓典の民(けいてんのたみ)
啓典の民(けいてんのたみ)

ムハンマドは『旧約聖書』『新約聖書』を啓示の書とみなし、ユダヤ教徒とキリスト教徒を「啓典の民」として信仰の自由を認めた。

隊商宿(たいしょうやど)
隊商宿(たいしょうやど)

イスラーム世界で、隊商宿(キャラヴァンサライ、キャラバンサライ)が整備された。


カリフ
カリフ

イスラーム共同体であるウンマの指導者。

古典的な理論ではムスリムの成人男性でクライシュ族出身から選ばれた。

もともとは預言者ムハンマドの後継者を意味した。

クライシュ族(クライシュぞく)
クライシュ族(クライシュぞく)

ムハンマドが属したメッカの名門一族。

古典的な理論ではカリフはクライシュ族から選ばれた。


コーラン
コーラン

イスラム教の聖典。

ハディース
ハディース

イスラム教の預言者ムハンマドの言行録。


モスク
モスク

イスラーム教の礼拝施設。

ミナレット
ミナレット

モスクやマドラサなどに付随して建てられた尖塔。


アラベスク
アラベスク

イスラーム教では偶像崇拝が禁止されているため彫像は未発達だが、その代わり植物やアラビア文字を幾何学的に図案化した文様「アラベスク」が生まれ、建造物や書籍の装飾に用いられた。

正統カリフ(せいとうカリフ)
正統カリフ(せいとうカリフ)

ウンマの初期の4人(アブー=バクル、ウマル、ウスマーン、アリー)の指導者は特に正統カリフと呼ばれる。


イスラーム勢力
イスラーム勢力

正統カリフに率いられたイスラーム勢力は強大な力を持った。

アブー=バクル
アブー=バクル

573年頃 - 634年。

初代正当カリフ(在位:632年 - 634年)。


ミスル
ミスル

アラブの大征服時代からウマイヤ朝時代に各地につくられたアラブ=ムスリムの軍営都市。

ウマル
ウマル

581年頃 - 644年。

第2代正当カリフ(在位:634年 - 644年)。


ビザンツ帝国は新興のイスラーム勢力にエジプトとシリアを奪われた(ビザンツていこくはしんこうのイスラームせいりょくにエジプトとシリアをうばわれた)
ビザンツ帝国は新興のイスラーム勢力にエジプトとシリアを奪われた(ビザンツていこくはしんこうのイスラームせいりょくにエジプトとシリアをうばわれた)

7世紀

ビザンツ帝国は新興のイスラーム勢力にエジプトとシリアを奪われた。

ウスマーン
ウスマーン

? - 656年

第3代正当カリフ(在位:644年 - 656年)。


ササン朝の滅亡
ササン朝の滅亡

651年

ササン朝は新興のイスラーム勢力に敗れて滅んだ。

アリー
アリー

600年頃 - 661年

第4代正当カリフ(在位:656年 - 661年)。


ウマイヤ朝(ウマイヤちょう)
ウマイヤ朝(ウマイヤちょう)

661年 - 750年

ダマスカスを首都としたイスラム王朝。

アッバース朝に倒された。

ムアーウィヤ
ムアーウィヤ

? - 680年

ウマイヤ朝初代カリフ(在位:661年 - 680年)。


カリフの世襲(カリフのせしゅう)
カリフの世襲(カリフのせしゅう)

正統カリフ時代と異なり、ウマイヤ朝ではカリフが世襲されるようになった。

シャリーア
シャリーア

イスラーム法のこと。

コーランやハディースを基盤として、シャリーアが次第に整えられた。


スンナ派(スンナは)
スンナ派(スンナは)

イスラム教徒の主流派。

スンナ(ムハンマドの言行)に従うことを重視する。

シーア派(シーアは)
シーア派(シーアは)

イスラム教徒の一派。

第4代正統カリフのアリーと彼の子孫のみをイスラーム共同体の指導者と考える。


ウマイヤ朝が西ゴート王国を滅ぼす
ウマイヤ朝が西ゴート王国を滅ぼす

711年

ウマイヤ朝が西ゴート王国を滅ぼした。

アッバース朝(アッバースちょう)
アッバース朝(アッバースちょう)

750年 - 1258年

イラクを中心に栄えたイスラム王朝。

マンスールが首都としてバグダードを建設した。

946年にブワイフ朝にバグダードに入城され実権を失い、宗教的権威のみ残ったが、チンギス=ハンの孫であるフラグ率いるモンゴル軍の侵攻を受けて1258年にそれも絶えた。


マンスール
マンスール

713年頃 - 775年

アッバース朝第2代カリフ(在位:754年 - 775年)。

首都としてバグダードを建設した。

バグダード
バグダード

アッバース朝の首都。

アッバース朝第2代カリフのマンスールが建設した。


タラス河畔の戦い(タラスかはんのたたかい)
タラス河畔の戦い(タラスかはんのたたかい)

751年

アッバース朝が唐を破った戦い。

この戦いの際に、製紙法の技術が唐軍の捕虜よりイスラーム世界へ伝わったとされる。

製紙法の西伝(せいしほうのせいでん)
製紙法の西伝(せいしほうのせいでん)

タラス河畔の戦いによって製紙法がイスラーム世界に伝えられた。


フワーリズミー
フワーリズミー

780年頃 - 850年頃

アッバース朝時代に数学の研究を行った。

千夜一夜物語(せんやいちやものがたり)
千夜一夜物語(せんやいちやものがたり)

