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世界史

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ヨーロッパの歴史【高校:世界史】

下に行くほど歴史的に新しい出来事です。

古代ギリシア(こだいギリシア)
古代ギリシア(こだいギリシア)

西欧文明の起源の一つ。

オリンポス12神(オリンポスじゅうにしん)
オリンポス12神(オリンポスじゅうにしん)

古代ギリシア人の宗教。

ゼウスやアポロンなどのオリンポス山上に住むとされる神。人間と同じ姿や感情をもつと考えられた。


エーゲ文明(エーゲぶんめい)
エーゲ文明(エーゲぶんめい)

前3000年頃 - 前1200年頃

エーゲ海周辺で誕生した、オリエントの影響を受けた文明。

エーゲ文明の中で、クレタ文明とミケーネ文明が代表的。

クレタ文明(クレタぶんめい)
クレタ文明(クレタぶんめい)

前2000年 - 前1400年頃

クレタ島を中心に栄えた文明。

オリエントの影響を受けたエーゲ文明の一つ。

エヴァンズらによって発掘された。


エヴァンズ
エヴァンズ

1851年 - 1941年

イギリスの考古学者。

クレタ文明を発掘した。

クノッソス
クノッソス

クレタ島の中心都市。

ミノタウロスの神話で知られる迷宮に擬せて複雑な構造で作られた宮殿が見つかっている。

エヴァンズらによって発掘された。


ミケーネ文明
ミケーネ文明

前1600年 - 前1200年頃

ペロポネソス半島に築かれた文明。

オリエントの影響を受けたエーゲ文明の一つ。

シュリーマンらによって発見された。

シュリーマン
シュリーマン

1822年 - 1890年

ドイツの考古学者。

ミケーネ文明を発見した。

ホメロスの叙述を信じてトロイアの遺跡を発掘した。


トロイア
トロイア

シュリーマンがホメロスの叙述を信じて発掘した遺跡。

線文字
線文字

エーゲ文明で使用された文字。

クレタ文明では線文字Aが、ミケーネ文明では線文字Bが使用された。


フェニキア人
フェニキア人

前12世紀初め頃から海上活動を始めた民族。

現在のレバノンに多数の都市国家を建設していたが、前12世紀以降地中海の会場に進出し、地中海の東西を結ぶ海上交易路を創出した。

セム語派の言語を話す。

セム語派
セム語派

フェニキア語、アラム語、ヘビライ語などが属する語派。


ポリス
ポリス

前8世紀頃、有力貴族のもとに各地で生まれた定住形態(都市国家)。

それぞれが持ち分地(クレーロス)を私有している市民たちの共同体。

各ポリスは独立した国家で、古代ギリシアは小国分立の状態が続き、統一国家を作ることはなかった。

クレーロス
クレーロス

世襲できる個人の所有地。

ポリスは、クレーロスを私有している市民たちの共同体である。


ポリスの市民
ポリスの市民

成人男子のこと。

市民のみが市民集会である民会に出席できた。

奴隷や在留外国人は「市民」に含まれない。

現代の「市民」と意味合いが異なる特権階級。

アゴラ
アゴラ

ポリスの中心部の広場。

ここで市場や集会が開かれ、市民の公共生活の中心となった。


ホメロス
ホメロス

前8世紀頃のギリシアの詩人。

叙事詩『イリアス』や『オデュッセイア』の作者として知られる。

シュリーマンはホメロスの叙述を信じてトロイアの遺跡を発掘した。

イリアス
イリアス

紀元前8世紀頃に成立したにギリシアのホメロスの英雄叙事詩。


ネアポリス
ネアポリス

ギリシア人が南イタリアに建設した植民市。

現在では、南イタリア最大の港湾都市、工業都市であるナポリとして繁栄している。

ローマ
ローマ

ラテン人がティベル川の河畔に建てた都市国家。

神話では前753年に建国したとされる。


ティベル川
ティベル川

ローマはティベル川の河畔にラテン人が建てた都市国家。

ヘシオドス
ヘシオドス

前700年頃

ギリシアの叙事詩人。

神々の系譜をまとめた『神統記』や農耕生活の教訓詩『労働と日々』を著した。


労働と日々(ろうどうとひび)
労働と日々(ろうどうとひび)

ヘシオドスの著。

農耕生活の教訓詩。

ギリシア人が黒海に進出した頃、黒海北岸に遊牧国家を形成していたのはスキタイ
ギリシア人が黒海に進出した頃、黒海北岸に遊牧国家を形成していたのはスキタイ

ギリシア人が黒海に進出した頃、黒海北岸に遊牧国家を形成していたのはスキタイ。


スキタイ
スキタイ

前7世紀~前3世紀

ギリシア人が黒海に進出した頃、黒海北岸に遊牧国家を築いていた騎馬遊牧民。

アテネ
アテネ

古代ギリシアの都市国家。

有力なポリス。


スパルタ
スパルタ

アテネと並び有力なポリス。

リュクルゴスの制
リュクルゴスの制

リュクルゴスの改革によって実施されたスパルタの政体。

これにより軍国主義体制が成立した。


ソロン
ソロン

前640年頃 - 前560年頃

アテネの政治家。ソロンの改革を行った。

ソロンの改革(ソロンのかいかく)
ソロンの改革(ソロンのかいかく)

ソロンが行った改革。

市民団の維持のため、負債を帳消しにして奴隷とされた市民を解放した。また、市民が身体を抵当に貸借をすることを禁止した。


タレス
タレス

前624年頃 - 前546年頃

ギリシアの自然哲学者。

万物の根源は水だとした。

パルテノン神殿(パルテノンしんでん)
パルテノン神殿(パルテノンしんでん)

ペリクレスのもとで建てられたアテネの神殿。

建築様式はドーリア式


ドーリア式(ドーリアしき)
ドーリア式(ドーリアしき)

建築様式のひとつ。

柱の一番上がシンプルなもの。

イオニア式(イオニアしき)
イオニア式(イオニアしき)

建築様式のひとつ。

柱の一番上がちょっとオシャレなもの。


コリント式(コリントしき)
コリント式(コリントしき)

建築様式のひとつ。

柱の一番上がめっちゃオシャレなもの。

フェイディアス
フェイディアス

前5世紀

アテネのパルテノン神殿の本尊である「アテナ女神像」を作った人。


アテナ女神像(あてなめがみぞう)
アテナ女神像(あてなめがみぞう)

アテネのパルテノン神殿の本尊。

フェイディアスが制作した。

ヘラクレイトス
ヘラクレイトス

前544年頃 - ?年

エフェソス出身の哲学者。

万物の根源を「変化」自体とし、その象徴を火とした。

「万物は流転する」という言葉を残した。


万物は流転する(ばんぶつはるてんする)
万物は流転する(ばんぶつはるてんする)

ヘラクレイトスが言ったとされる言葉。

ソフィスト
ソフィスト

前5世紀頃 - 前4世紀初期

アテネを中心に現れた、相手をいかに説得するかの弁論術を教える職業教師のこと。


エトルリア人
エトルリア人

イタリア半島の先住民。

ローマの王政期にはエトルリア人の王が存在した。

ローマの共和制
ローマの共和制

世襲の君主がいない政体。

伝承では前509年にエトルリア人の王を追放して共和制が宣言されたとされる。


コンスル
コンスル

ローマの最高公職のこと。

貴族
貴族

パトリキともいう。

都市国家ローマの上位階層。

要職を独占した。


平民
平民

プレブスともいう。

都市国家ローマの一般市民。

パトリキに対し身分闘争を行った。

平民会
平民会

ローマ。

前5世紀初めに設置された平民のみの民会(議決機関)。


アイスキュロス
アイスキュロス

前525年 - 前456年

アテネの三大悲劇詩人の一人。

代表作は『アガメムノン』。

アガメムノン
アガメムノン

アイスキュロスの代表作。

トロイア戦争におけるギリシア軍総大将アガメムノンが帰国後、妻によって暗殺される悲劇。


ペルシア戦争
ペルシア戦争

前500年 - 前449年

アケメネス朝ペルシアとギリシアの諸ポリスとの間の戦争。

アケメネス朝ペルシアの支配下にあったイオニア地方のポリスが反乱を起こしたのを、アテネなどが支援したことをきっかけにはじまった。

3回に渡るペルシアの侵攻があった。

ギリシア人が勝利した。

マラトンの戦い(マラトンのたたかい)
マラトンの戦い(マラトンのたたかい)

前490年

マラトンでアテネ重装歩兵軍がペルシア軍を破った戦い。

スパルタは宗教祭礼のため参戦していない。


サラミスの海戦
サラミスの海戦

前480年

ギリシアのテミストクレスがアケメネス朝ペルシアを破った戦い。

テミストクレス
テミストクレス

前524年頃 - 前460年頃

アテネの軍人、政治家。

サラミスの海戦でアケメネス朝ペルシアを破った。


三段櫂船(さんだんかいせん)
三段櫂船(さんだんかいせん)

軍船。

サラミスの海戦では、アテネが三段櫂船を用いて戦った。

プラタイアの戦い
プラタイアの戦い

前479年

ペルシア戦争の一局面。

ギリシア連合軍がペルシア陸軍を撃破し、ギリシアの勝利を確定した戦い。


デロス同盟
デロス同盟

前478年頃

ペルシア戦争勝利後、アテネを中心にしてエーゲ海周辺のポリスがペルシアの再侵攻に備えるために結成した軍事同盟。

結果的に同盟に加盟した諸ポリスに対するアテネの支配力が増した。

ペロポネソス同盟
ペロポネソス同盟

前6世紀にスパルタを盟主として結成された軍事同盟。

デロス同盟に対抗した。


ヘロドトス
ヘロドトス

前484年頃 - 前425年頃

小アジア出身のギリシア人歴史家。

「歴史の父」と称される。

ペルシア戦争を主題とする『歴史』を著した。

『歴史』
『歴史』

ヘロドトスが著した歴史書。

ペルシア戦争を主題とする。

諸国の民族史的な要素もあり、物語的な歴史記述をしたとされる。


ソフォクレス
ソフォクレス

前496年頃 - 前406年

アテネの「三大悲劇詩人」の1人。

『オイディプス王』を残した。

デモクリトス
デモクリトス

前460年頃 - 前370年頃

哲学者。

万物の根源を原子(アトム)とした。


ヒッポクラテス
ヒッポクラテス

前460年頃 - 前375年頃

医学者。

「西洋医学の祖」とされる。

ペロポネソス戦争
ペロポネソス戦争

前431年 - 前404年

アテネ中心のデロス同盟とスパルタ中心のペロポネソス同盟の戦争。

スパルタはアケメネス朝ペルシアの支援を受けた。

前404年にアテネは包囲され降伏した。


トゥキディデス
トゥキディデス

前460年頃 - 前400年頃

アテネ出身の歴史家。

ペロポネソス戦争を主題とする『歴史』を著した。

『歴史』
『歴史』

トゥキディデスが著した歴史書。

ペロポネソス戦争を主題とし、史料批判において厳密で科学的な歴史記述をした。

未完。


古代ギリシアの民会(こだいギリシアのみんかい)
古代ギリシアの民会(こだいギリシアのみんかい)

民会とは、古代ギリシアの各ポリスの最高議決機関。

アテネでも成年男性市民による民会が開催された。

プラトン
プラトン

前429年頃 - 前347年

アテネの哲学者。

イデア論を説いた。


イデア
イデア

事象の背後にある永遠不変の実在のこと。

プラトンがイデア論として説いた。

マケドニア
マケドニア

ギリシア北方にあった国。


フィリッポス2世
フィリッポス2世

前382年? - 前336年

マケドニア王(在位:前359年 - 前336年)。

カイロネイアの戦いでアテネ・テーベ連合軍を破り、ギリシア諸ポリスをほぼ制圧した。

カイロネイアの戦い
カイロネイアの戦い

前338年

マケドニアのフィリッポス2世が、アテネ・テーベの連合軍を破った戦い。

これによりマケドニアはギリシア諸ポリスをほぼ制圧した。


アレクサンドロス大王(アレクサンドロスだいおう)
アレクサンドロス大王(アレクサンドロスだいおう)

前356年 - 前323年

マケドニア王(在位:前336年 - 前323年)。

大帝国を築いた。

前4世紀にアケメネス朝ペルシアを滅ぼした。

ヘレニズム文化(ヘレニズムぶんか)
ヘレニズム文化(ヘレニズムぶんか)

ギリシア文化とその模倣のこと。


アリストテレス
アリストテレス

前384年 - 前322年

アレクサンドロスの教育係を務めたギリシアの哲学者。

アレクサンドリア
アレクサンドリア

紀元前4世紀にエジプトに建設された、アレクサンドロス大王の名前を冠した都市。

この都市に開設されたアレクサンドリア図書館は名高く、膨大な蔵書を誇った。


ムセイオン
ムセイオン

アレクサンドリアに設置され、エラトステネスが館長を務めたことでも知られる研究施設。

ゼノン
ゼノン

前335年頃 - 前263年頃

ストア派の開祖。


ストア派(ストアは)
ストア派(ストアは)

ギリシア哲学の一派。

アッピア街道(アッピアかいどう)
アッピア街道(アッピアかいどう)

前312年に建設が開始されたローマとブルンディシウムを結ぶ舗装道路。

「街道の女王」とも呼ばれる。


ホルテンシウス法(ホルテンシウスほう)
ホルテンシウス法(ホルテンシウスほう)

前287年

ローマの法。

これにより、平民会の決議も国法とされた。

アリスタルコス
アリスタルコス

前310年頃 - 前230年頃

ギリシアの天文学者。

地動説を主張した。


タレントゥム
タレントゥム

南イタリアのギリシア人植民市。

前272年、共和制ローマはこの植民市を破ってイタリア半島の征服を完成させた。

ティルス
ティルス

フェニキア人都市。

前9世紀にアフリカ北岸に植民市カルタゴを建設した。


カルタゴ
カルタゴ

フェニキア人都市ティルスが前9世紀にアフリカ北岸に建設した植民市。

地中海西部の海上交通を支配していた。

第1回ポエニ戦争(だいいっかいポエニせんそう)
第1回ポエニ戦争(だいいっかいポエニせんそう)

前264年 - 前241年

ローマとカルタゴとの間で3回行われたポエニ戦争の第1回。

シチリア島を舞台に行われた。

ローマが勝利してシチリアを属州とした。


シチリア島(シチリアとう)
シチリア島(シチリアとう)

イタリア半島南方の島。

第1回ポエニ戦争でローマが勝利した結果、ローマの初の属州となった。

属州(ぞくしゅう)
属州(ぞくしゅう)

イタリア半島以外にあるローマの支配地のこと。

シチリアが初めての属州。


エラトステネス
エラトステネス

前275年頃 - 前194年頃

ギリシアの学者。

ムセイオンの館長を務めた。

「パンと見世物」
「パンと見世物」

ローマ市民たちに食料と娯楽を提供することを表す言い回し。

有力者は選挙権をもつ市民たちの歓心を得ようとした。


第2回ポエニ戦争(だいにかいポエニせんそう)
第2回ポエニ戦争(だいにかいポエニせんそう)

前218年 - 前201年

ローマとカルタゴの間で三度に渡って行われたポエニ戦争の第二回。

ザマの戦いでローマの将軍スキピオがカルタゴの将軍ハンニバルを破り、ローマが勝利した。

この結果、共和政ローマは地中海西部の支配者となった。

スキピオ
スキピオ

前235年頃 - 前183年頃

ローマの将軍。

第2回ポエニ戦争のザマの戦いでハンニバルに勝ち、ローマを勝利に導いた。


ハンニバル
ハンニバル

前247年 - 前183年

カルタゴの将軍。

第2回ポエニ戦争で大軍を率いてローマの本拠地イタリアに侵入し、しばしばローマ軍を破ったが、最終的にザマの戦いでローマ将軍スキピオに敗れた。

ザマの戦い(ザマのたたかい)
ザマの戦い(ザマのたたかい)

前202年

第2回ポエニ戦争の一局面。

カルタゴ本国のザマでローマの将軍スキピオがカルタゴの将軍ハンニバルを破りカルタゴは降伏した。


中小農民の没落(ちゅうしょうのうみんのぼつらく)
中小農民の没落(ちゅうしょうのうみんのぼつらく)

ローマ(イタリア)では、第二回ポエニ戦争に重装歩兵として従軍した中小農民は戦争で疲弊し、属州からの安価な穀物の流入にも圧迫されて没落した。

貴族や騎士階級は彼らの農地や征服地を買い占め、戦争捕虜を奴隷として用いる大農場(ラティフンディア)経営を拡大した。

ラティフンディア
ラティフンディア

農業奴隷を使役し、ブドウやオリーブなどの果樹を栽培した大農場のこと。

第二次ポエニ戦争後のローマ(イタリア)で盛んになった。


ラティフンディアで小麦が生産された(ラティフンディアでこむぎがせいさんされた)
ラティフンディアで小麦が生産された(ラティフンディアでこむぎがせいさんされた)