インド・イラン・アラビアなどの説話を集大成してまとめたもの。

8世紀~9世紀に作られ、16世紀に現在の形になった。


マムルーク
マムルーク

西アジア各地で用いられたトルコ人を主とした奴隷兵士。

優れた騎兵として9世紀にアッバース朝カリフに用いられてから、イスラーム政権の軍事力の中核を担うようになった。

タバリー
タバリー

839年 - 923年

アッバース朝時代の歴史家。


ブワイフ朝(ブワイフちょう)
ブワイフ朝(ブワイフちょう)

932年 - 1062年

イラン・イラクを支配したイラン系のイスラム王朝。

946年にアッバース朝カリフ治下のバグダードに入城して実権を握った。

イクター制を初めて採用した。

11世紀にセルジューク朝に滅ぼされた。

ブワイフ朝はシーア派(ブワイフちょうはシーアは)
ブワイフ朝はシーア派(ブワイフちょうはシーアは)

ブワイフ朝はシーア派の王朝。


大アミール(だいアミール)
大アミール(だいアミール)

軍事・行政権をカリフから委ねられた支配者に与えられた称号。

カリフは宗教的権威を持つのみとなった。

ブワイフ朝は946年にバグダードに入城して大アミールの称号を得た。

イクター制(イクターせい)
イクター制(イクターせい)

ブワイフ朝が始めた制度。

軍人に分与地の徴税権を与えて軍役奉仕を課した。

アッバース朝カリフの権威低下や地方政権の自立で国庫収入が減少し俸給制を維持できないために導入された。


俸給(ほうきゅう)
俸給(ほうきゅう)

給料のこと。

マドラサ
マドラサ

11世紀頃からイスラーム都市に設けられた教育の場。

ここで学問を修めたものは礼拝の指導者、教師、裁判官などになった。


ウラマー
ウラマー

マドラサで法学、神学などの学問を修めたイスラーム社会の知識人のこと。

アズハル学院(アズハルがくいん)
アズハル学院(アズハルがくいん)

970年にモスクが建設され、972年に学院が併設されたのが起源。

シーア派のマドラサ(教育の場)として設立された後に、スンナ派のマドラサとなり、今日まで名声を誇っている学院。

カイロにある。


アズハル学院があるのはカイロ(アズハルがくいんがあるのはカイロ)
アズハル学院があるのはカイロ(アズハルがくいんがあるのはカイロ)

アズハル学院があるのはカイロ。

ワクフ
ワクフ

モスク(礼拝施設)やマドラサ(教育の場)などの公共施設の運営のために、市場や店舗などが収入を寄進する行為。または寄進された財産のこと。


フィルドゥシー
フィルドゥシー

934年 - 1025年

詩人。

長編叙事詩『シャー=ナーメ』でイランの歴史をつづった。

シャー=ナーメ
シャー=ナーメ

フィルドゥシーが著した書。

イランの歴史がつづられている。


ガズナ朝
ガズナ朝

977年 - 1187年

サーマーン朝から独立し、アフガニスタンのガズナに建てられたイスラム王朝。

1000年頃から北インドへ侵入し、略奪をくりかえした。

ゴール朝に首都ガズナを奪われて滅んだ。

セルジューク朝
セルジューク朝

1038年 - 1194年

トルコ系のイスラム王朝。

1055年にバグダードに入城してスルタンの称号を受けた。

アナトリア(小アジア)に進出してビザンツ軍を破った。


トゥグリル=ベク
トゥグリル=ベク

995年 - 1063年

セルジューク朝の建国者(在位:1038年 - 1063年)。

1055年にバグダードに入城してスルタンの称号を受けた。

スルタン
スルタン

イスラム王朝の君主の称号。


トゥグリル=ベクがスルタンの称号を与えられる
トゥグリル=ベクがスルタンの称号を与えられる

セルジューク朝の君主であるトゥグリル=ベクがスルタンの称号を与えられる。

初めてスルタンの称号を与えられたのはセルジューク朝のトゥグリル=ベク
初めてスルタンの称号を与えられたのはセルジューク朝のトゥグリル=ベク

初めてスルタンの称号を与えられたのはセルジューク朝のトゥグリル=ベクです。


第1回十字軍(だいいっかいじゅうじぐん)
第1回十字軍(だいいっかいじゅうじぐん)

1096年 - 1099年

イスラム教徒からイェルサレムを奪還した。

イェルサレム
イェルサレム

パレスチナ地方の都市。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地。

第1回十字軍によって占領された。


イェルサレム王国(イェルサレムおうこく)
イェルサレム王国(イェルサレムおうこく)

1099年 - 1291年

第1回十字軍によってパレスチナ地方に建設された国。

後に、アイユーブ朝のサラディンにイェルサレムを占領され、1291年には最後の拠点であるアッコンをマムルーク朝に奪われて滅亡した。

ウマル=ハイヤーム
ウマル=ハイヤーム

1048年 - 1131年

セルジューク朝時代の科学者。詩人。

『四行詩集』(ルバイヤート)を著した。


四行詩集(よんぎょうししゅう)
四行詩集(よんぎょうししゅう)

ウマル=ハイヤームが著した四行詩を集めた無常観あふれる詩集。

ルバイヤート』ともいう。

サラディン
サラディン

1138年 - 1193年

アイユーブ朝の創始者。

イェルサレムを占領した。


アイユーブ朝(アイユーブちょう)
アイユーブ朝(アイユーブちょう)

1169年 - 1250年

エジプト・シリアを中心に栄えたイスラム王朝。

創始者はサラディン。

アイユーブ朝はスルタンの称号を使用する(アイユーブちょうはスルタンのしょうごうをしようする)
アイユーブ朝はスルタンの称号を使用する(アイユーブちょうはスルタンのしょうごうをしようする)