ラティフンディアで小麦が生産された。

ラティフンディアでオリーヴが生産された(ラティフンディアでオリーヴがせいさんされた)
ラティフンディアでオリーヴが生産された(ラティフンディアでオリーヴがせいさんされた)

ラティフンディアでオリーヴが生産された。


ラティフンディアでブドウが生産された(ラティフンディアでブドウがせいさんされた)
ラティフンディアでブドウが生産された(ラティフンディアでブドウがせいさんされた)

ラティフンディアでブドウが生産された。

ポリビオス
ポリビオス

前200年頃 - 前120年頃

ギリシア人の歴史家。

共和政ローマの政治体制を王政、貴族政、民主政の特長を兼ね備えた混合政体であると述べた。


グラックス兄弟
グラックス兄弟

兄:前162年 - 前132年

弟:前153年 - 前121年

前2世紀後半にローマにおいて中小自営農民層の再建を目指して改革を行った。

第3回ポエニ戦争(だいさんかいポエニせんそう)
第3回ポエニ戦争(だいさんかいポエニせんそう)

前149年 - 前146年

ローマとカルタゴの間で三度に渡って行われたポエニ戦争の第三回。

ローマは、すでに弱体化し、ローマの同盟国、属国となっていたカルタゴの街を徹底的に破壊した。


マリウス
マリウス

前157年頃 - 前86年

ローマで政治派閥の対立、すなわち元老院を支持する閥族派と、民会での投票により政治を行おうとする平民派との対立が表面化した。

マリウスは平民派の代表であり、閥族派のスラと対立した。

この対立は前80年代に激しい内乱を引き起こし、閥族派が勝利した。

スラ
スラ

前138年頃 - 前78年

ローマで政治派閥の対立、すなわち元老院を支持する閥族派と、民会での投票により政治を行おうとする平民派との対立が表面化した。

スラは閥族派の代表であり、平民派のマリウスと対立した。

この対立は前80年代に激しい内乱を引き起こし、閥族派が勝利した。


ポンペイウス
ポンペイウス

前106年頃 - 前48年

スラの死後に勢力を伸ばした三人のうちの一人。

スラの元部下。

もともと閥族派だったが、元老院の多数派と対立するようになり、第1回三頭政治を始めた。

クラッスス
クラッスス

前115年頃 - 前53年

スラの死後に勢力を伸ばした三人のうちの一人。

スラの元部下。

もともと閥族派だったが、元老院の多数派と対立するようになり、第1回三頭政治を始めた。


カエサル
カエサル

前100年頃 - 前44年

スラの死後に勢力を伸ばした三人のうちの一人。

マリウスの妻の甥。

マリウスの縁者のため閥族派から疑われる存在であり、第1回三頭政治を始めた。

第1回三頭政治(だいいっかいさんとうせいじ)
第1回三頭政治(だいいっかいさんとうせいじ)

前60年 - 前53年

元老院の多数派に対抗するため私的政治盟約を結びポンペイウス・カエサル・クラッススが行った政治。

クラッススが遠征中に戦死し、ポンペイウスは元老院多数派と和解してカエサルと対立するようになり解消された。


ガリア遠征(ガリアえんせい)
ガリア遠征(ガリアえんせい)

前58年 - 前51年

カエサルがガリア(現在のフランス・ベルギー)に対して行った軍事遠征。

この成功により、カエサルは大きな政治勢力を持つようになった。

『ガリア戦記』(ガリアせんき)
『ガリア戦記』(ガリアせんき)

カエサル自身が著したガリア遠征の記録。


ユリウス暦(ユリウスれき)
ユリウス暦(ユリウスれき)

前46年に古代ローマで制定された暦。

エジプトの太陽暦をもとにした。

アントニウス
アントニウス

前83年 - 前30年

ローマの政治家。軍人。

第2回三頭政治を行った。


第2回三頭政治(だいにかいさんとうせいじ)
第2回三頭政治(だいにかいさんとうせいじ)

前43年

ローマにおいてアントニウス・レピドゥス・オクタウィアヌスが行った政治。

クレオパトラ
クレオパトラ

プトレマイオス朝エジプトの女王(在位:前51年 - 前30年)。

カエサルと結び弟王を打倒した。

カエサル死後、アントニウスと結ぶがオクタウィアヌスに敗れて自殺した。


アクティウムの海戦
アクティウムの海戦

前31年

オクタウィアヌスがアントニウス・クレオパトラ連合軍を撃破した海戦。

オクタウィアヌス
オクタウィアヌス

前63年 - 後14年

ローマの政治家。

前27年に元老院からアウグストゥス(尊厳者)の尊称が与えられた。ここから帝政ローマがはじまる。


ローマ帝国(ローマていこく)
ローマ帝国(ローマていこく)

前27年 - 1453年

古代、地中海沿岸地方を中心とした帝国。

オクタウィアヌスが元老院よりアウグストゥスの尊称を与えられたことから始まる。

ローマ帝国の場所(ローマていこくのばしょ)
ローマ帝国の場所(ローマていこくのばしょ)

ローマ帝国が繁栄した場所は大体このあたり。


アウグストゥス
アウグストゥス

前27年

元老院がオクタウィアヌスに送った尊称。

「尊厳者」の意味を持つ。

ローマの平和(ローマのへいわ)
ローマの平和(ローマのへいわ)

アウグストゥス帝の時代から五賢帝の時代までの古代ローマの平和の時代または状態のこと。

この時代、ローマ帝国とインドとの間で、モンスーン(季節風)を利用した交易が行われた。


パンテオン
パンテオン

ローマ市にある全ての神々のための神殿。

初代皇帝アウグストゥスの時代に創建されたが火災で焼失し、ハドリアヌス帝によって再建された。

ガリア
ガリア

ローマ帝国の時代、フランスはガリアと呼ばれた。


ガール水道橋(ガールすいどうばし)
ガール水道橋(ガールすいどうばし)

紀元前後に南フランスで建設された、高さ約50m、全長約275mの石造の橋。

ミトラ教(ミトラきょう)
ミトラ教(ミトラきょう)

帝政ローマで流行した宗教。

キリスト教の広がりで衰退した。


イエス
イエス

前4年頃 - 30年頃

ユダヤ教の戒律主義(律法主義)を批判。パリサイ派は形式主義だと批判。

神の絶対愛と隣人愛が大事だと説いた。

総督ピラトによって十字架刑になった。

イエスの死後、キリスト教が成立した。

隣人愛(りんじんあい)
隣人愛(りんじんあい)

キリスト教の倫理。

他者への愛。


パリサイ派(パリサイは)
パリサイ派(パリサイは)

ユダヤ教の一派。

イエスに形式主義だと批判された。

ピラト
ピラト

?年 - ?年

ローマ領ユダヤの総督(在職:26年 - 36年)。

イエスを十字架刑にした人。


キリスト教(キリストきょう)
キリスト教(キリストきょう)

イエスの十字架刑後、イエスが復活したという信仰が生まれキリスト教が成立した。

新約聖書(しんやくせいしょ)
新約聖書(しんやくせいしょ)

キリスト教の聖典。

コイネー(古代ギリシア語)で書かれていた。


新約聖書はコイネーで書かれる
新約聖書はコイネーで書かれる

新約聖書はコイネー(古代ギリシア語)で書かれていた。

ネロ
ネロ

37年 - 68年

ローマ皇帝(在位:54年 - 68年)。

暴君。

最初のキリスト教迫害の実施者。


セネカ
セネカ

前4年頃 - 後65年

ストア派思想家。

皇帝ネロの家庭教師。

ペテロ
ペテロ

? - 64年頃

「ローマの平和」の時代にキリスト教を広めた人。

初代教皇。


パウロ
パウロ

? - 65年頃

「ローマの平和」の時代にキリスト教を広めた人。

ネロのキリスト教迫害
ネロのキリスト教迫害

64年

ローマの皇帝ネロはローマ市大火の犯人をキリスト教徒として迫害した。


五賢帝(ごけんてい)
五賢帝(ごけんてい)

ローマの最盛期に在位した五人の優れた皇帝のこと。

ネルヴァ、トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニヌス=ピウス、マルクス=アウレリウス=アントニヌスの五人。

ネルヴァ
ネルヴァ

30年 - 98年

ローマ帝国の皇帝(在位:96年 - 98年)。

五賢帝の一人。


トラヤヌス
トラヤヌス

53年 - 117年

ローマ帝国の皇帝(在位:98年 - 117年)。

五賢帝の一人。

トラヤヌス帝の下で、ローマ帝国の版図が最大となった。

タキトゥス
タキトゥス

55年頃 - 120年頃

ローマの歴史家。元老院議員。

『年代記』を著す。


『年代記』(ねんだいき)
『年代記』(ねんだいき)

55年頃 - 120年頃

タキトゥスの歴史書。

アウグストゥスの死からネロの死までの間に起った宮廷内での陰謀や内外の戦役といった出来事を年ごとに記述した。

ハドリアヌス
ハドリアヌス

76年 - 138年

ローマ帝国の皇帝(在位:117年 - 138年)。

五賢帝の一人。

対外政策を拡大策から防衛を重視する国境安定策に転換した。


アントニヌス=ピウス
アントニヌス=ピウス

86年 - 161年

ローマ帝国の皇帝(在位:138年 - 161年)。

五賢帝の一人。

マルクス=アウレリウス=アントニヌス
マルクス=アウレリウス=アントニヌス

121年 - 180年

ローマ帝国の皇帝(在位:161年 - 180年)。

五賢帝の一人。


大秦王安敦(たいしんおうあんとん)
大秦王安敦(たいしんおうあんとん)

ローマ皇帝マルクス=アウレリウス=アントニヌスの中国名。

166年に大秦王安敦の使者と称する者が、日南郡(現在のベトナム中部)に到着した。

年号の覚え方は「行(1)け!無(6)理無(6)理言うんじゃねぇ!!大秦王安敦の使者日南郡到着」です。

コロッセウム
コロッセウム

ローマ市にある、剣闘士の試合のための闘技場。


コロッセウムがあるのはローマ
コロッセウムがあるのはローマ

コロッセウムがあるのはローマです。

プトレマイオス
プトレマイオス

100年頃 - 170年頃

ギリシアの天文学者。

『天文学大全』を著したことで知られる。


シャープール1世(シャープールいっせい)
シャープール1世(シャープールいっせい)

? - 272年

ササン朝ペルシア第2代の王(在位:241年頃 - 272年頃)。

ローマ軍を破り、皇帝ウァレリアヌスを捕虜とした。

ディオクレティアヌス帝(ディオクレティアヌスてい)
ディオクレティアヌス帝(ディオクレティアヌスてい)

245年頃 - 313年頃

ローマ帝国皇帝(在位:284年 - 305年)。

専制君主制(ドミナトゥス)を始めた。

キリスト教の大迫害を行った。


専制君主制(せんせいくんしゅせい)
専制君主制(せんせいくんしゅせい)

「ドミナトゥス」ともいう。

ディオクレティアヌス帝が始めた巨大な官僚制による皇帝の支配の体制。

ディオクレティアヌス帝の大迫害(ディオクレティアヌスていのだいはくがい)
ディオクレティアヌス帝の大迫害(ディオクレティアヌスていのだいはくがい)

303年 - 313年

ディオクレティアヌス帝はキリスト教徒を迫害した。


カタコンベ
カタコンベ

地下墓所。

迫害を受けていた時代にはキリスト教徒によって礼拝に用いられた。

コロヌス
コロヌス

ローマ時代の小作人。

奴隷を使った農場経営の効率が悪くなり、解放奴隷や没落農民が代わりにコロヌスとして使役されるようになった。


コロナトゥス
コロナトゥス

コロヌスに移動を禁じて使役した体制。

帝政ローマ後期にラティフンディアに代わって発達した。

コンスタンティヌス
コンスタンティヌス

280年頃 - 337年

ローマ帝国の皇帝(在位:306年 - 337年)。

313年にキリスト教を公認した。

ニケーア公会議を招集し、アタナシウス派を正統とした。


キリスト教の公認
キリスト教の公認

313年

ローマ帝国において、コンスタンティヌス帝がミラノ勅令によりキリスト教を公認した。

年号の覚え方は「再(31)三(3)イジメたキリスト認める」です。

ニケーア公会議
ニケーア公会議

325年

コンスタンティヌス帝が開いた公会議。

キリスト教においてアタナシウス派を正統とした。


アタナシウス派
アタナシウス派

キリスト教の一派。

神、イエス、精霊の三者は本質的には一体であるとする三位一体説を唱えた。

ニケーア公会議で正統とされた。

アリウス派
アリウス派

キリスト教の一派。

イエスを人間であるとした。

ニケーア公会議で異端とされた。


テオドシウス
テオドシウス

347年 - 395年

ローマ皇帝(在位:379年 - 395年)。

アタナシウス派キリスト教を国教とした。

フン人(フンじん)
フン人(フンじん)

西方に移動した匈奴の未商と言われている民族。

フン族とも呼ばれる。

ヨーロッパに到達して375年にゲルマン人の大移動を引き起こした。


テオドシウス帝がローマ帝国を東西に分割する
テオドシウス帝がローマ帝国を東西に分割する

395年

テオドシウス帝が死に際してローマ帝国を東西に分割して2人の息子に分け与えて西ローマ帝国と東ローマ帝国が誕生した。

ビザンツ帝国(ビザンツていこく)
ビザンツ帝国(ビザンツていこく)

395年 - 1453年

東ローマ帝国とも言う。

395年に東西に分裂したローマ帝国の東方の帝国。

首都はコンスタンティノープル。


コンスタンティノープル
コンスタンティノープル

東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の首都。

コンスタンティノープルの旧称ビザンティウムにちなんで、東ローマ帝国はビザンツ帝国と別称されることがある。

アウグスティヌス
アウグスティヌス

354年 - 430年

西方キリスト教会で最も重要な人物。教父。思想家。

若い頃にはマニ教に関心を示していたが、キリスト教に回心した。

膨大な著作が中世西欧世界に大きな影響を及ぼした。

「ゲルマン人の大移動が始まりヨーロッパが混乱したのはローマ人が伝統的な宗教を捨てキリスト教を受け入れた罰」という見方に対して著者『神の国』で反論した。

都市ヒッポで攻め寄せてきた部族集団ヴァンダルに包囲される中、その生涯を閉じた。


神の国(かみのくに)
神の国(かみのくに)

アウグスティヌスの著作。

この書でアウグスティヌスは「ゲルマン人の大移動が始まりヨーロッパが混乱したのはローマ人が伝統的な宗教を捨てキリスト教を受け入れた罰」という見方に反論した。

ヴァンダル
ヴァンダル

部族集団。

ヒッポを攻めた後、数年後にはカルタゴも征服した。


西ゴート国(にしゴートこく)
西ゴート国(にしゴートこく)

415年 - 711年

スペインを支配した国。

エフェソス公会議(エフェソスこうかいぎ)
エフェソス公会議(エフェソスこうかいぎ)

431年

この公会議でネストリウス派を異端とした。


ネストリウス派(ネストリウスは)
ネストリウス派(ネストリウスは)

キリスト教の一派。

中国では景教と呼ばれた。

アッティラ
アッティラ

406年? - 453年

フン族の王(在位:433年 - 453年)。

フン族を統一した。

パンノニアを中心に帝国を建てた。

西ヨーロッパに軍を進めたが、西ローマ帝国とゲルマン人の連合軍に敗れた。


ヴァンダル王国(ヴァンダルおうこく)
ヴァンダル王国(ヴァンダルおうこく)

435年 - 534年

北アフリカのゲルマン人国家。

東ローマ(ビザンツ)帝国に滅ぼされた。

オドアケル
オドアケル

433年 - 493年

ゲルマン人の傭兵隊長。

476年、皇帝アウグストゥルスを退位させ、西ローマ帝国を滅ぼした。


オドアケルが西ローマ帝国を滅ぼす
オドアケルが西ローマ帝国を滅ぼす

476年

傭兵隊長オドアケルが皇帝アウグストゥルスを退位させ西ローマ帝国を滅ぼした。

クローヴィス
クローヴィス

465年頃 - 511年

5世紀後半に全フランクを統一したフランク王国の初代国王(在位:481年 - 511年)。


フランク王国(フランクおうこく)
フランク王国(フランクおうこく)

481年建国。

クローヴィスが建国した国。

クローヴィス王がローマ教会の教義を受け入れ改宗し、ローマ人貴族層の支持を得たため、力をつけていった。

後に条約により国は三分割され、ドイツ、フランス、イタリアの起源となった。

メロヴィング朝(メロヴィングちょう)
メロヴィング朝(メロヴィングちょう)

481年 - 751年

フランク王国における最初の王朝。

クローヴィスのフランク統一によって成立した。


東ゴート王国(ひがしゴートおうこく)
東ゴート王国(ひがしゴートおうこく)

493年 - 555年

オドアケルを破ってイタリアに建てられたゲルマン国家。

東ローマ(ビザンツ)帝国に滅ぼされた。

ユスティニアヌス大帝(ユスティニアヌスたいてい)
ユスティニアヌス大帝(ユスティニアヌスたいてい)

483年頃 - 565年

ビザンツ(東ローマ)帝国の皇帝(在位:527年 - 565年)。

地中海世界を再統一して全盛を誇った。

ヴァンダル王国と東ゴート王国を滅ぼした。

内政面では『ローマ法大全』の編纂、ハギア=ソフィア聖堂の建立、養蚕業を取り入れて絹織物産業を発展させるなどした。


ビザンツ帝国がヴァンダル王国を滅ぼす
ビザンツ帝国がヴァンダル王国を滅ぼす

534年

ビザンツ(東ローマ)帝国が北アフリカのゲルマン人国家であるヴァンダル王国を滅ぼした。

ローマ法大全(ローマほうたいぜん)
ローマ法大全(ローマほうたいぜん)

万民に適用される法律の集大成。

ユスティニアヌス大帝が法学者トリボニアヌスらに編纂させた。


ハギア=ソフィア聖堂(ハギア=ソフィアせいどう)
ハギア=ソフィア聖堂(ハギア=ソフィアせいどう)

537年

ユスティニアヌス大帝がもとの聖堂よりも壮大な規模にして建立した聖堂。

養蚕(ようさん)
養蚕(ようさん)

ユスティニアヌス大帝は中国から養蚕技術を取り入れて絹織物産業の発展の基盤を作った。


ビザンツ帝国が東ゴート王国を滅ぼす
ビザンツ帝国が東ゴート王国を滅ぼす

555年

ビザンツ(東ローマ)帝国がイタリアのゲルマン人国家である東ゴート王国を滅ぼした。

サン=ヴィターレ聖堂(サン=ヴィターレせいどう)
サン=ヴィターレ聖堂(サン=ヴィターレせいどう)

北イタリアのラヴェンナにある聖堂。

ユスティニアヌス大帝とその皇后テオドラのモザイク壁画がある。


ランゴバルド王国の成立(ランゴバルドおうこくのせいりつ)
ランゴバルド王国の成立(ランゴバルドおうこくのせいりつ)

568年

ユスティニアヌスの死後、衰退したビザンツ(東ローマ)帝国から北イタリアを奪ってランゴバルド王国が成立した。

ランゴバルド王国(ランゴバルドおうこく)
ランゴバルド王国(ランゴバルドおうこく)

568年 - 774年

北イタリアに成立した国。


バルカン半島(バルカンはんとう)
バルカン半島(バルカンはんとう)

バルカン半島はここらへん。

ユスティニアヌス死後、ビザンツ(東ローマ)帝国の統治地域であったバルカン半島にはスラブ人やブルガール人が侵入した。

ブルガール人(ブルガールじん)
ブルガール人(ブルガールじん)

ユスティニアヌス大帝の死後、ビザンツ帝国は領土を縮小し、バルカン半島にもブルガール人やスラブ人が移住してビザンツ帝国を圧迫した。


ブルガリア王国(ブルガリアおうこく)
ブルガリア王国(ブルガリアおうこく)

681年にバルカン半島でブルガール人が建てた王国。

ギリシア語
ギリシア語

7世紀以降、ビザンツ帝国の公用語はギリシア語になった。


ビザンツ帝国とササン朝の抗争(ビザンツていこくとササンちょうのこうそう)
ビザンツ帝国とササン朝の抗争(ビザンツていこくとササンちょうのこうそう)

7世紀

ビザンツ帝国とササン朝の抗争が続き、ササン朝は一時、ビザンツ帝国の統治地域であったエジプトやシリアを奪った。

ビザンツ帝国は新興のイスラーム勢力にエジプトとシリアを奪われた(ビザンツていこくはしんこうのイスラームせいりょくにエジプトとシリアをうばわれた)
ビザンツ帝国は新興のイスラーム勢力にエジプトとシリアを奪われた(ビザンツていこくはしんこうのイスラームせいりょくにエジプトとシリアをうばわれた)

7世紀

ビザンツ帝国は新興のイスラーム勢力にエジプトとシリアを奪われた。


軍管区制(ぐんかんくせい)
軍管区制(ぐんかんくせい)

7世紀 - 11世紀

異民族の侵入に対処するためのビザンツ(東ローマ)帝国の制度。

帝国をいくつかの軍管区にわけ、そこの司令官に軍事・行政の両権を与えた。

テマ制ともいう。

屯田兵世(とんでんへいせい)
屯田兵世(とんでんへいせい)

軍管区制のもとに行われたビザンツ(東ローマ)帝国の制度。

農民に土地を与える代わりに兵役義務を課した。


五本山(ごほんざん)
五本山(ごほんざん)

総大司教座が置かれたローマ、コンスタンティノープル、イェルサレム、アンティオキア、アレクサンドリアの五つの教会の総称。

ウマイヤ朝が西ゴート王国を滅ぼす
ウマイヤ朝が西ゴート王国を滅ぼす

711年

ウマイヤ朝が西ゴート王国を滅ぼした。


レオン3世
レオン3世

685年頃 - 741年

ビザンツ皇帝(在位:717年 - 741年)。

726年に聖像禁止令を出した。

聖像禁止令(せいぞうきんしれい)
聖像禁止令(せいぞうきんしれい)

726年

ビザンツ帝国で、皇帝のレオン三世が出した法令。

イエスや聖母などの聖像の禁止と破壊を命じた。

年号の覚え方は「なに(72)無(6)理やり破壊しようとしてるの?ビザンツのレオン3世聖像禁止」です。

この法令は843年に否定された。


ピピン
ピピン

714年 - 768年

メロヴィング朝を廃してカロリング朝を建てた人。

カール大帝の父。

いわゆる「ピピンの寄進」でラヴェンナ地方をローマ教皇に寄進した。

カロリング朝
カロリング朝

751年 - 987年

ピピンがメロヴィング朝を廃して建てた、フランク王国2番目の王朝。

8世紀半ばに成立。


ピピンの寄進(ピピンのきしん)
ピピンの寄進(ピピンのきしん)

754年、756年

ローマ教皇がフランク王国新王権を承認した返礼として、ピピンがランゴバルド王国を攻撃してイタリアのラヴェンナ地方などをローマ教皇に献上した出来事。

後ウマイヤ朝(こうウマイヤちょう)
後ウマイヤ朝(こうウマイヤちょう)

756年 - 1031年

イベリア半島に逃れたアブドゥル=ラフマーン1世がウマイヤ朝を再興した。これを後ウマイヤ朝という。

首都はコルドバ。


イベリア半島(イベリアはんとう)
イベリア半島(イベリアはんとう)

イベリア半島はヨーロッパの西端の半島です。

コルドバ
コルドバ

後ウマイヤ朝の首都。


カール大帝
カール大帝

742年頃 - 814年

フランク王国の国王(在位:768年 - 814年)。

ピピンの子。

800年にローマ教皇に帝冠を授かった。

アーヘン
アーヘン

カロリング=ルネサンスの中心地の都市。

カールの王国の宮廷があり、アルクインなどが訪れた。


アヴァール人
アヴァール人

カール大帝が東の地で戦ったアルタイ語系の民族。

カール大帝は彼らを破り勢力範囲を広げた。

伯(はく)
伯(はく)

広大な領地を治めるため、カール大帝は地方豪族を各州の長官に任命した。

この長官職の事。


カール大帝がランゴバルド王国を滅ぼす
カール大帝がランゴバルド王国を滅ぼす

774年

カール大帝がイタリアに跋扈していたランゴバルド王国を滅ぼした。

レオ3世
レオ3世

?年 - 816年

ローマ教皇(在位:795年 - 816年)。

800年に「カールの戴冠」を行った。


カールの戴冠(カールのたいかん)
カールの戴冠(カールのたいかん)

800年

サン=ピエトロ大聖堂でローマ教皇レオ3世がカールにローマ皇帝の帝冠を与えた。

七王国(しちおうこく)
七王国(しちおうこく)

6世紀末ごろから9世紀までイギリスに存在したアングロ=サクソン人が建てた7つの王国。

ケント、サセックス、エセックス、ウェセックス、イーストアングリア、マーシア、ノーサンブリアの七国。


エグバート
エグバート

775年? - 839年

ウェセックスの王。

アングロ=サクソン七王国を829年に統一した。

アルフレッド大王
アルフレッド大王

849年頃 - 899年

アングロ=サクソン王家のイングランド王(在位:871年 - 899年)。

デーン人の侵入を撃退した。


デーン人
デーン人

デンマーク地方からイングランドに侵入を繰り返したノルマン人の一派。

ノルマンディー公国
ノルマンディー公国

911年

ノルマン人首領のロロが北フランスのノルマンディー地方に建てた国。

1259年にフランスに併合された。


オットー1世
オットー1世

912年頃 - 973年

オットー1世が皇帝となって神聖ローマ帝国が成立した。

神聖ローマ帝国(しんせいローマていこく)
神聖ローマ帝国(しんせいローマていこく)

962年頃 - 1806年

ドイツ国家の呼称。


神聖ローマ帝国の場所(しんせいローマていこくのばしょ)
神聖ローマ帝国の場所(しんせいローマていこくのばしょ)

ここらへん。

領邦国家(りょうほうこっか)
領邦国家(りょうほうこっか)

神聖ローマ帝国(ドイツ)を構成した小国家群の呼称。


カペー朝(カペーちょう)
カペー朝(カペーちょう)

987年 - 1328年

フランスの王朝。

ユーグ=カペーが創始した。

ユーグ=カペー
ユーグ=カペー

938年頃 - 996年

フランス王。カペー朝を創始した(在位:987年 - 996年)。


プロノイア制(プロノイアせい)
プロノイア制(プロノイアせい)

ビザンツ帝国で11世紀頃から行われ始め、社会に大きな変容をもたらした制度。

有力貴族に軍役奉仕の代償として本人一代に限り国有地の管理権をゆだね、国税収入を給付した制度。

十分の一税(じゅうぶんのいちぜい)
十分の一税(じゅうぶんのいちぜい)

農民が収穫や畜産物の約10%を教会におさめる税。

西欧で行われた制度。


ハンガリー王国
ハンガリー王国

1000年にマジャール人が建てた王国。

クヌート
クヌート

995年頃 - 1035年

デンマーク王の息子。

イングランドを征服し、デーン朝(1016年 - 1042年)を開いた。

デンマーク王位を継承後、ノルウェーも支配した。

カヌートとも呼ばれる。


レコンキスタ
レコンキスタ

711年 - 1492年

イベリア半島を占拠したイスラーム勢力に対して行われた、キリスト教徒による国土回復運動。

この過程でポルトガル・スペイン両国が成立した。

カスティリャ王国
カスティリャ王国

1035年 - 1479年

イベリア半島の王国。

レコンキスタの一環としてウマイヤ朝のイスラム教徒と戦い、首都コルドバを奪った。

1143年にカスティリャ王国の一部が独立してポルトガル王国となった。

カスティリャ王国は1479年にアラゴン王国と統合してスペイン王国となった。


カスティリャ王国の場所
カスティリャ王国の場所

ここらへん。

アラゴン王国
アラゴン王国

1035年 - 1479年

イベリア半島北東部のキリスト教国。

1479年にカスティリャ王国と統合してスペイン王国となった。


キリル文字
キリル文字

ギリシア教会が作成した文字。

スラヴ人への布教のために作った。

ギルド
ギルド

11世紀以降、中世都市で結成された商工業者の組合。

商人ギルドと同職ギルドの二種類がある。


商人ギルド(しょうにんギルド)
商人ギルド(しょうにんギルド)

大商人からなるギルド。

同職ギルド(どうしょくギルド)
同職ギルド(どうしょくギルド)

経営者である親方のみに参加を許されたギルド。

商人ギルドに対抗した。


ノルマンディー公ウィリアム
ノルマンディー公ウィリアム

1027年頃 - 1087年

1066年にイングランドを征服してノルマン朝を建てた。

ノルマン朝初代国王(在位:1066年 - 1087年)となる。

バイユーの刺繍画(バイユーのししゅうが)
バイユーの刺繍画(バイユーのししゅうが)

ノルマンディー公ウィリアムによるイングランド征服の様子が描かれている。

バイユーのタペストリともいう。


ローランの歌(ローランのうた)
ローランの歌(ローランのうた)

11世紀末ごろ成立。

フランス最古の叙事詩。

カール大帝の時代を題材としている。

フランドル地方
フランドル地方

今日のベルギーを中心とした地域。

イングランドから羊毛を輸入し、毛織物産業を中心に繁栄した。


シャンパーニュ地方
シャンパーニュ地方

中世に定期市で栄えた。

ヴェネツィア
ヴェネツィア

アドリア海の最奥に位置する海港都市。

東方貿易(東地中海世界における交易活動)を行い、香辛料の取引で栄えた。


ヴェネツィアの場所
ヴェネツィアの場所

ここです。

ピサ
ピサ

イタリアの中西部に位置する海港都市。

東地中海世界における交易活動を行っていた。


ウルバヌス2世(ウルバヌスにせい)
ウルバヌス2世(ウルバヌスにせい)

1042年頃 - 1099年

ローマ教皇(在位:1088年 - 1099年)。

第1回十字軍を呼びかけた。

第1回十字軍(だいいっかいじゅうじぐん)
第1回十字軍(だいいっかいじゅうじぐん)

1096年 - 1099年

イスラム教徒からイェルサレムを奪還した。


イェルサレム
イェルサレム

パレスチナ地方の都市。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地。

第1回十字軍によって占領された。

イェルサレム王国
イェルサレム王国

1099年 - 1291年

第1回十字軍によってパレスチナ地方に建設された国。

後に、アイユーブ朝のサラディンにイェルサレムを占領され、1291年には最後の拠点であるアッコンをマムルーク朝に奪われて滅亡した。


ジェノヴァ
ジェノヴァ

後にヴェネツィアのライバルと称されるようになる海港都市。

第1回十字軍とともに東地中海世界へと進出した。

テンプル騎士団
テンプル騎士団

1119年

イェルサレムで創設された宗教騎士団。


サンチャゴ=デ=コンポステラ
サンチャゴ=デ=コンポステラ

11世紀~12世紀にキリスト教徒による聖地巡礼熱が高まったが、その際の三大巡礼地の一つ。

他の二つはイェルサレムとローマ。

イブン=ルシュド
イブン=ルシュド

1126年 - 1198年

コルドバ出身の哲学者。医学者。

ムワッヒド朝に仕えた。

アリストテレスの作品に高度な注釈を施したことで知られる。

アヴェロエスというラテン名でも知られる。


ノルマン人
ノルマン人

シチリア王国を建国した。

シチリア王国
シチリア王国

1130年 - 1816年

シチリアでノルマン人が創始した王国。

シチリア王国成立以前は、シチリアはアラブ人によって支配されていた。シチリア王国が成立しモスクがキリスト教の教会になった。


ポルトガル王国
ポルトガル王国

1143年 - 1910年

カスティリャ王国から自立したイベリア半島西部の国。

ヘンリ2世(ヘンリにせい)
ヘンリ2世(ヘンリにせい)

1133年 - 1189年

プランタジネット朝を開いたイングランド王(在位:1154年 - 1189年)。


プランタジネット朝(プランタジネットちょう)
プランタジネット朝(プランタジネットちょう)

1154年 - 1399年

ヘンリ2世が開いたイギリスの王朝。

インノケンティウス3世(インノケンティウスさんせい)
インノケンティウス3世(インノケンティウスさんせい)

1160年 - 1216年

ローマ教皇(在位:1198年 - 1216年)。

ジョン王を破門した。

アルビジョワ十字軍を提唱し、フランス王ルイ9世によってアルビジョワ派の討伐が達成された。


ジョン王(ジョンおう)
ジョン王(ジョンおう)