アイユーブ朝はスルタンの称号を使用した。


アイユーブ朝がイクター制を導入する(アイユーブちょうがイクターせいをどうにゅうする)
アイユーブ朝がイクター制を導入する(アイユーブちょうがイクターせいをどうにゅうする)

アイユーブ朝は、ブワイフ朝が始めたイクター制を12世紀にエジプトに導入した。

サラディンがイェルサレムを奪回する
サラディンがイェルサレムを奪回する

1187年

サラディンがイェルサレム王国を攻め、イェルサレムを奪回した。


マムルーク朝(マムルークちょう)
マムルーク朝(マムルークちょう)

1250年 - 1517年

マムルーク(奴隷兵士のこと)が反乱を起こしてアイユーブ朝を滅ぼして創始したイスラム王朝。

スルタンの称号を使用した。

エジプト・シリア・ヒジャーズを支配した。

オスマン帝国に滅ぼされた。

マムルーク朝はスルタンの称号を使用する(マムルークちょうはスルタンのしょうごうをしようする)
マムルーク朝はスルタンの称号を使用する(マムルークちょうはスルタンのしょうごうをしようする)

マムルーク朝はスルタンの称号を使用した。


マムルーク朝はイクター制を導入する(マムルークちょうはイクターせいをどうにゅうする)
マムルーク朝はイクター制を導入する(マムルークちょうはイクターせいをどうにゅうする)

マムルーク朝はイクター制を導入した。

マムルーク朝がモンゴル軍を撃退する
マムルーク朝がモンゴル軍を撃退する

マムルーク朝がフラグ率いるモンゴル軍をシリアで撃退した。


フラグがアッバース朝を滅ぼす(フラグがアッバースちょうをほろぼす)
フラグがアッバース朝を滅ぼす(フラグがアッバースちょうをほろぼす)

1258年

フラグ率いるモンゴル軍がバグダードを征服してアッバース朝を滅ぼした。

フラグ
フラグ

1218年 - 1265年

チンギス=ハンの孫。

1258年にアッバース朝を滅ぼしてイル=ハン国を建国した。

イル=ハン国の初代君主(在位:1258年 - 1265年)。


イル=ハン国(イル=ハンこく)
イル=ハン国(イル=ハンこく)

1258年 - 1353年

イランのモンゴル王朝。

フラグが建国した。

ガザン=ハン(ガザン=ハン)
ガザン=ハン(ガザン=ハン)

1271年 - 1304年

イル=ハン国の第7代君主(在位:1295年 - 1304年)。

イスラーム教を国教とした。

ラシード=アッディーンを宰相とした。


ラシード=アッディーン
ラシード=アッディーン

1247年頃 - 1318年

イル=ハン国の政治家・歴史家。

『集史』を著した。

集史(しゅうし)
集史(しゅうし)

イル=ハン国のラシード=アッディーンが著した歴史書。


オスマン帝国
オスマン帝国

1299年 - 1922年

トルコ系イスラム国家。

アナトリア
アナトリア

オスマン帝国はイスラーム世界とビザンツ世界の間のアナトリアの西北に出現した。


ティマール制
ティマール制

オスマン帝国の制度。

シパーヒー(オスマン帝国のトルコ系騎士)に封土(ティマール)を配分し、その徴税権を与え、平時は農村の管理、戦時は兵士を率いて従軍させた。

イブン=バットゥータ
イブン=バットゥータ

1304年 - 1368/69または77年

旅行家。

『旅行記(三大陸周遊記)』を残した。


『旅行記』(りょこうき)
『旅行記』(りょこうき)

イブン=バットゥータが残したモロッコから中国にいたる旅の記録。

『三大陸周遊記』(さんたいりくしゅうゆうき)ともいう。

オスマン帝国がアドリアノープルを奪い都とする
オスマン帝国がアドリアノープルを奪い都とする

1366年

オスマン帝国のムラト1世がビザンツ帝国のアドリアノープルを奪い、1453年まで都とした。


イブン=ハルドゥーン
イブン=ハルドゥーン

1332年 - 1406年

歴史家。思想家。

『世界史序説』を著した。

世界史序説(せかいしじょせつ)
世界史序説(せかいしじょせつ)