1167年 - 1216年

プランタジネット朝第3代のイングランド王(在位:1199年 - 1216年)。

ヘンリ2世の子。

1215年に大憲章(マグナ=カルタ)を認めた。

十字軍がコンスタンティノープルを奪ってラテン帝国をたてる
十字軍がコンスタンティノープルを奪ってラテン帝国をたてる

1204年

第4回十字軍がビザンツ帝国の首都であるコンスタンティノープルを奪ってラテン帝国を建てた。

ビザンツ帝国は国内が混乱した。


ラテン帝国
ラテン帝国

1204年 - 1261年

第4回十字軍がビザンツ帝国の首都であるコンスタンティノープルを奪って建てた国。

第4回
第4回

コンスタンティノープルを奪ってラテン帝国を建てたのは第4回十字軍。

覚え方は「マジ死(4)ね十字軍、ラテン帝国建国」です。ビザンツ帝国がマジ切れしてるところを想像してください。


フランチェスコ会(フランチェスコかい)
フランチェスコ会(フランチェスコかい)

1209年頃発足した托鉢修道会。

フランシスコ会ともいう。

従来の修道会は人里離れたところに設置されていたが、托鉢修道会は都市の中で世俗の人々と交わり托鉢しながら活動した。

ドミニコ会も同じ特徴を持っている。

インノケンティウス3世がジョン王を破門する(インノケンティウスさんせいがジョンおうをはもんする)
インノケンティウス3世がジョン王を破門する(インノケンティウスさんせいがジョンおうをはもんする)

1209年

ローマ教皇インノケンティウス3世がプランタジネット朝第3代であるイングランド王のジョン王を破門した。


アルビジョワ十字軍(アルビジョワじゅうじぐん)
アルビジョワ十字軍(アルビジョワじゅうじぐん)

1209年 - 1229年

インノケンティウス3世の提唱により、フランス国王のルイ9世が、キリスト教異端のカタリ派(アルビジョワ派)を殲滅するために南フランスに進攻した戦い。

アルビジョワ派は滅んだ。

カタリ派(カタリは)
カタリ派(カタリは)

キリスト教異端の一派。

「アルビジョワ派」はカタリ派の南フランスでの呼ばれ方。

インノケンティウス3世の提唱によるアルビジョワ十字軍によって征服された。


大憲章(だいけんしょう)
大憲章(だいけんしょう)

1215年

財政困難に陥っていたイギリスのジョン王は重税を課そうとしたが貴族らに反対され、新課税に大貴族や高位聖職者の会議での同意が必要であることなどを定めた「大憲章」を認めた。

「マグナ=カルタ」ともいう。

フリードリヒ2世
フリードリヒ2世

1194年 - 1250年

神聖ローマ帝国皇帝(在位1215年 - 1250年)。

シチリア王国の国王でもある。

第5回十字軍でアイユーブ朝のスルタンと休戦協定を結んで、一時イェルサレムを回復した。


ドミニコ会(ドミニコかい)
ドミニコ会(ドミニコかい)

1216年に創立された托鉢修道会。

従来の修道会は人里離れたところに設置されていたが、托鉢修道会は都市の中で世俗の人々と交わり托鉢しながら活動した。

フランチェスコ会も同じ特徴を持っている。

ヘンリ3世(ヘンリさんせい)
ヘンリ3世(ヘンリさんせい)

1207年 - 1272年

プランタジネット朝第4代イングランド王(在位:1216年 - 1272年)。

ジョン王の子。


ヘンリ3世が大憲章を無視する(ヘンリさんせいがだいけんしょうをむしする)
ヘンリ3世が大憲章を無視する(ヘンリさんせいがだいけんしょうをむしする)

ヘンリ3世が大憲章を無視してシモン=ド=モンフォールに反乱を起こされた。

シモン=ド=モンフォール
シモン=ド=モンフォール

1208年頃 - 1265年

イギリスの貴族。

大憲章を無視したヘンリ3世に対して反乱を起こした。


ルイ9世
ルイ9世

1214年 - 1270年

カペー朝フランスの国王(在位:1226年 - 1270年)。

アルビジョワ派の討伐はインノケンティウス3世の治世中には成し遂げられなかったが、ルイ9世によって討伐が達成された。

シモン=ド=モンフォールがヘンリ3世に反乱を起こす(シモン=ド=モンフォールがヘンリさんせいにはんらんをおこす)
シモン=ド=モンフォールがヘンリ3世に反乱を起こす(シモン=ド=モンフォールがヘンリさんせいにはんらんをおこす)

シモン=ド=モンフォールが貴族を率いて、大憲章を無視したヘンリ3世に対して反乱を起こし、従来の大貴族と高位聖職者の会議に、州の騎士や都市の代表を加えた会議が招集された。

これがイギリス議会の起源とされる。


ナスル朝グラナダ王国(ナスルちょうグラナダおうこく)
ナスル朝グラナダ王国(ナスルちょうグラナダおうこく)

1232年頃 - 1492年

イベリア半島最後のイスラム王朝。

アルハンブラ宮殿(アルハンブラきゅうでん)
アルハンブラ宮殿(アルハンブラきゅうでん)

ナスル朝の都であるグラナダに建設されたスペイン=イスラーム建築の代表。


ワールシュタットの戦い(ワールシュタットのたたかい)
ワールシュタットの戦い(ワールシュタットのたたかい)

1241年

バトゥ率いるモンゴル軍がドイツ・ポーランド連合軍を破った戦い。

バトゥ
バトゥ

1207年 - 1255年

モンゴルのヨーロッパ遠征軍の総司令官。

ワールシュタットの戦いでドイツ・ポーランド連合軍を破る。

キプチャク=ハン国を建てた。


プラノ=カルピニ
プラノ=カルピニ

1182年頃 - 1252年

修道士。

ローマ教皇はプラノ=カルピニを大モンゴル国に派遣(1245年 - 1247年)した。

ハンザ同盟
ハンザ同盟

13世紀から16世紀にかけて北欧の商業圏を支配した中世ドイツの都市同盟。

盟主はリューベック。


リューベック
リューベック

ドイツの都市。

ハンザ同盟の盟主。

ルブルック
ルブルック

1220年頃 - 1293年

修道士。

フランス国王ルイ9世の使節として大モンゴル国を訪れ、1254年にモンゴル帝国第4代皇帝モンケに会って帰国した。


ロジャー=ベーコン
ロジャー=ベーコン

1214年頃 - 1294年

イギリスの自然科学者。スコラ科学者。

トマス=アクィナス
トマス=アクィナス

1225年頃 - 1274年

神学者。

中世スコラ学を大成し、『神学大全』を著した。


神学大全(しんがくたいぜん)
神学大全(しんがくたいぜん)

1266年~1267年刊。

トマス=アクィナスが著した書。

マルコ=ポーロ
マルコ=ポーロ

1254年~1324年

商人。旅行家。

1271年に出発し、途中フビライに仕えるなどし、1295年に帰国した。

『世界の記述』で知られる。


世界の記述(せかいのきじゅつ)
世界の記述(せかいのきじゅつ)

マルコ=ポーロの旅行記。

『東方見聞録』(とうほうけんぶんろく)という名でも知られる。

エドワード1世
エドワード1世

1239年 - 1307年

プランタジネット朝第5代の王(在位:1272年 - 1307年)。

シモン=ド=モンフォールを倒して実権を握った。

模範議会を招集した。


ナポリ王国(ナポリおうこく)
ナポリ王国(ナポリおうこく)

1282年 - 1816年

13世紀末にシチリア王国から分離独立しナポリを中心に南イタリアを支配した国。

模範議会(もはんぎかい)
模範議会(もはんぎかい)

1295年

エドワード1世が招集した身分制議会。

当時の身分社会を模範的に反映していたことからこう呼ばれる。


アナーニ事件(アナーニじけん)
アナーニ事件(アナーニじけん)

1303年

フランス王フィリップ4世が聖職者への課税に反対した教皇ボニファティウス8世を捕らえた事件。

モンテ=コルヴィノ
モンテ=コルヴィノ

1247年 - 1328年

修道士。

13世紀末にカトリックの布教のために元に派遣され、1307年に元の首都である大都の大司教に任ぜられた。


ダンテ
ダンテ

1265年 - 1321年

イタリアの詩人。

1307年からトスカナ語で『神曲』を著した。

神曲(しんきょく)
神曲(しんきょく)

1307年 - 1321年作。

イタリアの詩人ダンテが著した叙事詩。


羅針盤の改良(らしんばんのかいりょう)
羅針盤の改良(らしんばんのかいりょう)

中国で発明された羅針盤は、14世紀初頭にヨーロッパで改良・実用化された。

エドワード3世
エドワード3世

1312年 - 1377年

プランタジネット朝のイギリス王(在位:1327年 - 1377年)。

フランス王位の継承権を主張して、フランスと百年戦争を始めた。


百年戦争(ひゃくねんせんそう)
百年戦争(ひゃくねんせんそう)

1339年 - 1453年

イギリスとフランスの間で断続的に行われた戦争。

フランスが勝利した。

クレシーの戦い
クレシーの戦い

1346年

イギリスがフランスを破った戦い。


ボッカチオ
ボッカチオ

1313年 - 1375年

イタリアの作家。

『デカメロン』などを著した。

デカメロン
デカメロン

1348年 - 1353年作。

ボッカチオの短編小説集。

王侯や聖職者を厳しく風刺した。


上院(じょういん)
上院(じょういん)

イギリスで14世紀半ばに成立した、高位聖職者・大貴族を代表する議院。

下院(かいん)
下院(かいん)

イギリスで14世紀半ばに成立した、州と都市の代表からなる議院。


ジェントリ
ジェントリ

イギリスにおける地方の有力者。

州の代表として下院に登場した。

後に絶対王政を支えることになる。

ジャックリーの乱(ジャックリーのらん)
ジャックリーの乱(ジャックリーのらん)

1358年

フランスで起こった農民反乱。


オスマン帝国がアドリアノープルを奪い都とする
オスマン帝国がアドリアノープルを奪い都とする

1366年

オスマン帝国のムラト1世がビザンツ帝国のアドリアノープルを奪い、1453年まで都とした。

黒死病(こくしびょう)
黒死病(こくしびょう)

14世紀後半以降、数度にわたりヨーロッパで流行した疫病。


教会大分裂(きょうかいだいぶんれつ)
教会大分裂(きょうかいだいぶんれつ)

1378年 - 1417年

ローマとアヴィニョンにそれぞれローマ教皇が立ち、カトリック教会が分裂した状態のこと。

ワット=タイラーの乱(ワット=タイラーのらん)
ワット=タイラーの乱(ワット=タイラーのらん)

1381年

百年戦争期、イギリスで起こった反乱。


チョーサー
チョーサー

1340年頃 - 1400年

イギリスの詩人。

1387年ごろから『カンタベリー物語』を執筆した。

カンタベリー物語
カンタベリー物語

1387年 - 1400年に執筆。

イギリスの詩人チョーサーの物語詩。


カルマル同盟
カルマル同盟

1397年

デンマーク、スウェーデン、ノルウェーによる同君連合。

コンスタンツ公会議(コンスタンツこうかいぎ)
コンスタンツ公会議(コンスタンツこうかいぎ)

1414年 - 1418年

ドイツのコンスタンツで開かれた公会議。ウィクリフとフスを異端とした。


ウィクリフ
ウィクリフ

1320年? - 1384年

イギリスの神学者。

コンスタンツ公会議で異端とされた。

フス
フス

1370年頃 - 1415年

ボヘミアの神学者。

コンスタンツ公会議で異端とされた。


神学(しんがく)
神学(しんがく)

中世ヨーロッパの知識階級において学ぶことが重視された学問。

ブランデンブルク辺境伯領(ブランデンブルクへんきょうはくりょう)
ブランデンブルク辺境伯領(ブランデンブルクへんきょうはくりょう)

エルベ川以東の地には、12世紀から14世紀にかけてドイツ人による大規模な植民が行われた。その結果、ブランデンブルク辺境伯領などが創設された。


フィレンツェ
フィレンツェ

毛織物業や金融業で栄えた。

ルネサンスの中心地。

ルネサンス
ルネサンス

中世末期に教会とローマ教皇の権威が衰退すると、ギリシア・ローマの古典文化を模範とする知識人達によって、人間の個性や自由な生き方を求める新しい考えが生まれ、多くの芸術作品や発明や思想を生み出す文化運動が展開された。

14世紀にイタリアで始まったこの風潮をルネサンスと言う。

ルネサンスはフランス語で「再生」「復活」を意味する。

16世紀までにはヨーロッパ全土に広まった。


ルネサンスはなぜイタリアで始まったのか
ルネサンスはなぜイタリアで始まったのか

イタリアは東方貿易や毛織物業で都市が繁栄し、古代ローマの伝統が残りながらイスラーム文明やビザンツ文明も流入していたから。

メディチ家(メディチけ)
メディチ家(メディチけ)

金融業で財を成し、イタリアのフィレンツェの支配権を握った富裕商人。

ルネサンスを積極的に支援した。


ブルネレスキ
ブルネレスキ

1377年 - 1446年

建築家。彫刻家。

サンタ=マリア大聖堂の大円蓋を設計した。

クリム=ハン国(クリム=ハンこく)
クリム=ハン国(クリム=ハンこく)

1430年頃 - 1783年

オスマン帝国の宗主権下で黒海北岸地域を支配した、キプチャク=ハン国の流れをくむ国。

ロシアのエカチェリーナ2世に併合されることで滅んだ。


グーテンベルク
グーテンベルク

1400年頃 - 1468年頃

ドイツの技術者。

1450年頃に活版印刷術を発明した。

オスマン帝国がビザンツ帝国を滅ぼした
オスマン帝国がビザンツ帝国を滅ぼした

1453年

オスマン帝国がコンスタンティノープルを占領し、ビザンツ帝国を滅ぼした。

このため、多くの学者がイタリアに避難し、フィレンツェで古代ギリシア思想の研究が進んだ。


1453年に百年戦争が終わる(1453ねんにひゃくねんせんそうがおわる)
1453年に百年戦争が終わる(1453ねんにひゃくねんせんそうがおわる)

1453年

イギリスとフランスとの間で行われた百年戦争が終わった。

覚え方は「いーよ(14)降参(53)百年戦争終結」です。

ちなみに、ビザンツ帝国が滅んだ年も同じ年。

スペイン王国
スペイン王国

1479年にカスティリャ王国とアラゴン王国の統合により成立した王国。


ボッティチェリ
ボッティチェリ

1444年頃 - 1510年

イタリアの画家。

『春』や『ヴィーナスの誕生』を制作した。

ヴィーナスの誕生
ヴィーナスの誕生

1485年

ボッティチェリの作品。


バルトロメウ=ディアス
バルトロメウ=ディアス

1450年頃 - 1500年

ポルトガルの船乗り。

ポルトガル王家の支援の下、1488年にアフリカの南端を確認した。

コロンブス
コロンブス

1451年 - 1506年

ジェノヴァ出身の船乗り。

スペイン国王の支援を受けて、1492年にサンサルバドル島に到達し、「アメリカ大陸」を発見した。


イサベル
イサベル

1451年 - 1504年

カスティリャの女王。

1479年にカスティリャとアラゴンが合併した後はスペインの共同統治者。

貿易でポルトガルに遅れをとっていたため、西回りで香辛料の産地インドに到達する計画を持ち込んできたコロンブスを支援した。

グラナダ
グラナダ

スペイン南部の都市。ナスル朝の首都。

イベリア半島のイスラーム勢力最後の拠点だったが、1492年に攻略された。

これによりレコンキスタが完了した。


トルデシリャス条約
トルデシリャス条約

1494年

ポルトガルとスペインの海外領土分割条約。

イタリア戦争(イタリアせんそう)
イタリア戦争(イタリアせんそう)

1494年 - 1559年

イタリア支配を巡ったフランス王家とハプスブルク家の戦争。

これによりイタリアのルネサンスは衰退した。


ハプスブルク家(ハプスブルクけ)
ハプスブルク家(ハプスブルクけ)

オーストリア王家。

1438年からは神聖ローマ皇帝位をほぼ世襲した。

ヴァスコ=ダ=ガマ
ヴァスコ=ダ=ガマ

1469年頃 - 1524年

ポルトガルの航海者。

1498年にインドのカリカットに到達した。


リスボン
リスボン

ポルトガルの首都。

ヴァスコ=ダ=ガマのインド航路の開拓により、香辛料貿易で繁栄した。

コサック
コサック

15世紀にウクライナ地方に流入・定着した、騎馬や銃で武装し、自治的な集団を形成したスラヴ系を中心とする多様な人びと。


カブラル
カブラル

1467年頃 - 1520年頃

ポルトガルの航海者。

1500年にブラジルに漂着し、ここをポルトガル領と宣言した。

アメリゴ=ヴェスプッチ
アメリゴ=ヴェスプッチ

1454年 - 1512年

フィレンツェの航海者。

コロンブスが到達したのはアジアの一部ではなく「新大陸」だという「発見」をした。

新大陸は「アメリゴ=ヴェスプッチ」の名前にちなみ「アメリカ」という名前になった。


ミケランジェロ
ミケランジェロ

1473年 - 1564年

イタリアの画家。

ヴァチカン宮殿のシスティナ礼拝堂に「最後の審判」を描いた。

サン=ピエトロ大聖堂の改築にも携わった。

他に有名な作品として『ダビデ像(彫刻)』『ピエタ(彫刻)』など。

ピエタ
ピエタ

ミケランジェロが作った彫刻。


ダビデ像(ダビデぞう)
ダビデ像(ダビデぞう)

ミケランジェロが作った彫刻。

最後の審判(さいごのしんぱん)
最後の審判(さいごのしんぱん)

ミケランジェロがシスティナ礼拝堂に描いた天井画。


ミケランジェロがサン=ピエトロ大聖堂の改築に関わる(ミケランジェロがサン=ピエトロだいせいどうのかいちくにかかわる)
ミケランジェロがサン=ピエトロ大聖堂の改築に関わる(ミケランジェロがサン=ピエトロだいせいどうのかいちくにかかわる)

ミケランジェロがサン=ピエトロ大聖堂の改築に関わった。

ラファエロ
ラファエロ

1483年 - 1520年

イタリアの画家。建築家。

多くの聖母子像で知られる。

代表作に『アテナイの学堂』など。


アテナイの学堂(アテナイのがくどう)
アテナイの学堂(アテナイのがくどう)

ラファエロの作品。

ヘンリ8世(ヘンリはっせい)
ヘンリ8世(ヘンリはっせい)

1491年 - 1547年

チューダー朝第2代イングランド王(在位:1509年 - 1547年)。

後にイギリス国教会を作る。


ゴア
ゴア

インド西岸の港市。

1510年からポルトガル領。

ポルトガルがアジア貿易の拠点とした。

ザビエルがアジア布教の拠点とした。

ゴアの場所
ゴアの場所

ここです。


エラスムス
エラスムス

1466年頃 - 1536年

ネーデルラントの人文学者。

「人文主義の王者」と称せられた。

1511年に『愚神礼賛』を著した。

ホルバインと友達。

愚神礼賛(ぐしんらいさん)
愚神礼賛(ぐしんらいさん)

1511年刊

エラスムスの著。


ホルバイン
ホルバイン

1497年 - 1543年

ドイツの画家。

エラスムスと友達。

エラスムスの紹介でイギリスに渡り、後に宮廷画家となった。

代表作は「エラスムス像」。

「エラスムス像」
「エラスムス像」

ホルバインが友人のエラスムスを描いたもの。

参考
《エラスムス》 | ルーヴル美術館 | パリ


遠近法(えんきんほう)
遠近法(えんきんほう)

15世紀の前半に絵画では遠近法が確立し、写実主義の基礎となった。

マキァヴェリ
マキァヴェリ

1469年 - 1527年

イタリアの政治家。

『君主論』を著した。


君主論
君主論

1513年ごろに書かれ、1532年刊行。

マキァヴェリの著作。

イタリア統一の重要性を訴えた。

バルボア
バルボア

1475年頃 - 1519年

南米植民都市の総督であったスペイン人探検家。

1513年、黄金を求めてパナマ地峡を探検していくなかで、太平洋を「発見」し、大西洋から太平洋へ至る道筋があることを確認した。


カルロス1世(カルロスいっせい)
カルロス1世(カルロスいっせい)

1500年 - 1558年

スペイン国王(在位:1516年 - 1556年)。

1519年に神聖ローマ皇帝に選出(在位:1519年 - 1556年)され、神聖ローマ皇帝としてはカール5世を名乗った。

贖宥状(しょくゆうじょう)
贖宥状(しょくゆうじょう)

カトリック教が信徒に購入させた、罪に対する罰の免除証書。

教皇がサン=ピエトロ大聖堂の新築資金を集めるために販売させた。

1517年、ルターがこれを批判し、宗教改革が始まった。


サン=ピエトロ大聖堂(サン=ピエトロだいせいどう)
サン=ピエトロ大聖堂(サン=ピエトロだいせいどう)

教皇レオ10世がサン=ピエトロ大聖堂建築の資金集めのために贖宥状(免罪符)を販売したのをルターが批判したことをきっかけに、宗教改革が始まった。

ルター
ルター

1483年頃 - 1546年

ドイツのヴィッテンベルク大学の神学教授。

九十五カ条の論題で贖宥状販売を批判した。

信仰の拠り所を聖書のみに求める彼の姿勢は教皇の権威、教会制度自体を否定するものであった。

宗教改革は各地に波及したが、カトリック側も対抗宗教改革で勢力を立て直し、その後各地で宗教戦争が勃発した。


九十五カ条の論題(きゅうじゅうごかじょうのろんだい)
九十五カ条の論題(きゅうじゅうごかじょうのろんだい)

1517年

ルターがドイツ中部にあるヴィッテンベルクの城教会の扉に掲示して発表した贖宥状を批判する内容の文書。

ラテン語で書かれてた。

これが宗教改革の開始とされる。

ヴィッテンベルク
ヴィッテンベルク

1517年にルターが九十五カ条の論題を発表した都市はヴィッテンベルク。


ラテン語(ラテンご)
ラテン語(ラテンご)

「九十五カ条の論題」はラテン語で書かれていた。

ラテン語は中世ヨーロッパの知識階級において学ぶことが重視された言語。

スペイン
スペイン

南ヨーロッパのイベリア半島に位置する国。

帝国主義時代の1519年ごろからメキシコを統治下においた。


メキシコ
メキシコ

北アメリカ南部に位置する国。

帝国主義時代の1519年ごろから、スペインの統治下に置かれた。

ツヴィングリ
ツヴィングリ

1484年 - 1531年

1519年にスイスのチューリヒ市で宗教改革を始めた。


ツヴィングリが宗教改革を始めたのはチューリヒ
ツヴィングリが宗教改革を始めたのはチューリヒ

1519年

ツヴィングリはスイスの都市チューリヒで宗教改革を始めた。

マゼラン
マゼラン

1480年頃 - 1521年

ポルトガルの航海者。

モルッカ諸島に至り香料を得る計画で1519年に5隻の船団を率いて出航。

マゼランは途中でラプラプと戦い亡くなったが、残る一隻がスペインに帰着し、世界で初めて世界一周をなしとげた。


モルッカ諸島
モルッカ諸島

マゼランが目指した香料の特産地。

カール5世(カールごせい)
カール5世(カールごせい)

1500年 - 1558年

神聖ローマ皇帝(在位:1519年 - 1556年)。スペイン国王としてはカルロス1世と呼ばれる。

1521年にルターを帝国議会に召喚したけど、ルターが自説を撤回しなかったのでムカついてルターは異端、っていうことにした。


ルターが新約聖書をドイツ語に翻訳した(ルターがしんやくせいしょをドイツごにほんやくした)
ルターが新約聖書をドイツ語に翻訳した(ルターがしんやくせいしょをドイツごにほんやくした)

1522年

ルターが新約聖書をドイツ語に翻訳した。

ミュンツァー
ミュンツァー

1490年頃 - 1525年

ルターの説に影響されてドイツ農民戦争を指導した人。


ドイツ農民戦争(ドイツのうみんせんそう)
ドイツ農民戦争(ドイツのうみんせんそう)

1524年

ドイツで起きた大規模な農民反乱。

ルターは当初この農民戦争を支持していたが、やがて諸侯の側についたので農民からは「ルターの裏切り」と呼ばれた。

1525年に鎮圧された。

ルターがドイツ農民戦争で諸侯の側についた理由(ルターがドイツのうみんせんそうでしょこうのがわについたりゆう)
ルターがドイツ農民戦争で諸侯の側についた理由(ルターがドイツのうみんせんそうでしょこうのがわについたりゆう)

ルターは最初、農民蜂起に同情的だったが、農民が農奴制の廃止などを求めると、「キリスト者の自由」とは内面的なものであって、現世の秩序は神が定めた守るべきもの、と考えたから。


第1次ウィーン包囲(だいいちじウィーンほうい)
第1次ウィーン包囲(だいいちじウィーンほうい)

1529年

オスマン帝国のスレイマン1世が12万の精鋭でハプスブルク帝国の都ウィーンを包囲した事件。

イタリア戦争でハプスブルク家と戦っていたフランスと友好関係を結んで実行した。

寒冷化により約20日後に撤退した。

ラブレー
ラブレー

1494年頃 - 1553年頃

フランス=ルネサンス期の作家。

著作『ガルガンチュアとパンタグリュエルの物語』で教会を批判した。


『ガルガンチュアとパンタグリュエルの物語』
『ガルガンチュアとパンタグリュエルの物語』

1532年 - 1552年にかけてラブレーが書いた滑稽本。

物語の中に教会批判が含まれている。

ヘンリ8世がイギリス国教会を作る(ヘンリはっせいがイギリスこっきょうかいをつくる)
ヘンリ8世がイギリス国教会を作る(ヘンリはっせいがイギリスこっきょうかいをつくる)

1534年

チューダー朝第2代イングランド王(在位:1509年 - 1547年)のヘンリ8世は妻に健康な男児が生まれなかったので、愛人と結婚するために離婚しようとしたけど、カトリックでは離婚が禁止されていて、ローマ教皇も離婚を認めてくれない。じゃあローマ教会から独立するわ、ってことでイギリス国教会を作った。


イギリス国教会(イギリスこっきょうかい)
イギリス国教会(イギリスこっきょうかい)

1534年

ローマ教会(カトリック)から独立したイギリスの国教会。

ヘンリ8世は離婚問題で教皇と対立し、首長法で国教会を成立させた。

イエズス会(イエズスかい)
イエズス会(イエズスかい)

1534年設立

宗教改革に直面したカトリック教会側の対抗宗教改革の一環。

スペインのイグナティウス=ロヨラが結成。

ヨーロッパのみならず海外でも宣教活動を行い、カトリックの勢力回復に貢献した。


イグナティウス=ロヨラ
イグナティウス=ロヨラ

1491年 - 1556年

カトリック系のイエズス会を設立し、世界各地に宣教師を派遣した。

カルヴァン
カルヴァン

1509年 - 1564年

フランスの宗教改革者。

ジュネーヴ市で宗教改革を行った。

また、カルヴァンの予定説は勤勉な商工業者を生み出した。


ジュネーヴ
ジュネーヴ

スイスの西端。フランス語圏。

カルヴァンが宗教改革を行った所。

予定説(よていせつ)
予定説(よていせつ)

カルヴァンは「その人の魂が救われるか救われないかは神の意志によってあらかじめ定められている」という予定説を唱えた。

「救われることが定められている人は、自ら禁欲的に働くはずだ」という考えの下、予定説は勤勉な商工業者を生み出した。


『キリスト教綱要』(キリストきょうこうよう)
『キリスト教綱要』(キリストきょうこうよう)

1536年

カルヴァンの主著。

コペルニクス
コペルニクス

1473年 - 1543年

ポーランドの天文学者・聖職者。

地動説(太陽を中心として、地球やその他の天体が回っているとする説)を唱えた。

物事の見方が根本的に変わることを「コペルニクス的転回」と言うんだけど、「コペルニクスといえば『コペルニクス的転回』→物事の見方が根本的に変わること→当時の常識は天動説(地球が宇宙の中心で、天体が周りをまわってるとする説)→その見方が根本的に変わったという事は、地動説を唱えた人!」と覚えてください。


ザビエル
ザビエル

1506年頃 - 1552年

スペイン出身のイエズス会の宣教師。

インドのゴアを拠点に1549年に日本に来航しキリスト教の布教を行った。

ゴア
ゴア

インド西岸の港市。

ポルトガルがアジア貿易の拠点とした。

ザビエルがアジア布教の拠点とした。


トリエント公会議(トリエントこうかいぎ)
トリエント公会議(トリエントこうかいぎ)

1545年から1563年にかけて開かれた、やたら長い会議。

宗教改革に直面したカトリック教会側の対抗宗教改革の一環。

カトリックの教義の再確認を行った。

エドワード6世(エドワードろくせい)
エドワード6世(エドワードろくせい)

1537年 - 1553年

イングランド王(在位:1547年 - 1553年)。

イギリス国教会にカルヴァン派の教義を取り入れた。


平戸(ひらど)
平戸(ひらど)

日本の九州・長崎県北西部の島。

1550年にポルトガル船が来航し、以後スペイン、オランダ、イギリスの船も来航。南蛮貿易が開始された。

アウクスブルクの和議(アウクスブルクのわぎ)
アウクスブルクの和議(アウクスブルクのわぎ)

1555年

アウクスブルクの和議の成立により、ドイツの諸侯はカトリック派とルター派のどちらかを選択できるようになった。

ただし、領民個人に選択の自由はなかった。


領邦教会制(りょうほうきょうかいせい)
領邦教会制(りょうほうきょうかいせい)

神聖ローマ帝国でルター派諸侯が採った教会制度。

領邦君主が教会に対して支配・監督した。

フェリペ2世(フェリペにせい)
フェリペ2世(フェリペにせい)

1527年 - 1598年

スペイン国王(在位:1556年 - 1598年)。

カトリック化政策をとり新教徒を弾圧した。

スペインの最盛期を築き「太陽の沈まぬ国」と言われた。


太陽の沈まぬ国(たいようのしずまぬくに)
太陽の沈まぬ国(たいようのしずまぬくに)

世界各地に領土を所有した世界帝国スペインはこう呼ばれた。

ラス=カサス
ラス=カサス

1474/84年 - 1566年

スペインの聖職者。

アメリカ大陸でスペイン人が先住民を虐待するのを目撃し、平和的な布教に尽力した。


エリザベス1世(エリザベスいっせい)
エリザベス1世(エリザベスいっせい)

1533年 - 1603年

イングランド女王(在位:1558年 - 1603年)。

統一法を制定して国教会を確立した。

統一法(とういつほう)
統一法(とういつほう)

英国国教会の礼拝と祈祷を統一する法律。


ピューリタン
ピューリタン

16~17世紀のイングランドにおいて、イギリス国教会の宗教改革をさらに徹底して推し進めようとしたプロテスタントの総称。

司教制度を維持し、国王が宗教信仰に介入する国教会を批判した。

モンテーニュ
モンテーニュ

1533年 - 1592年

フランスの人文主義者。

『エセー』を著す。


ユグノー(ユグノー)
ユグノー(ユグノー)

フランスのカルヴァン派教徒のこと。

ユグノー戦争(ユグノーせんそう)
ユグノー戦争(ユグノーせんそう)

1562年 - 1598年

フランスで起こった宗教戦争。

スペイン国王フェリペ2世によるネーデルラントへの軍隊派遣やエリザベス1世治下のイギリスによるプロテスタント支援など国際的に展開した。

1598年のナントの王令により終結した。


オランダ独立戦争(オランダどくりつせんそう)
オランダ独立戦争(オランダどくりつせんそう)

1568年 - 1609年

スペインに対してネーデルラントの新教徒を主体とする抵抗運動。

1609年に事実上の独立を達成。

国際的に承認されたのは1648年のウェストファリア条約の時。

サンバルテルミの虐殺
サンバルテルミの虐殺

1572年

旧教徒が新教徒を多数殺害した事件。

カトリーヌ=ド=メディシスも了解を与えていたとされるが、ユグノーの団結はむしろ強まった。


カトリーヌ=ド=メディシス
カトリーヌ=ド=メディシス

1519年 - 1589年

フランス王アンリ2世の妃。

サンバルテルミの虐殺を主導した。

ユトレヒト同盟(ユトレヒトどうめい)
ユトレヒト同盟(ユトレヒトどうめい)

1579年

オランダ独立戦争において、南部10州が戦線離脱したのを受け、結束強化のため北部7州が結成した同盟。


ボーダン
ボーダン

1530年 - 1596年

フランスの思想家。

主著『国家論』で主権という概念を定式化した。

ブルボン朝(ブルボンちょう)
ブルボン朝(ブルボンちょう)

1589年 - 1792年、1814年 - 1830年

フランスの王朝。

1792年フランス革命の第一共和政開始で一度途絶えた。


ナントの王令(ナントのおうれい)
ナントの王令(ナントのおうれい)

1598年

ユグノー戦争を終結させた王令。

プロテスタントからカトリックへ改宗した国王アンリ4世が発布した。

弾圧対象となっていたユグノーに対して、条件付きながらも礼拝の自由、公職就任など、信仰の自由を認めた。

帰納法(きのうほう)
帰納法(きのうほう)

事実の観察を重んじ、そこから法則を導きだす方法。


経験論(けいけんろん)
経験論(けいけんろん)