1370年代後半にイブン=ハルドゥーンによって執筆された。

イブン=ハルドゥーンの通史の序論の部分。


バヤジット1世
バヤジット1世

1360年 - 1403年

オスマン帝国の第4代スルタン(在位:1389年 - 1402年)。

ニコポリスの戦いで勝利した。

アンカラの戦いで敗れ捕虜となり、その後死亡した。

ニコポリスの戦い
ニコポリスの戦い

1396年

バヤジット1世が率いるオスマン軍が、ハンガリー王ジギスムントが率いる連合軍を破った戦い。


アンカラの戦い
アンカラの戦い

1402年

ティムール軍がオスマン軍を破った戦い。

バヤジット1世は捕虜となった後、死亡した。

これによりオスマン帝国は約10年間スルタンの空位が続いた。

アンカラの戦いが行われた場所
アンカラの戦いが行われた場所

アンカラの戦いが行われた場所はここら辺です。


オスマン帝国がビザンツ帝国を滅ぼした
オスマン帝国がビザンツ帝国を滅ぼした

1453年

オスマン帝国がコンスタンティノープルを占領し、ビザンツ帝国を滅ぼした。

このため、多くの学者がイタリアに避難し、フィレンツェで古代ギリシア思想の研究が進んだ。

メフメト2世
メフメト2世

1432年 - 1481年

オスマン帝国の第7代スルタン(在位:1444年 - 1446年、1451年 - 1481年)。

ビザンツ帝国を滅ぼした。


イスタンブル
イスタンブル

コンスタンティノープルのこと。

1453年にオスマン帝国が征服して首都とした。

これ以後、イスタンブルという呼び方が一般化した。

サファヴィー朝
サファヴィー朝

1501年 - 1736年

イラン高原に拠点を置いたシーア派ムスリム政権。

16世紀末に都となったイスファハーンの繁栄ぶりは「イスファハーンは世界の半分」と讃えられた。


ポルトガルがホルムズ島を占領する
ポルトガルがホルムズ島を占領する

1515年

ポルトガルがホルムズ島を占領した。

1622年にサファヴィー朝のアッバース1世が奪取した。

オスマン帝国がマムルーク朝を滅ぼす
オスマン帝国がマムルーク朝を滅ぼす

1517年

オスマン帝国がマムルーク朝を滅ぼした。


スレイマン1世
スレイマン1世

1494年 - 1566年

オスマン帝国第10代皇帝(在位:1520年 - 1566年)。

オスマン帝国最盛期のスルタン。

スレイマン=モスク
スレイマン=モスク

スレイマン1世の命によりイスタンブルに建造された壮麗なモスク。

シナンが設計した。


シナン
シナン

1492年頃 - 1588年

スレイマン1世のもとで建設長官をつとめた人。

スレイマン=モスクもシナンが設計した。

デヴシルメ
デヴシルメ

オスマン帝国で行われた、被征服地の優秀な男子を徴用し官僚として養成する制度。

シナンもデヴシルメによって徴用された。


イェニチェリ
イェニチェリ

スルタン直属の常備軍。

デヴシルメによって徴用された兵士を中心に構成され、オスマン朝を支えた。

スーフィー
スーフィー

内面的な修行により真の救いを得てアッラーとの一体化を目指すイスラーム神秘主義者のこと。


ハンマーム
ハンマーム

イスラム圏にみられる公共浴場。

第1次ウィーン包囲(だいいちじウィーンほうい)
第1次ウィーン包囲(だいいちじウィーンほうい)

1529年

オスマン帝国のスレイマン1世が12万の精鋭でハプスブルク帝国の都ウィーンを包囲した事件。

イタリア戦争でハプスブルク家と戦っていたフランスと友好関係を結んで実行した。

寒冷化により約20日後に撤退した。


プレヴェザの海戦(プレヴェザのかいせん)
プレヴェザの海戦(プレヴェザのかいせん)

1538年

オスマン艦隊がスペイン・ヴェネツィア・ローマ教皇などの連合艦隊を破った海戦。

カピチュレーション
カピチュレーション

ムスリムの君主がヨーロッパ諸国に与えた通商上の特権。

1569年、オスマン帝国のセリム2世がフランスに与えたのが最初。


セリム2世がカピチュレーションを与えたのはフランス
セリム2世がカピチュレーションを与えたのはフランス

オスマン帝国のセリム2世がカピチュレーションを与えたのはフランス。

ミッレト
ミッレト

オスマン帝国における非ムスリムによる宗教共同体。

非ムスリム(ギリシア正教やユダヤ教など)は納税を行うことで自治を認められた。


アッバース1世
アッバース1世

1571年 - 1629年

サファヴィー朝第5代の王(在位:1587年 - 1629年)。

1622年にポルトガルからホルムズ島を奪った。

イスファハーン
イスファハーン

16世紀末にサファヴィー朝の都となったところ。

その繁栄ぶりは「イスファハーンは世界の半分」と讃えられた。


「イスファハーンは世界の半分」
「イスファハーンは世界の半分」

サファヴィー朝の都であるイスファハーンの繁栄ぶりを讃えて言われた言葉。

サファヴィー朝がホルムズ島を奪う
サファヴィー朝がホルムズ島を奪う

1622年

サファヴィー朝のアッバース1世がポルトガルからホルムズ島を奪った。


第2次ウィーン包囲(だいにじウィーンほうい)
第2次ウィーン包囲(だいにじウィーンほうい)

1683年

オスマン帝国がオーストリアの都であるウィーンを包囲した事件。

オーストリア・ポーランド連合軍の抵抗で失敗した。

カルロヴィッツ条約
カルロヴィッツ条約

1699年

オスマン帝国がオーストリア・ポーランド・ヴェネツィアに領土を割譲した講和条約。

オーストリアにはハンガリーやトランシルヴァニアなどを譲った。


ワッハーブ派
ワッハーブ派

神秘主義や聖者崇拝を堕落したものとみなして『預言者の教えに戻れ』と主張した一派。

18世紀にアラビア半島でイスラームの改革を唱える運動を起こした。

アラビア半島の中央部に拠点を持つサウード家と同盟を組んで王国を建国した。

サウード家(サウードけ)
サウード家(サウードけ)

アラビア半島中央部に拠点を持った一族。


カージャール朝(カージャールちょう)
カージャール朝(カージャールちょう)

1794年 - 1925年

イランの王朝。

1848年から1850年にかけてバーブ教徒が反乱を起こした。

1891年にタバコ・ボイコット運動が起きた。

エジプト遠征(エジプト遠征)
エジプト遠征(エジプト遠征)

1798年 - 1799年

ナポレオンがエジプトへ遠征した。

理由はイギリスのインド支配に打撃を与えるため。

イギリスのネルソンに敗れたため撤退した。


バーブ教(バーブきょう)
バーブ教(バーブきょう)