認識や知識は先天的に備わるのではなく、経験からのみ得られるとする説。

フランシス=ベーコン
フランシス=ベーコン

1561年 - 1626年

イギリスの哲学者。

帰納法による経験論を説いた。


ウィリアム=シェークスピア
ウィリアム=シェークスピア

1564年 - 1616年

イギリスの詩人。劇作家。

ウィリアム=シェークスピアが生きた時代にステュアート朝イングランドが成立した。

ガリレオ=ガリレイ
ガリレオ=ガリレイ

1564年 - 1642年

イタリアの物理学者。天文学者。

ピサ大聖堂の斜塔で、物体落下の実験(重力実験)を行った。


イタリアでのルネサンスの衰退(イタリアでのルネサンスのすいたい)
イタリアでのルネサンスの衰退(イタリアでのルネサンスのすいたい)

イタリア戦争による荒廃や、商業革命により経済の中心が大西洋岸諸国に移ったため、イタリアでは16世紀末になるとルネサンスは衰退した。

イギリス東インド会社(イギリスひがしインドがいしゃ)
イギリス東インド会社(イギリスひがしインドがいしゃ)

1600年に設立された特権的貿易会社。

喜望峰からインド・マゼラン海峡にかけての貿易独占権を付与された。


マテオ=リッチ
マテオ=リッチ

1552年 - 1610年

イエズス会の宣教師。

明で布教を進め『坤輿万国全図』を作成した。

坤輿万国全図(こんよばんこくぜんず)
坤輿万国全図(こんよばんこくぜんず)

マテオ=リッチが作成し、1602年に中国で刊行された世界地図。


ステュアート朝(ステュアートちょう)
ステュアート朝(ステュアートちょう)

1371年 - 1714年

元々はスコットランドの王朝。1603年にイングランドの王朝も兼ねるようになった。

イングランドとスコットランドの同君連合(イングランドとスコットランドのどうくんれんごう)
イングランドとスコットランドの同君連合(イングランドとスコットランドのどうくんれんごう)

1603年

同君連合とは複数国の君主が同一人物である状態・体制のこと。

1603年にイングランドとスコットランドは同君連合になった。


王権神授説(おうけんしんじゅせつ)
王権神授説(おうけんしんじゅせつ)

王の権力は神から与えられた神聖不可侵のものとする説。

ステュアート朝のジェームズ1世は王権神授説を唱えて議会を無視する傾向を強めた。

フランスがケベックに植民地を建設する(フランスがケベックにしょくみんちをけんせつする)
フランスがケベックに植民地を建設する(フランスがケベックにしょくみんちをけんせつする)

1608年

フランスはケベック(カナダ東部の州のひとつ)に植民地を建設した。


植民地(しょくみんち)
植民地(しょくみんち)

ある国からの移住者(植民者)による政治的・経済的な支配下にある地域のこと。

バロック
バロック

17世紀の西欧美術の時代様式。


ルーベンス
ルーベンス

1577年 - 1640年

バロック絵画最大の巨匠。

フランドル出身で、外交官活動も兼ねつつ各国の宮廷で活動した。

ルーベンスはバロック絵画の巨匠
ルーベンスはバロック絵画の巨匠

ルーベンスはバロック絵画の巨匠。


エル=グレコ
エル=グレコ

1541年 - 1614年

画家。

クレタ島出身。

ヴェネツィアでの活動後トレドに拠点を移した。

セルバンテス
セルバンテス

1547年 - 1616年

スペインの小説家。

『ドン=キホーテ』を著した。


ドン=キホーテ
ドン=キホーテ

セルバンテスの小説。

前編を1605年刊行。後編を1615年刊行。

休戦条約(きゅうせんじょうやく)
休戦条約(きゅうせんじょうやく)

1609年

オランダ独立戦争の結果、オランダはスペインとの12年間の休戦条約の締結に成功し、事実上の独立を達成した。

国際的に承認されたのは1648年のウェストファリア条約のとき。

年号の覚え方は「人(1)、無(6)理なく(0)休(9)戦条約、スペインざまあ、オランダ独立」です。


ルイ13世(ルイじゅうさんせい)
ルイ13世(ルイじゅうさんせい)

1601年 - 1643年

ブルボン朝第2代フランス国王(在位:1610年 - 1643年)。

宰相がリシュリュー。

リシュリュー
リシュリュー

1585年 - 1642年

ルイ13世の宰相。

1635年にアカデミー=フランセーズというアカデミーを設立した。


三十年戦争(さんじゅうねんせんそう)
三十年戦争(さんじゅうねんせんそう)

1618年 - 1648年

ドイツを戦場としてヨーロッパ諸国が参戦した宗教戦争。

様々な国が参戦する国際戦争となったが、フランス対ハプスブルク家による覇権争いに転化した。

1648年ウェストファリア条約で終結した。

ヴァレンシュタイン
ヴァレンシュタイン

1583年 - 1634年

傭兵隊長。

三十年戦争で神聖ローマ皇帝軍として旧教側に立ち、新教側のスウェーデンのグスタフ=アドルフらと戦った。


グスタフ=アドルフ
グスタフ=アドルフ

1594年 - 1632年

スウェーデン国王(在位:1611年 - 1632年)。

新教徒側として三十年戦争に介入し、ヴァレンシュタインと戦った。

ピルグリム=ファーザーズ
ピルグリム=ファーザーズ

1620年

ジェームズ1世のピューリタン弾圧に対し、宗教的自由を求めてイギリスから北アメリカへ移住したピューリタンを中心とする人々のこと。


オランダがバタヴィアを拠点とする
オランダがバタヴィアを拠点とする

オランダ東インド会社は東南アジアのジャワ島のバタヴィアを拠点とし、ポルトガル商人を締め出した。

デカルト
デカルト

1596年 - 1650年

フランスの哲学者・数学者。

演繹法による合理論を打ち立てた。


演繹法(えんえきほう)
演繹法(えんえきほう)

数学的論証を用いる。

合理論(ごうりろん)
合理論(ごうりろん)

理性で確認できることのみを真実とした。


ベラスケス
ベラスケス

1599年 - 1660年

画家。

厨房画などの庶民的画題から出発。1623年に国王フェリペ4世の宮廷画家に任用されて画風転換し、代表作『女官たち(ラス・メニーナス)』などを描いた。

チャールズ1世(チャールズいっせい)
チャールズ1世(チャールズいっせい)

1600年 - 1649年

イングランド国王(在位:1625年 - 1649年)。

イギリス革命の発端を作り、1649年に議会派に処刑された。


ファン=ダイク
ファン=ダイク

1599年 - 1641年

ルーベンスの工房の筆頭助手を経て自立。

1630年代にイギリスに渡りチャールズ1世の宮廷画家として活動した。

イギリス革命(イギリスかくめい)
イギリス革命(イギリスかくめい)

1640年 - 1660年

イギリス絶対王政を崩壊させた市民革命。

ピューリタン革命」とも呼ばれる。


王党派(おうとうは)
王党派(おうとうは)

イギリス革命における国王支持派。

議会派(ぎかいは)
議会派(ぎかいは)

イギリス革命で王党派と戦った。

ピューリタン(イギリスにおけるカルヴァン派の呼ばれ方)が多かった。


クロムウェル
クロムウェル

1599年 - 1658年

イギリスの軍人、政治家。

鉄騎隊を組織した。

鉄騎隊(てっきたい)
鉄騎隊(てっきたい)

ピューリタン革命においてクロムウェルが率いた騎兵隊。


レンブラント
レンブラント

1606年 - 1669年

オランダの画家。

多数の自画像や通称『夜警』などの集合肖像画、さらに神話画や風景画も手掛けた。

「光と影の画家」とも呼ばれる。

自然法思想(しぜんほうしそう)
自然法思想(しぜんほうしそう)

自然状態において存在し、人間の本性にもとづく普遍の法。

この思想によれば、自然状態において自由かつ平等な個人が取り結ぶ契約、すなわち社会契約が国家の起源であるとされる。


社会契約説(しゃかいけいやくせつ)
社会契約説(しゃかいけいやくせつ)

自然状態において自由かつ平等な個人が取り結ぶ契約、すなわち社会契約によって国家が始まったとする説。

グロティウス
グロティウス

1583年 - 1645年

オランダの法学者、政治家。

自然法思想を国家間の関係に適用し、「近代国際法の祖」と呼ばれた。


古典主義(こてんしゅぎ)
古典主義(こてんしゅぎ)

17世紀にフランスを中心に展開された形式美の文学。

悲劇作家のコルネイユ、ラシーヌ、喜劇作家のモリエールらが有名。

コルネイユ
コルネイユ

1606年 - 1684年

フランス古典主義の悲劇作家。

代表作に『ル=シッド』など。


ルイ14世(ルイじゅうよんせい)
ルイ14世(ルイじゅうよんせい)

1638年 - 1715年

ブルボン朝第3代フランス国王(在位:1643年 - 1715年)。

ヴェルサイユ宮殿を建設した。

ヴェルサイユ宮殿(ヴェルサイユきゅうでん)
ヴェルサイユ宮殿(ヴェルサイユきゅうでん)

ルイ14世が建てたバロック様式の宮殿。


ウェストファリア条約(ウェストファリアじょうやく)
ウェストファリア条約(ウェストファリアじょうやく)

1648年

三十年戦争の講和条約。

スイスとオランダの独立が国際的に承認された。

ウェストファリア条約でスイスとオランダの独立を承認する(ウェストファリアじょうやくでスイスとオランダのどくりつをしょうにんする)
ウェストファリア条約でスイスとオランダの独立を承認する(ウェストファリアじょうやくでスイスとオランダのどくりつをしょうにんする)

ウェストファリア条約でスイスとオランダの独立が国際的に承認された。


チャールズ一世処刑(チャールズいっせいしょけい)
チャールズ一世処刑(チャールズいっせいしょけい)

1649年

議会派がチャールズ1世を処刑した。

アイルランド征服(アイルランドせいふく)
アイルランド征服(アイルランドせいふく)

1649年

アイルランドを王党派の拠点とみなしてクロムウェルが征服し、事実上植民地とした。


モリエール
モリエール

1622年 - 1673年

フランス古典主義の喜劇作家。

代表作に『人間嫌い』『守銭奴』など。

ラシーヌ
ラシーヌ

1639年 - 1699年

フランス古典主義の悲劇作家。

代表作に『アンドロマック』『フェードル』など。


ホッブズ
ホッブズ

1588年 - 1679年

イギリスの哲学者、政治学者。

自然状態を「万人の万人に対する闘い」ととらえて、国家主権の絶対性を承認した。

「万人の万人に対する闘い」(ばんにんのばんにんにたいするたたかい)
「万人の万人に対する闘い」(ばんにんのばんにんにたいするたたかい)

ホッブズの主著『リヴァイアサン』の中の言葉。

ホッブズは自然状態を「万人の万人に対する闘い」ととらえて、国家主権の絶対性を承認した。


リヴァイアサン
リヴァイアサン

1651年発刊。

ホッブズの主著。

この中でホッブズは「万人の万人に対する闘い」という言葉を使った。

航海法(こうかいほう)
航海法(こうかいほう)

1651年

イギリスでクロムウェル政権が制定した法。

イギリスと植民地・ヨーロッパ諸国間の貿易ではイギリスか相手国の船を使用することを定めた。

中継貿易で繁栄するオランダの船の排除を狙い、イギリス貿易の保護・促進を目的としたもの。


イギリス=オランダ戦争(イギリス=オランダせんそう)
イギリス=オランダ戦争(イギリス=オランダせんそう)

1652年 - 1674年

イギリスとオランダの間で3回に渡り行われた戦争。

全般的にイギリスが優勢だった。

英蘭戦争ともいう。

フェルメール
フェルメール

1632年 - 1675年

オランダの画家。

光の描写の革新性により、印象派登場前夜に再評価を受けた。


フランスが東インド会社を再建する(フランスがひがしインドがいしゃをさいけんする)
フランスが東インド会社を再建する(フランスがひがしインドがいしゃをさいけんする)

1664年

コルベールにより、フランスの東インド会社が再建された。

年号の覚え方は「人(1)『無(6)理無(6)理』仕(4)方なく俺が再建、フランスの東インド会社」です。

ミルトン
ミルトン

1608年 - 1674年

イギリスの詩人。作家。

『失楽園』の作者。


『失楽園』(しつらくえん)
『失楽園』(しつらくえん)

1667年刊行。

ミルトンの長編叙事詩。

審査法(しんさほう)
審査法(しんさほう)

1673年制定

イギリスの法律。

非イギリス国教徒の公職就任を禁止した。


人身保護法(じんしんほごほう)
人身保護法(じんしんほごほう)

1679年制定

イギリスの法律。

正当な理由のない逮捕・拘禁の防止を目的とした法律。

第2次ウィーン包囲(だいにじウィーンほうい)
第2次ウィーン包囲(だいにじウィーンほうい)

1683年

オスマン帝国がオーストリアの都であるウィーンを包囲した事件。

オーストリア・ポーランド連合軍の抵抗で失敗した。


トーリ党(トーリとう)
トーリ党(トーリとう)

イギリスの党派。

保守党の前身。

ホイッグ党(ホイッグとう)
ホイッグ党(ホイッグとう)

イギリスの党派。

自由党の前身。


ジェームズ2世(ジェームズにせい)
ジェームズ2世(ジェームズにせい)

1633年 - 1701年

イングランド王(在位:1685年 - 1688年)。

名誉革命のとき亡命した。

ファルツ戦争(ファルツせんそう)
ファルツ戦争(ファルツせんそう)

1688年 - 1697年

フランス国王のルイ14世が神聖ローマ帝国内のファルツ選帝侯の領土継承権を主張して起こした戦争。

神聖ローマ皇帝はイギリス・スペイン・オランダなどとともに対抗した。

フランスはほとんど成果がなかった。

アウクスブルク同盟戦争ともいう。


名誉革命(めいよかくめい)
名誉革命(めいよかくめい)

1688年 - 1689年

イギリスで行われた革命。

ジェームズ2世を追放した。

権利の宣言(けんりのせんげん)
権利の宣言(けんりのせんげん)

1689年

名誉革命後の議会で可決された文書。

自由な討論の保証などを規定した。

この宣言を承認してウィリアム3世とメアリ2世が即位した。


ウィリアム3世
ウィリアム3世

1650年 - 1702年

名誉革命によってイギリス王(在位:1689年 - 1702年)になった。

イギリス王になる前はオランダ総督だった。

オランダ総督(オランダそうとく)
オランダ総督(オランダそうとく)

名誉革命によってイギリス王になったウィリアム3世はイギリス王になる前はオランダ総督だった。


メアリ2世
メアリ2世

1662年 - 1694年

名誉革命で追放されたジェームズ2世の娘。

ウィリアム3世の妻。

名誉革命後、夫とともにイギリス王(在位:1689年 - 1694年)として即位した。

権利の章典(けんりのしょうてん)
権利の章典(けんりのしょうてん)

1689年

ウィリアム3世とメアリ2世の即位、議会は権利の宣言を権利の章典として制定した。

これにより、議会が同意しない課税や法律が否定された。

これにより、イギリスで立憲王政が確立した


ロック
ロック

1632年 - 1704年

イギリスの政治思想家・哲学者。

名誉革命の時代に生き、不法な統治への人民の抵抗の権利を擁護した。

三角貿易(さんかくぼうえき)
三角貿易(さんかくぼうえき)

17~18世紀。

「ヨーロッパ」・「アフリカ大陸」・「アメリカ大陸および西インド諸島」を結んで三角貿易が行われた。

大西洋三角貿易とも言う。

ヨーロッパから銃器や雑多な工業製品を西アフリカに輸出したイギリスやフランスなどの商人は、西アフリカで買い付けた黒人奴隷をアメリカ大陸や西インド諸島に転売した。

アメリカや西インド諸島で栽培・生産された綿花やタバコ、砂糖は、イギリスなどのヨーロッパの国に送られた。

アメリカ大陸や西インド諸島では植民者が大農場や鉱山での労働力として先住民を酷使したことに加え、ヨーロッパから伝わった疫病が流行したことで先住民の人口が激減したため、西アフリカから奴隷が大規模に導入された。


北方戦争(ほっぽうせんそう)
北方戦争(ほっぽうせんそう)

1700年~1721年

バルト海を抑えるスウェーデンに対し、ロシアがポーランド、デンマークと同盟を結んで起こした戦い。スウェーデンは敗れた。

北方戦争でピョートル1世がスウェーデンを破る
北方戦争でピョートル1世がスウェーデンを破る

北方戦争でロシア皇帝のピョートル1世がスウェーデンを破る。


スペイン継承戦争(スペインけいしょうせんそう)
スペイン継承戦争(スペインけいしょうせんそう)