イスラム教の流れをくむ宗教。

バーブ教徒の乱
バーブ教徒の乱

カージャール朝でバーブ教徒が蜂起したが、カージャール朝は徹底的に弾圧した。


オスマン帝国がムハンマド=アリーをエジプト総督に任命する
オスマン帝国がムハンマド=アリーをエジプト総督に任命する

1805年

オスマン帝国がムハンマド=アリーをエジプト総督に任命した。

これによりムハンマド=アリー朝が成立した。

ムハンマド=アリー
ムハンマド=アリー

1769年 - 1849年

エジプトを支配したムハンマド・アリー朝の創始者。

ムハンマド・アリー朝の初代君主(在位:1805年 - 1849年)。

綿花などの商品作物の作付を農民に強制し、政府が生産物を安く買い上げて国内外に販売する専売制を導入することで財源とし、それを元にフランスの支援による富国強兵・殖産興業による近代化を進めた。


ムハンマド・アリー朝(ムハンマド・アリーちょう)
ムハンマド・アリー朝(ムハンマド・アリーちょう)

1805年 - 1953年

エジプトを支配した王朝。

ギリシア独立戦争
ギリシア独立戦争

1821年 - 1829年

オスマン帝国治下にあったギリシアの独立戦争。

当初、列強は不介入の立場をとっていたが、国内の自由主義的世論やバルカンをめぐる利害を背景に、独立支持へと転じ、最終的にギリシアの独立が認められた。


ギリシアがオスマン帝国から独立する
ギリシアがオスマン帝国から独立する

1830年

イギリス、フランス、ロシアの支援もあり、ギリシアがオスマン帝国から独立した。

年号の覚え方は「いや(18)もう去れ(30)。ギリシア頑張りオスマンから独立」です。

エジプト=トルコ戦争(エジプト=トルコせんそう)
エジプト=トルコ戦争(エジプト=トルコせんそう)

宗主国オスマン帝国と、そこからの独立をはかるムハンマド=アリーとの戦争。

第1次エジプト=トルコ戦争(1831年 - 1833年)ではシリアがエジプトに譲渡された。

第2次エジプト=トルコ戦争(1839年 - 1840年)ではムハンマド=アリーのエジプト・スーダンの総督の世襲は認められたが、シリアなどの占領地はオスマン帝国に返還された。

また、この戦争にはイギリス・ロシア・オーストリア・プロイセン・フランスが介入した。


アブデュルメジト1世
アブデュルメジト1世

1823年 - 1961年

オスマン帝国第31代皇帝(在位:1839年 - 1861年)。

ギュルハネ勅令を発布して、タンジマートを開始した。

ギュルハネ勅令(ギュルハネちょくれい)
ギュルハネ勅令(ギュルハネちょくれい)

1839年

アブデュルメジト1世がタンジマート(近代化改革)の実施を約束した改革勅令。


タンジマート
タンジマート

1839年 - 1876年

オスマン帝国における西欧化改革運動。

クリミア戦争(クリミアせんそう)
クリミア戦争(クリミアせんそう)

1853年 - 1856年

ロシアと、トルコ・イギリス・フランス・サルデーニャ連合軍との間で起きた戦争。

ロシアが敗北した。


スエズ運河(スエズうんが)
スエズ運河(スエズうんが)

1869年にエジプトで開通した大運河。

エジプトのスエズ地域に位置する。

地中海と紅海が結ばれた。

同じ年、アメリカ合衆国では東西を結ぶ大陸横断鉄道が開通した。

年号の覚え方は「ヒーハー(18)!!無(6)理く(9)り開通スエズ運河」です。

綿花(めんか)
綿花(めんか)

19世紀後半にエジプトで最も輸出された商品作物。

主にイギリスに輸出し、綿糸・綿織物に加工された。


スエズ運河完成後のエジプト(スエズうんがかんせいごのエジプト)
スエズ運河完成後のエジプト(スエズうんがかんせいごのエジプト)

エジプトはスエズ運河建設と綿花価格の暴落で財政が破綻した。

そのため、スエズ運河会社の株をイギリスに売却し、財政を英仏の管理に委ねた。

ディズレーリがスエズ運河会社の株式を買収する(ディズレーリがスエズうんががいしゃのかぶしきをばいしゅうする)
ディズレーリがスエズ運河会社の株式を買収する(ディズレーリがスエズうんががいしゃのかぶしきをばいしゅうする)

1875年

イギリスのディズレーリ首相が、エジプトからスエズ運河会社の株式を買収し、会社の支配権を握った。


オスマン主義(オスマンしゅぎ)
オスマン主義(オスマンしゅぎ)

宗教・民族の違いを乗り越えて同じ権利を与え、それによって帝国の政治一体性を守ろうという考え方。

帝国解体の危機が深まったオスマン帝国で、オスマン主義に基づいて立憲政を目指す運動が現れた。

ミドハト=パシャ
ミドハト=パシャ

1822年 - 1884年

オスマン帝国の政治家。

彼の主導で憲法が制定され、議会も開設された。


ミドハト憲法(ミドハトけんぽう)
ミドハト憲法(ミドハトけんぽう)

1876年公布

ミドハト=パシャが起草したオスマン帝国の憲法。

露土戦争が起こると停止された。

ロシア=トルコ戦争(ロシア=トルコせんそう)
ロシア=トルコ戦争(ロシア=トルコせんそう)

1877年 - 1878年

南下政策を進めるロシアとオスマン帝国との戦争。

ロシアが勝った。

露土(ろと)戦争ともいう。


アブデュルハミト2世(アブデュルハミトにせい)
アブデュルハミト2世(アブデュルハミトにせい)

1842年 - 1918年

オスマン帝国の第34代スルタン(在位:1876年 - 1909年)。

ロシア=トルコ戦争が起こると憲法を停止して専制政治を復活し、パン=イスラーム主義を採用した。

パン=イスラーム主義(パン=イスラームしゅぎ)
パン=イスラーム主義(パン=イスラームしゅぎ)

イスラム世界を統一しようとする思想・運動。


サン=ステファノ条約(サン=ステファノ条約)
サン=ステファノ条約(サン=ステファノ条約)

1878年

ロシア=トルコ戦争の講和条約。

ロシアが勢力を拡大したが、イギリス・オーストリアの反発を招きベルリン会議が開かれた。

ベルリン会議(ベルリンかいぎ)
ベルリン会議(ベルリンかいぎ)

1878年

ロシア=トルコ戦争の結果起こった国際紛争の解決のためにドイツの宰相ビスマルクが主催した国際会議。

ルーマニアの独立が承認された。

オーストリアはボスニアとヘルツェゴヴィナの地域の占領と行政権が認められた。


ルーマニア
ルーマニア

ルーマニアはベルリン会議で独立を承認された。

ウラービー運動(ウラービーうんどう)
ウラービー運動(ウラービーうんどう)

1881年

ヨーロッパ列強の干渉に対して起きた、エジプトの国民的な抵抗運動。


グラッドストンがエジプトを保護国とする(グラッドストンがエジプトをほごこくとする)
グラッドストンがエジプトを保護国とする(グラッドストンがエジプトをほごこくとする)

1882年

(イギリスの)自由党のグラッドストンがエジプトを事実上の保護国とした。

統一と進歩団(とういつとしんぽだん)
統一と進歩団(とういつとしんぽだん)

1889年に結成された、立憲制を復活させることを目的とするオスマン帝国の政治結社。

「青年トルコ人」(ミドハト憲法復活運動を行った人々の総称)の中心組織となった。


タバコ・ボイコット運動(タバコ・ボイコットうんどう)
タバコ・ボイコット運動(タバコ・ボイコットうんどう)

1891年 - 1892年

タバコの利権をイギリスの会社に譲渡したことがきっかけとなって生じたイランのカージャール朝の民族運動。

青年トルコ革命(せいねんトルコかくめい)
青年トルコ革命(せいねんトルコかくめい)

1908年

オスマン帝国で「青年トルコ人」(ミドハト憲法復活運動を行った人々の総称)が行った無血の革命。

立憲制を宣言し、皇帝もこれを認め憲法を復活させた。

年号の覚え方は「引く(19)の無し(0)や(8)ん、青年トルコ革命」です。


統一と進歩団が政権を獲得する(とういつとしんぽだんがせいけんをかくとくする)
統一と進歩団が政権を獲得する(とういつとしんぽだんがせいけんをかくとくする)

日露戦争後の1908年に革命により政権を獲得した。

パン=トルコ主義を唱えた。

パン=トルコ主義(パン=トルコしゅぎ)
パン=トルコ主義(パン=トルコしゅぎ)

オスマン帝国のトルコ人を中心にトルコ系民族の政治的・経済的統合を目指すイデオロギーのこと。


第一次世界大戦前パレスチナはオスマン帝国領(だいいちじせかいたいせんまえパレスチナはオスマンていこくりょう)
第一次世界大戦前パレスチナはオスマン帝国領(だいいちじせかいたいせんまえパレスチナはオスマンていこくりょう)

第一次世界大戦前、パレスチナはオスマン帝国領だった。

第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)
第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)

1914年 - 1918年

バルカン半島のサライェヴォで起こったオーストリア皇太子暗殺事件に端を発するヨーロッパを中心に起こった世界戦争。

協商国27か国と同盟国4か国が戦った。

総力戦となった。

女性も軍需工業に動員されて戦争遂行を支えた。

国家が統制経済で負担や義務を課すと、女性はそれに見合う参政権拡大を求める声を高めた。

大戦中に革命がおこったロシアでは、社会主義政権のもとで女性参政権が実現した。


第一次世界大戦の協商国(だいいちじせかいたいせんのきょうしょうこく)
第一次世界大戦の協商国(だいいちじせかいたいせんのきょうしょうこく)

イギリス・フランス・ロシア・セルビア・モンテネグロ・日本・イタリア・ルーマニア・ポルトガル・アメリカ合衆国・中国・ギリシアなど27か国。

第一次世界大戦で同盟国と敵対し、勝利した。

協商国のことは連合国ともいう。

第一次世界大戦の同盟国(だいいちじせかいたいせんのどうめいこく)
第一次世界大戦の同盟国(だいいちじせかいたいせんのどうめいこく)

ドイツ・オーストリア・オスマン帝国・ブルガリア王国の4カ国。

第一次世界大戦で協商国と敵対し、敗れた。


フセイン・マクマホン協定
フセイン・マクマホン協定

1915年

イギリスが戦争協力を条件に、アラブ人に独立を約束したもの。

ただし、秘密協定(サイクス=ピコ協定)でこれと矛盾する協定を連合国などと結んでいた。

サイクス=ピコ協定(サイクス=ピコきょうてい)
サイクス=ピコ協定(サイクス=ピコきょうてい)

1916年

戦後のオスマン帝国領を分割するために、イギリス・フランス・ロシアが各国の勢力範囲を定めた秘密の取り決め。

フセイン・マクマホン協定と矛盾する。


バルフォア宣言(バルフォアせんげん)
バルフォア宣言(バルフォアせんげん)

1917年

イギリス政府がパレスチナでのユダヤ人の「民族的郷土」建設の支持を約束した宣言。

ユダヤ資本の第1次世界大戦への戦争協力を期待したもの。

フセイン・マクマホン協定、サイクス・ピコ協定と矛盾する。

委任統治(いにんとうち)
委任統治(いにんとうち)