1701年 - 1713(1714)年

スペイン王家が断絶したため、スペイン王位の継承権を巡って起こった国際戦争。

フランス・スペイン連合軍とオーストリア・イギリス・オランダ・プロイセンなどが戦った。

1713年のユトレヒト条約、及び1714年のラインシュタット条約で決着した。

プロイセン王国
プロイセン王国

1701年

プロイセン公国が昇格して成立した王国。


アン女王
アン女王

1665年 - 1714年

イギリス国王(在位:1702年 - 1714年)。

1707年にスコットランドと合同し大ブリテン王国を成立させた。

アン女王の死によりステュアート朝は断絶した。

大ブリテン王国(だいブリテンおうこく)
大ブリテン王国(だいブリテンおうこく)

1707年

アン女王の治世下でイングランドとスコットランドが合同して大ブリテン王国となった。

グレート=ブリテン王国とも呼ばれる。


コークス製鉄法(コークスせいてつほう)
コークス製鉄法(コークスせいてつほう)

硬度・純度の高い鉄製造を可能にした製鉄法。

ダービー父子によって開発・改良された。

ダービー
ダービー

父 1677年 - 1717年

子 1711年 - 1763年

コークス製鉄法を開発・改良した。


ユトレヒト条約(ユトレヒトじょうやく)
ユトレヒト条約(ユトレヒトじょうやく)

1713年

スペイン継承戦争の講和条約。

フランス国王ルイ14世はフランスとスペインを合併しないことを条件に孫のフェリペ5世をスペイン国王とした。

一方イギリスはフランスとスペインから多数の海外領土を獲得した。

例えば、スペインからはジブラルタルがイギリスに割譲され、フランスからはニューファンドランドがイギリスに割譲された。

ジブラルタル
ジブラルタル

イベリア半島南端の半島。

ユトレヒト条約によりスペインからイギリスへ割譲された。


ニューファンドランド
ニューファンドランド

フランスが領有していたカナダ東部の島。

ユトレヒト条約によりフランスからイギリスへ割譲された。

フリードリヒ=ヴィルヘルム1世
フリードリヒ=ヴィルヘルム1世

1688年 - 1740年

プロイセン国王(在位:1713年 - 1740年)。

軍備を増強し、王政を強化した。


ハノーヴァー朝(ハノーヴァーちょう)
ハノーヴァー朝(ハノーヴァーちょう)

1714年 - 1901年

イギリスの王朝。

デフォー
デフォー

1660年 - 1731年

イギリスの小説家。

代表作は『ロビンソン=クルーソー』。


『ロビンソン=クルーソー』
『ロビンソン=クルーソー』

1719年発刊。

デフォーの小説。

サルデーニャ王国
サルデーニャ王国

1720年 - 1861年

北イタリアのピエモンテ地方とサルデーニャ島を合わせて樹立した王国。

後のイタリア統一運動の中心。


ウォルポール
ウォルポール

1676年 - 1745年

政治家。

イギリスの初代首相とされる人(在任:1721年 - 1742年)。

ウォルポールがイギリス政治を主導していた時期に責任内閣制が形成された。

責任内閣制(せきにんないかくせい)
責任内閣制(せきにんないかくせい)

イギリスでウォルポールが活躍していたころに形成された制度。

議会の信任を受けて内閣が組織され、内閣は議会に対して責任を負う制度。


スウィフト
スウィフト

1667年 - 1745年

アイルランド出身の小説家。

代表作はガリヴァー旅行記。

『ガリヴァー旅行記』
『ガリヴァー旅行記』

1726年刊行。

スウィフトの風刺小説。


啓蒙思想(けいもうしそう)
啓蒙思想(けいもうしそう)

合理的な知を重んじて社会の不合理性を批判する立場。

ルネサンス期から見られたが、科学革命を経て18世紀には一層大きな潮流となった。

とくにフランスで有力だった。

生活革命(せいかつかくめい)
生活革命(せいかつかくめい)

18世紀

ヨーロッパでは市民の間で茶・砂糖・コーヒー・綿織物など植民地やアジアからの輸入品が広まった。これを生活革命という。

生活革命で茶やコーヒーに砂糖を入れて飲む習慣が市民層に拡大したため、アメリカ大陸のポルトガル領植民地やイギリスやフランスが支配する西インド諸島の植民地において砂糖がさかんに生産されるようになった。


ジョン=ケイ
ジョン=ケイ

1704年 - 1764年

1733年に飛び杼を発明した。

飛び杼(とびひ)
飛び杼(とびひ)

1733年

ジョン=ケイが発明した織布用具。


ヴォルテール
ヴォルテール

1694年 - 1778年

フランスの啓蒙思想家。

カトリック教会を批判し、1734年に発表した『哲学書簡』でイギリスを賛美した。

プロイセン国王フリードリヒ2世と交流した。

哲学書簡(てつがくしょかん)
哲学書簡(てつがくしょかん)

1734年

ヴォルテールが著した書。


フリードリヒ2世
フリードリヒ2世

1712年 - 1786年

プロイセン国王(在位:1740年 - 1786年)。

啓蒙専制君主の典型とされる。

フランスの啓蒙思想家ヴォルテールやダランベールと交流した。

『反マキァヴェリ論』で「君主は国家第一の僕」と述べた。

啓蒙専制君主(けいもうせんせいくんしゅ)
啓蒙専制君主(けいもうせんせいくんしゅ)

上からの近代化を目指した専制君主のこと。

フリードリヒ2世はその典型。


君主は国家第一の僕(くんしゅはこっかだいいちのしもべ)
君主は国家第一の僕(くんしゅはこっかだいいちのしもべ)

フリードリヒ2世は1740年刊行の著書『反マキァヴェリ論』の中で「君主は国家第一の僕」と述べている。

サンスーシ宮殿(サンスーシきゅうでん)
サンスーシ宮殿(サンスーシきゅうでん)

1745年 - 1747年

フリードリヒ2世が建設した宮殿。


ユンカー
ユンカー

広大な農地を持つプロイセンの地主貴族のこと。

フリードリヒ2世の統治はユンカーを支柱とするもので、農民の身分改善はほとんど実現しなかった。

モンテスキュー
モンテスキュー

1689年 - 1755年

フランスの啓蒙思想家。

著書『法の精神』でイギリスの憲政をたたえた。


法の精神(ほうのせいしん)
法の精神(ほうのせいしん)

1748年発刊。

モンテスキューの著書。

リンネ
リンネ

1707年 - 1778年

スウェーデンの植物学者。医者。

植物分類学を確立した。


マリア=テレジア
マリア=テレジア

1717年 - 1780年

オーストリア大公(在位:1740年 - 1780年)。

ハプスブルク家出身。

マリア=テレジアのハプスブルク家継承を巡り勃発したオーストリア継承戦争(1740年 - 1748年)に敗れ、シュレジエンを失う。

シュレジエン奪還のため200年来の宿敵、ブルボン王家と同盟を結び七年戦争(1756年 - 1763年)を戦ったがシュレジエンは取り戻せなかった。

シュレジエン
シュレジエン

現在のポーランド西南部にあたる場所。

マリア=テレジアはオーストリア継承戦争でシュレジエンを失い、七年戦争でも取り戻せなかった。


外交革命(がいこうかくめい)
外交革命(がいこうかくめい)

オーストリアのハプスブルク家(マリア=テレジア)が、シュレジエン奪還のために宿敵であるフランスのブルボン家と同盟関係を結んだことを指していう。

ディドロ
ディドロ

1713年 - 1784年

フランスの啓蒙思想家。文学者。

ダランベールとともに『百科全書』の編纂に携わった。


ダランベール
ダランベール

1717年 - 1783年

フランスの数学者。哲学者。

ディドロとともに『百科全書』の編纂に携わった。

プロイセン国王のフリードリヒ2世と交流があった。

百科全書(ひゃっかぜんしょ)
百科全書(ひゃっかぜんしょ)

1751年~1772年に刊行された啓蒙思想にもとづく百科事典。

ディドロとダランベールが主に編集した。


ルソー
ルソー

1712年 - 1778年

フランスの思想家。

1755年に『人間不平等起源論』を著した。

1762年に『社会契約論』を著した。

人間不平等起源論(にんげんふびょうどうきげんろん)
人間不平等起源論(にんげんふびょうどうきげんろん)

1755年

ルソーの著作。

この書でルソーは全ての人の平等にもとづく人民主権論を主張し、フランス革命に多大な影響を及ぼした。


七年戦争(しちねんせんそう)
七年戦争(しちねんせんそう)

1756年 - 1763年

外交革命でフランスのブルボン家と結びシュレジエンの奪還を目指すオーストリアに対して、プロイセンが先制して始まった戦争。

プロイセン側にはイギリスがついた。

イギリス・フランスはフレンチ=インディアン戦争、プラッシーの戦いでも激突した。

戦況はプロイセン有利となり、講和が成立。

オーストリアはシュレジエンを奪還できなかった。

年号の覚え方は「いーな(17)!?殺(56)しまくれ!!七年戦争勃発」です。

社会契約論(しゃかいけいやくろん)
社会契約論(しゃかいけいやくろん)

1762年

ルソーの著作。


ハーグリーヴズ
ハーグリーヴズ

1720年頃 - 1778年

1764年頃に多軸紡績機(ジェニー紡績機)を発明した。

多軸紡績機(たじくぼうせきき)
多軸紡績機(たじくぼうせきき)

1764年頃

ハーグリーヴズが発明した紡績機。

ジェニー紡績機ともいう。

糸の大量生産を可能にした。


蒸気機関(じょうききかん)
蒸気機関(じょうききかん)

蒸気機関は、鉱山採掘、繊維工業、交通機関に応用され、産業革命を支える大きな動力源になった。

石炭(せきたん)
石炭(せきたん)

蒸気機関に用いられた化石燃料。


ワット
ワット

1736年 - 1819年

1769年に蒸気機関を改良した人。

これにより水力にかわって蒸気機関が動力として利用されるようになり生産効率が高まった。

ポーランドの選挙王制(ポーランドのせんきょおうせい)
ポーランドの選挙王制(ポーランドのせんきょおうせい)

ポーランドは国王を選挙で選出する選挙王制であったため、16世紀後半にヤゲウォ朝が断絶した後、国内の貴族間で争いがおこり政治が混乱して弱体化した。

そのようなポーランドに対して、プロイセン、オーストリア、ロシアが干渉し、1772年にそれぞれの国境に近いポーランド領の一部を奪った。


ポーランド分割(第1回)
ポーランド分割(第1回)

1772年

ポーランドに対して、プロイセン、オーストリア、ロシアが干渉し、1772年にそれぞれの国境に近いポーランド領の一部を奪った。

ルイ16世
ルイ16世

1754年 - 1793年

フランス国王(在位:1774年 - 1792年)。

フランス革命時の王。

オーストリア皇女であるマリ=アントワネットと結婚した。


ヨーゼフ2世
ヨーゼフ2世

1741年 - 1790年

神聖ローマ帝国皇帝(在位:1765年 - 1790年)。

母であるマリア=テレジアとハプスブルク家領を共同統治し(1765年 - 1780年)た後、跡を継いだ。

啓蒙専制君主として宗教寛容令や農奴解放などの諸改革を進めたが、急激な改革と中央集権化により、貴族層やマジャール人など領内異民族の反発を招いた。

宗教寛容令(しゅうきょうかんようれい)
宗教寛容令(しゅうきょうかんようれい)

1781年

ヨーゼフ2世が発布した信教の自由を認める法令。


第2次囲い込み(だいにじかこいこみ)
第2次囲い込み(だいにじかこいこみ)

18世紀から19世紀初頭にかけて、イギリスにおいて議会主導で行われた農地改革のこと。

エンクロージャーともいう。

マンチェスター
マンチェスター

大西洋三角貿易において、イギリスにおける綿工業の中心都市。


カートライト
カートライト

1743年 - 1823年

1785年に力織機を発明した人。

力織機(りきしょっき)
力織機(りきしょっき)

1785年

カートライトが発明した織布機。

蒸気機関を動力とした。


産業革命(さんぎょうかくめい)
産業革命(さんぎょうかくめい)

18世紀後半にイギリスに始まった技術革新による産業・経済・社会の大変革。

イギリス国内で需要が高まったイギリス領インドのインド産綿布は、大西洋三角貿易でのアフリカでの黒人奴隷購入の代価としても用いられて、その輸入量は増加した。このため、イギリスでは大西洋三角貿易で蓄積された資本をもとに、綿布の輸入代替工業化が推進され、綿工業分野から産業革命が始まった。

女性は安価な労働力として酷使された。

輸入代替工業化(ゆにゅうだいたいこうぎょうか)
輸入代替工業化(ゆにゅうだいたいこうぎょうか)

輸入している工業製品を国産化すること。


茶(ちゃ)
茶(ちゃ)

18世紀後半

イギリスは中国からの茶の輸入が急増したが、産業革命で生産を伸ばした綿製品の中国への輸出が伸びず、銀が中国に流れ込んだ。

球戯場の誓い(きゅうぎじょうのちかい)
球戯場の誓い(きゅうぎじょうのちかい)

1789年

テニスコートの誓いともいう。

フランスの特権身分の免税特権廃止案を巡り175年ぶりに三部会が開催されたが、議決方法を巡り議論が空転したため第三身分議員が国民議会を結成し、みずからをフランス国民全体の代表と宣言した。

国王が国民議会の議場閉鎖を強行したため、第三身分議員はヴェルサイユにある球戯場に集まり、憲法制定まで国民議会を解散しないことを誓いあった。

これを球戯場の誓いという。


球戯場の誓いが行われたのはヴェルサイユ
球戯場の誓いが行われたのはヴェルサイユ

球戯場の誓いが行われたのはヴェルサイユです。

より正確に言えば、ヴェルサイユ宮殿隣接の屋内球戯場です。

バスティーユ牢獄(バスティーユろうごく)
バスティーユ牢獄(バスティーユろうごく)

1789年

7月14日にフランスのパリで民衆がバスティーユ牢獄を襲撃した。

フランス革命の始まり。


フランス革命(フランスかくめい)
フランス革命(フランスかくめい)

1789年 - 1799年

フランスで起こった、旧制度(アンシャン=レジーム)をくつがえす革命。

絶対王政が倒れ、封建的束縛が撤廃された。

旧制度(きゅうせいど)
旧制度(きゅうせいど)

フランス革命が起こる前の、フランスの体制、制度のこと。

旧制度において第一身分は聖職者、第二身分は貴族、第三身分は平民のことであった。

旧制度のことはアンシャン=レジームともいう。


第一身分(だいいちみぶん)
第一身分(だいいちみぶん)

フランスのアンシャン=レジーム(旧制度)における第一身分は聖職者。

第二身分(だいにみぶん)
第二身分(だいにみぶん)

フランスのアンシャン=レジーム(旧制度)における第二身分は貴族。


第三身分(だいさんみぶん)
第三身分(だいさんみぶん)

フランスのアンシャン=レジーム(旧制度)における第三身分は平民。

フランス人権宣言(フランスじんけんせんげん)
フランス人権宣言(フランスじんけんせんげん)

1789年

フランス革命初期の8月26日にフランスの議会が採択した宣言。

人間の平等をうたった。


フイヤン派(フイヤンは)
フイヤン派(フイヤンは)

フランスで立憲君主制の定着を求める勢力。

ギルドの廃止(ギルドのはいし)
ギルドの廃止(ギルドのはいし)

1790年

フランス革命において、ギルドが廃止された。


ヴァレンヌ逃亡事件(ヴァレンヌとうぼうじけん)
ヴァレンヌ逃亡事件(ヴァレンヌとうぼうじけん)

1791年

ルイ16世一家がオーストリアへ逃亡しようとしたが、国境間近のヴァレンヌでつかまり、パリへ連れ戻された事件。

逃亡事件がヴァレンヌでバレた。ヴァレンヌ(バレぬ)なのに……って覚えよう。

国民公会(こくみんこうかい)
国民公会(こくみんこうかい)

1792年 - 1795年

フランスで、対外戦争の危機の中で新たに構成された議会。


第一共和政(だいいちきょうわせい)
第一共和政(だいいちきょうわせい)

1792年 - 1804年

国民公会が共和政宣言を行ってからナポレオンの皇帝即位までのフランスの共和政治体制。

これにより、ブルボン朝は一時途絶えた。

ブルボン朝が一度途絶える(ブルボンちょうがいちどとだえる)
ブルボン朝が一度途絶える(ブルボンちょうがいちどとだえる)

1792年

第一共和政の開始によりブルボン朝が一度途絶えた。


ルイ16世処刑(ルイじゅうろくせいしょけい)
ルイ16世処刑(ルイじゅうろくせいしょけい)