国際連盟が先進国に保護を委ねる統治方式。

第一次世界大戦後、旧オスマン帝国に属していた中東地域は委任統治が採用され、イギリスはイラク・トランスヨルダン・パレスチナを、フランスはシリアを実質的に統治した。


第一次世界大戦後パレスチナはイギリスの委任統治領となる(だいいちじせかいたいせんごパレスチナはイギリスのいにんとうちりょうとなる)
第一次世界大戦後パレスチナはイギリスの委任統治領となる(だいいちじせかいたいせんごパレスチナはイギリスのいにんとうちりょうとなる)

第一次世界大戦後、パレスチナはイギリスの委任統治領となった。

1922年にオスマン帝国が滅亡する(1922ねんにオスマンていこくがめつぼうする)
1922年にオスマン帝国が滅亡する(1922ねんにオスマンていこくがめつぼうする)

1922年

オスマン帝国が滅亡した。

覚え方は「人(1)国(92)に(2)反旗翻しオスマン帝国滅亡」です。。


トルコ共和国(トルコきょうわこく)
トルコ共和国(トルコきょうわこく)

1923年 ~

アジアとヨーロッパの2つにまたがる共和国。

オスマン帝国滅亡後の1923年に成立。

ムスタファ=ケマル
ムスタファ=ケマル

1881年 - 1938年

トルコ共和国の初代大統領(在任:1923年 - 1938年)。

第一次世界大戦後、スルタン制を廃止して共和国を樹立し、世俗主義とナショナリズムによる国民国家の建設を目指した。


カリフ制廃止
カリフ制廃止

1924年

ムスタファ=ケマルによってカリフ制が廃止された。

パフレヴィ―朝(パフレヴィ―ちょう)
パフレヴィ―朝(パフレヴィ―ちょう)

1925年 - 1979年

カージャール朝の実権を握ったレザー=ハーンがカージャール朝に代わって建てたイランの王朝。

1979年のイラン革命で倒された。


イブン=サウード
イブン=サウード

1880年 - 1953年

ワッハーブ派のサウード家の出身。

サウジアラビア王国を建てた。

サウジアラビア初代国王(在位:1932年 - 1953年)。

サウジアラビア王国
サウジアラビア王国

イブン=サウードが1926年に建てたヒジャーズ=ネジド王国が1932年にサウジアラビア王国に改称された。


アラブ連盟
アラブ連盟

アラブ諸国が1945年に結成した地域機構。

シオニズム
シオニズム

パレスチナにユダヤ人国家を建設しようとする運動のこと。


国際連合がパレスチナを分割する案を決議する(こくさいれんごうがパレスチナをぶんかつするあんをけつぎする)
国際連合がパレスチナを分割する案を決議する(こくさいれんごうがパレスチナをぶんかつするあんをけつぎする)

1947年

イギリスの委任統治の終了後、国際連合はパレスチナを移住してきたユダヤ人の国とアラブ系のパレスチナ人の国に分割する案を決議した。

ユダヤ人はこれに基づいてイスラエルを建国した。

イスラエル
イスラエル

1948年~

国際連合がパレスチナをユダヤ人の国とアラブ系のパレスチナ人の国に分割する案を決議したことに基づいて、ユダヤ人が建国した国。


第1次中東戦争(だいいちじちゅうとうせんそう)
第1次中東戦争(だいいちじちゅうとうせんそう)

1948年~1949年

アラブ諸国はイスラエルを認めず、両者が争った。

結果、イスラエルが勝利し、イスラエルは分割案で示されたものよりも広大な領土を手に入れる一方、多数のパレスチナ人が故郷を追われて難民となった。

バグダード条約機構(バグダードじょうやくきこう)
バグダード条約機構(バグダードじょうやくきこう)

1955年

トルコ・イラク・イラン・パキスタン・イギリスが結成した安全保障機構。


ナセル
ナセル

1918年 - 1970年

エジプト革命の指導者。

エジプト大統領(在任:1956年 - 1970年)。

第三勢力の指導者の一人。

ナイル川にアスワン=ハイダムの建設を計画し、その資金入手のためスエズ運河の国有化を試みる。

これをきっかけにイギリス・フランス・イスラエルの三国がエジプトを攻撃した(第2次中東戦争)。

1961年に第1回非同盟諸国首脳会議に出席した。

スエズ運河国有化(スエズうんがこくゆうか)
スエズ運河国有化(スエズうんがこくゆうか)

1956年

アスワン=ハイダムの建設事業の資金確保を目的としてエジプトが国有化を宣言した。


イギリスがエジプトを攻撃する(イギリスがエジプトをこうげきする)
イギリスがエジプトを攻撃する(イギリスがエジプトをこうげきする)

1956年~1957年

ナセルがスエズ運河の国有化を試みたことをきっかけに、イギリスがフランス・イスラエルとともにエジプトを攻撃した。

しかし、三国は国際社会の非難を浴びて撤退せざるを得なかった(第2次中東戦争)。

これにより、ナセルは一躍アラブ民族主義の英雄になる。

フランスがエジプトを攻撃する(フランスがエジプトをこうげきする)
フランスがエジプトを攻撃する(フランスがエジプトをこうげきする)

1956年~1957年

ナセルがスエズ運河の国有化を試みたことをきっかけに、フランスがイギリス・イスラエルとともにエジプトを攻撃した。

しかし、三国は国際社会の非難を浴びて撤退せざるを得なかった(第2次中東戦争)。

これにより、ナセルは一躍アラブ民族主義の英雄になる。


イスラエルがエジプトを攻撃する(イスラエルがエジプトをこうげきする)
イスラエルがエジプトを攻撃する(イスラエルがエジプトをこうげきする)

1956年~1957年

ナセルがスエズ運河の国有化を試みたことをきっかけに、イスラエルがイギリス・フランスとともにエジプトを攻撃した。

しかし、三国は国際社会の非難を浴びて撤退せざるを得なかった(第2次中東戦争)。

これにより、ナセルは一躍アラブ民族主義の英雄になる。

アラブ民族主義(アラブみんぞくしゅぎ)
アラブ民族主義(アラブみんぞくしゅぎ)

アラブの統一を目指す思想・運動。

第2次中東戦争の結果、ナセルはアラブ民族主義の英雄になった。


中央条約機構(ちゅうおうじょうやくきこう)
中央条約機構(ちゅうおうじょうやくきこう)

1959年設立。

バグダード条約機構からイラクが抜けたあとの1959年にバグダード条約機構を中央条約機構に改名することで結成された西側の安全保障機構。

石油輸出国機構(せきゆゆしゅつこくきこう)
石油輸出国機構(せきゆゆしゅつこくきこう)

1960年

「OPEC」とも呼ばれる。

イラン・イラク・サウジアラビア・クウェート・ベネズエラによって設立された産油国の協力を目的とした国際機構。


パレスチナ解放機構(パレスチナかいほうきこう)
パレスチナ解放機構(パレスチナかいほうきこう)

1964年

パレスチナ難民が結成した反イスラエル抵抗組織。

第3次中東戦争(だいさんじちゅうとうせんそう)
第3次中東戦争(だいさんじちゅうとうせんそう)

1967年

イスラエルとエジプト・シリア・ヨルダンとの戦争。

イスラエルが大勝し、シナイ半島・ヨルダン川西岸・ガザ地区など占領地を拡大した。

年号の覚え方は「さ(第3次)あ行く(19)ぜ。ムナ(67)しい戦い中東戦争」です。


シナイ半島(シナイはんとう)
シナイ半島(シナイはんとう)

第3次中東戦争でイスラエルが占領した半島。

ヨルダン川西岸(ヨルダンがわせいがん)
ヨルダン川西岸(ヨルダンがわせいがん)

第3次中東戦争でイスラエルが占領したパレスチナの地区。


ガザ地区(ガザちく)
ガザ地区(ガザちく)

第3次中東戦争でイスラエルが占領したパレスチナの地区。

アラブ石油輸出国機構(アラブせきゆゆしゅつこくきこう)
アラブ石油輸出国機構(アラブせきゆゆしゅつこくきこう)

1968年

「OAPEC」とも呼ばれる。

サウジアラビア・クウェート・リビアによって設立されたアラブ系産油国の協力を目的とした国際機関。


アラファト
アラファト

1929年 - 2004年

パレスチナ解放機構(PLO)の議長を1969年~2004年の間務めて、組織を指導した。

アスワン=ハイダム
アスワン=ハイダム

1970年完成。

エジプト南部のナイル川に建設されたダム。

農業用水と電力の確保が目的。


第4次中東戦争(だいよじちゅうとうせんそう)
第4次中東戦争(だいよじちゅうとうせんそう)

1973年

エジプト・シリアとイスラエルとの戦争。

OPECやOAPECがいわゆる石油戦略を発動したこともあり、アラブ諸国の側に有利な形で終わった。

また、石油戦略が引き金となり同じく1973年に第1次石油危機が発生した。

4次の中東戦争で第1次石油危機が発生したことは良く問題に出るので覚えてください。覚え方は「世界が死(4)ぬよ!?中東戦争で第一次石油危機!」です。

石油戦略(せきゆせんりゃく)
石油戦略(せきゆせんりゃく)

第4次中東戦争の際、アラブ石油輸出国機構(OAPEC)がイスラエルの友好国に対して石油の全面禁輸を宣告したことを指して言う。

また、これとは別に石油輸出国機構(OPEC)も第4次中東戦争に際して石油価格を引き上げた。


第1次石油危機(だいいちじせきゆきき)
第1次石油危機(だいいちじせきゆきき)

1973年

第4次中東戦争でとられた石油戦略により、先進国を中心に世界経済が大混乱したこと。

4次の中東戦争で第1次石油危機が発生したことは良く問題に出るので覚えてください。覚え方は「世界が死(4)ぬよ!?中東戦争で第一次石油危機!」です。

イラン革命(イランかくめい)
イラン革命(イランかくめい)

1979年

パフレヴィ―朝を打倒したイスラーム革命。

これによりホメイニが臨時革命政府を樹立した。

またこの革命は第2次石油危機を引き起こした。


ホメイニ
ホメイニ

1902年 - 1989年

イランのシーア派の指導者。

イラン革命により臨時革命政府を樹立し、以後も最高指導者として1980年代末まで君臨した。

ターリバーン
ターリバーン

アフガニスタンのイスラーム主義組織。

1996年にアフガニスタンの首都カブールを制圧し、アフガニスタンの政権を握った。

2001年にアメリカの攻撃で崩壊した。


ターリバーンがアフガニスタンの政権を握る
ターリバーンがアフガニスタンの政権を握る

1996年

ターリバーンがアフガニスタンの首都カブールを制圧し、アフガニスタンの政権を握った。

2001年にアメリカの攻撃で崩壊した。

イラク
イラク

1932年 ~

中東・西アジアの国家。

2003年のイラク戦争でフセイン政権が打倒された。


フセイン
フセイン

1937年 - 2006年

イラクの政治家。大統領。首相。軍最高司令官。

2003年のイラク戦争でフセイン政権は打倒された。

イラク戦争(イラクせんそう)
イラク戦争(イラクせんそう)

2003年 - 2011年

イラクのフセイン政権が国連による大量破壊兵器の査察に非協力的だという理由から米国が英国と共にイラクに侵攻した戦争。

フセイン政権は打倒された。


フセイン政権の場所(フセインせいけんのばしょ)
フセイン政権の場所(フセインせいけんのばしょ)

フセイン政権の場所はこの辺り。