1793年

フランス革命時の王(在位:1774年 - 1792年)であるルイ16世が処刑された。

ポーランド分割(第2回)
ポーランド分割(第2回)

1793年

ポーランドでは憲法制定などによって国家の近代化が試みられたが、フランス革命の混乱に乗じたプロイセンとロシアが第2回のポーランド分割を強行した。


コシューシコ
コシューシコ

1746年 - 1817年

ポーランドの軍人。

アメリカ独立革命に参加した後、母国ポーランドへ帰国。軍の指揮官となった。

1793年に周辺国によってポーランド領の多くが分割されると、クラクフで蜂起を宜言し、抵抗運動を指揮した。

しかし、その抵抗は鎮圧され、1795年、ポーランドは完全に分割されて消滅した。

その後パリで亡命生活を送った。

テルミドール9日のクーデタ(テルミドールここのかのクーデタ)
テルミドール9日のクーデタ(テルミドールここのかのクーデタ)

1794年

フランスで、国民公会多数派がクーデタでを起こしロベスピエール派を逮捕、処刑した事件。


ポーランド分割(第3回)
ポーランド分割(第3回)

1795年

プロイセン、オーストリア、ロシアがポーランドの残りの領土も分割した。

これによってポーランドは一時消滅した。

エジプト遠征(エジプト遠征)
エジプト遠征(エジプト遠征)

1798年 - 1799年

ナポレオンがエジプトへ遠征した。

理由はイギリスのインド支配に打撃を与えるため。

イギリスのネルソンに敗れたため撤退した。


ブリュメール18日のクーデタ(ブリュメールじゅうはちにちのクーデタ)
ブリュメール18日のクーデタ(ブリュメールじゅうはちにちのクーデタ)

1799年

クーデタがフランスで起こり、ナポレオンが総裁政府を倒した。

ナポレオン
ナポレオン

1769年 - 1821年

フランスの軍人。政治家。

ブリュメール18日のクーデタで総裁政府を倒した。


総裁政府(そうさいせいふ)
総裁政府(そうさいせいふ)

1795年 - 1799年

フランスの行政府。

ブリュメール18日のクーデタでナポレオンに倒された。

アイルランド併合(アイルランドへいごう)
アイルランド併合(アイルランドへいごう)

1801年

イギリスがアイルランドを正式併合した。


ナポレオン法典(ナポレオンほうてん)
ナポレオン法典(ナポレオンほうてん)

1804年

ナポレオンが制定した法典。

男女平等を原則としつつ男性優位の家父長制を定めた。

ナポレオン1世(ナポレオンいっせい)
ナポレオン1世(ナポレオンいっせい)

1804年

ナポレオンは国民投票で支持を受け皇帝に即位(1804年 - 1814年、1815年)し、ナポレオン1世と称した。


第一帝政(だいいちていせい)
第一帝政(だいいちていせい)

1804年 - 1814年(1815年)

ナポレオンの皇帝即位から失脚までの政治体制のこと。

ダヴィド
ダヴィド

1748年 - 1825年

フランスの画家。

代表作は「ナポレオンの戴冠式」。


「ナポレオンの戴冠式」(ナポレオンのたいかんしき)
「ナポレオンの戴冠式」(ナポレオンのたいかんしき)

ダヴィドの代表作。

参考
皇帝ナポレオン一世と皇妃ジョセフィーヌの戴冠 ダヴィッド 絵画解説

トラファルガーの海戦(トラファルガーのかいせん)
トラファルガーの海戦(トラファルガーのかいせん)

1805年

イギリス艦隊がフランス・スペイン連合艦隊を破った戦い。

ナポレオンはイギリス本土進攻を断念した。


神聖ローマ帝国が消滅する(神聖ローマ帝国が消滅する)
神聖ローマ帝国が消滅する(神聖ローマ帝国が消滅する)

1806年

ナポレオン戦争中の1806年に神聖ローマ帝国は消滅した。

大陸封鎖令(たいりくふうされい)
大陸封鎖令(たいりくふうされい)

1806年

ナポレオンの勅令。

イギリス経済に打撃を与えるため、大陸諸国にイギリスとの通商・通信、イギリスへの寄港を禁じた。


ワルシャワ大公国(ワルシャワたいこうこく)
ワルシャワ大公国(ワルシャワたいこうこく)

1807年

ナポレオンがティルジット条約によりポーランド地方にたてた国。

奴隷貿易禁止(どれいぼうえききんし)
奴隷貿易禁止(どれいぼうえききんし)

1807年

イギリスは奴隷貿易を禁止した。


フィヒテ
フィヒテ

1762年 - 1814年

ドイツの思想家。

1807年~1808年にフランス軍支配下のベルリンで「ドイツ国民に告ぐ」という連続講演を行った。

ドイツ国民に告ぐ(ドイツこくみんにつぐ)
ドイツ国民に告ぐ(ドイツこくみんにつぐ)

1807年 - 1808年

ドイツの思想家フィヒテがフランス軍支配下のベルリンで行った連続講演の題目。


ゲーテ
ゲーテ

1749年 - 1832年

ドイツの詩人・作家。

代表作は『ファウスト』。

『ファウスト』
『ファウスト』

戯曲(1808年 - 1831年)。

ゲーテの代表作。


ロシアが大陸封鎖令に違反する(ロシアがたいりくふうされいにいはんする)
ロシアが大陸封鎖令に違反する(ロシアがたいりくふうされいにいはんする)

1810年

穀物輸出に苦しむロシアが大陸封鎖令を無視してイギリスに穀物を輸出した。

ラダイト運動(ラダイトうんどう)
ラダイト運動(ラダイトうんどう)

1810年代にイギリスで起こった労働者による機械打ち壊し運動。


ロシア遠征(ロシアえんせい)
ロシア遠征(ロシアえんせい)

1812年

大陸封鎖令に違反したロシアに対する、ナポレオンの軍事遠征。

失敗に終わった。

アメリカ=イギリス戦争(アメリカ=イギリスせんそう)
アメリカ=イギリス戦争(アメリカ=イギリスせんそう)

1812年 - 1815年

アメリカとイギリスの間に起こった戦争。

米英戦争、または第二次独立戦争ともよばれる。

当時ヨーロッパはナポレオン戦争中で、アメリカ合衆国はナポレオンとイギリスとの戦争で中立を維持していたが、イギリス、フランスが互いに海上封鎖を行い、アメリカの通商が妨害された。その結果、特に反英感情がアメリカで高まり戦争が勃発した。

戦いは、互いに決定打を欠き、講話された。


ライプツィヒの戦い(ライプツィヒのたたかい)
ライプツィヒの戦い(ライプツィヒのたたかい)

1813年

諸国民戦争ともいう。

プロイセン、オーストリア、ロシアの連合軍がナポレオン軍を破った戦い。

翌年パリが陥落、ナポレオンは退位した。

イギリス東インド会社のインド貿易独占権廃止(イギリスひがしインドがいしゃのインドぼうえきどくせんけんはいし)
イギリス東インド会社のインド貿易独占権廃止(イギリスひがしインドがいしゃのインドぼうえきどくせんけんはいし)

1813年

自由貿易体制への移行の動きのなかで、イギリス東インド会社のインド貿易独占権が特許状改定により廃止された。


1813年
1813年

イギリス東インド会社のインド貿易独占権が廃止されたのは1813年。

覚え方は「お祝いさ(1813)!イギリス東インド会社のインド貿易独占権廃止」です。

ルイ18世(ルイじゅうはっせい)
ルイ18世(ルイじゅうはっせい)

1755年 - 1824年

1814年にパリが陥落し、ナポレオンの退位に至り、ルイ18世が即位(在位:1814年 - 1824年)してブルボン王朝が復活した。


ブルボン朝が復活する(ブルボンちょうがふっかつする)
ブルボン朝が復活する(ブルボンちょうがふっかつする)

1814年のルイ18世の即位によりブルボン朝が復活した。

ウィーン会議(ウィーンかいぎ)
ウィーン会議(ウィーンかいぎ)

1814年

フランス革命とナポレオンによる一連の戦争の戦後処理のため、ヨーロッパ諸国の代表たちがウィーンに集まった会議。

議長はオーストリアのメッテルニヒ。

当初大国間の利害対立により難航したが、ナポレオンの再挙兵を機に議定書の調印が実現し、国際秩序の再建がはかられた。


メッテルニヒ
メッテルニヒ

1773年 - 1859年

オーストリアの外相(のち宰相)。

ウィーン会議の議長。

会議は踊る、されど進まず(かいぎはおどる、されどすすまず)
会議は踊る、されど進まず(かいぎはおどる、されどすすまず)

ウィーン会議の円滑な進行を目指してオーストリア政府が舞踏会や宴会を開くも、利害が対立して審議が進まない事を風刺して言われた言葉。


タレーラン
タレーラン

1754年 - 1838年

フランス代表としてウィーン会議に出席したフランスの外相。

会議で正統主義を主張し、フランスやスペインでブルボン王家が復活した。

正統主義(せいとうしゅぎ)
正統主義(せいとうしゅぎ)

ウィーン会議でタレーランが主張したもの。

「フランス革命前の各国の王朝と体制こそが正統であるので、その状態に戻そう」という主義。


オーストリアは北イタリアに領土を広げる(オーストリアはきたイタリアにりょうどをひろげる)
オーストリアは北イタリアに領土を広げる(オーストリアはきたイタリアにりょうどをひろげる)

ウィーン会議の結果、オーストリアは南ネーデルラント(のちのベルギー)をオランダに譲る代わりに、北イタリアに領土を広げた。

オランダは南ネーデルラントを譲ってもらう(オランダはみなみネーデルラントをゆずってもらう)
オランダは南ネーデルラントを譲ってもらう(オランダはみなみネーデルラントをゆずってもらう)

ウィーン会議の結果、オランダはオーストリアに南ネーデルラント(のちのベルギー)を譲ってもらった。


イギリスはセイロン島やケープ植民地を手に入れる(イギリスはセイロンとうやケープしょくみんちをてにいれる)
イギリスはセイロン島やケープ植民地を手に入れる(イギリスはセイロンとうやケープしょくみんちをてにいれる)

ウィーン会議の結果、イギリスはセイロン島やケープ植民地などを獲得し、海路の要所を抑えて植民地帝国拡大の足がかりを固めた。

ケープ植民地
ケープ植民地

イギリスがウィーン会議で領有権の承認を得た海外領土。


アレクサンドル1世
アレクサンドル1世

1777年 - 1825年

ロシア皇帝(在位:1801年 - 1825年)。

アレクサンドル1世の呼びかけにより神聖同盟が結成された。

神聖同盟
神聖同盟

1815年

ロシア皇帝アレクサンドル1世の呼びかけにより、キリスト教精神に立つ神聖同盟が結成され、ヨーロッパの大多数の君主が参加したが、イギリス王、オスマン帝国皇帝、ローマ教皇は参加しなかった。


イギリス国王は神聖同盟に参加しない(イギリスこくおうはしんせいどうめいにさんかしない)
イギリス国王は神聖同盟に参加しない(イギリスこくおうはしんせいどうめいにさんかしない)

イギリス国王は神聖同盟に参加しなかった。

ドイツ連邦(ドイツれんぽう)
ドイツ連邦(ドイツれんぽう)

神聖ローマ帝国の消滅の後、ドイツ地域は35君主国と4自由市で構成される新たな国家連合「ドイツ連邦」を形成した。


四国同盟(しこくどうめい)
四国同盟(しこくどうめい)

1815年

ウィーン会議の結果成立した同盟。

イギリス、ロシア、オーストリア。、プロイセンが四国同盟を結んだ。

ナポレオンが帝位に復する(ナポレオンがていいにふくする)
ナポレオンが帝位に復する(ナポレオンがていいにふくする)

1815年

エルバ島に流されていたナポレオンが帝位に復した。


ワーテルローの戦い(ワーテルローのたたかい)
ワーテルローの戦い(ワーテルローのたたかい)

1815年

帝位に復したナポレオンは、ワーテルローの戦いでイギリス・オランダ・プロイセンの連合軍に敗れた。

セントヘレナ島(セントヘレナとう)
セントヘレナ島(セントヘレナとう)

1815年

ワーテルローの戦いに敗れたナポレオンは、南大西洋のセントヘレナ島に流された。


百日天下(ひゃくにちてんか)
百日天下(ひゃくにちてんか)

1815年

ナポレオンがエルバ島を脱して帝位に復してからワーテルローの戦いに敗れて再び退位するまでの短い期間を指して「百日天下」という。

穀物法(こくもつほう)
穀物法(こくもつほう)

1815年

イギリスの法律。

穀物生産者を保護するため、穀物の輸出入を制限した。


ナポリ王国(ナポリおうこく)
ナポリ王国(ナポリおうこく)

1282年 - 1816年

13世紀末にシチリア王国から分離独立しナポリを中心に南イタリアを支配した国。

1816年にシチリア王国と合併し両シチリア王国になった。

ナポリ王国の場所(ナポリおうこくのばしょ)
ナポリ王国の場所(ナポリおうこくのばしょ)

ここらへん。


両シチリア王国(りょうシチリアおうこく)
両シチリア王国(りょうシチリアおうこく)

1816年 - 1860年

南イタリアとシチリア島からなる王国。

ガリバルディの進軍を受け、サルデーニャ王国に併合された。

ブルシェンシャフト
ブルシェンシャフト

ドイツの学生組合。

ドイツで起こった憲法制定と国家統一を求める学生運動の中心となった。


メッテルニヒが学生運動を弾圧する
メッテルニヒが学生運動を弾圧する

メッテルニヒがドイツで起こった憲法制定と国家統一を求める学生運動を弾圧した。

リカード
リカード

1772年 - 1823年

イギリスの経済学者。

自由貿易主義の理論的支柱を形成した人。

『経済学及び課税の原理』(1817年)の著作で比較優位に基づく自由貿易の利益を説いた。


五国同盟(ごこくどうめい)
五国同盟(ごこくどうめい)

1818年

四国同盟にフランスも参加して五国同盟となった。

スペイン立憲革命(スペインりっけんかくめい)
スペイン立憲革命(スペインりっけんかくめい)

1820年

スペインでは復活したブルボン朝に対して、リエゴらの指導する立憲革命が成功して、短期間ながら共和主義的改革が試みられた。

フランス軍の干渉で1823年に挫折した。


カルボナリ
カルボナリ

イタリアの秘密結社。

1820年代初めに革命運動の中心となったが弾圧された。

その後、運動の主導権を青年イタリアに譲った。

ギリシア独立戦争
ギリシア独立戦争

1821年 - 1829年

オスマン帝国治下にあったギリシアの独立戦争。

当初、列強は不介入の立場をとっていたが、国内の自由主義的世論やバルカンをめぐる利害を背景に、独立支持へと転じ、最終的にギリシアの独立が認められた。


デカブリストの乱
デカブリストの乱

1825年

ロシアで自由主義的な士官らが起こした蜂起。

鎮圧された。

ファラデー
ファラデー

1791年 - 1867年

イギリスの化学者、物理学者。

1825年にベンゼンを発見。

1831年に電磁誘導を発見。

1833年に「ファラデーの法則」を発見。

電磁気学の基礎を築いた。


審査法の廃止(しんさほうのはいし)
審査法の廃止(しんさほうのはいし)

1828年

イギリスで審査法が廃止された。

これにより、非国教徒も公職に就任できるようになった。

カトリック教徒解放法(カトリックきょうとかいほうほう)
カトリック教徒解放法(カトリックきょうとかいほうほう)

1829年

カトリック教徒に対する差別を撤廃した。

これにより、カトリック教徒も公職に就任できるようになり、イギリスの宗教差別は撤廃された。


ギリシアがオスマン帝国から独立する
ギリシアがオスマン帝国から独立する

1830年

イギリス、フランス、ロシアの支援もあり、ギリシアがオスマン帝国から独立した。

年号の覚え方は「いや(18)もう去れ(30)。ギリシア頑張りオスマンから独立」です。

七月革命(しちがつかくめい)
七月革命(しちがつかくめい)

1830年

ブルボン復古王政のフランスにおいて七月革命が起き、国王のシャルル10世は亡命し、立憲君主制が成立した。


シャルル10世(シャルルじゅっせい)
シャルル10世(シャルルじゅっせい)

1757年 - 1836年

フランス王(在位:1824年 - 1830年)。

七月革命を受けて亡命した。

ルイ=フィリップ
ルイ=フィリップ

1773年 - 1850年

七月革命を経て自由主義者として知られていたオルレアン家のルイ=フィリップが国王の座に就いた。

七月王政期のフランス王(在位:1830年 - 1848年)。


オルレアン家
オルレアン家

ルイ=フィリップはオルレアン家の出身。

七月王政
七月王政

1830年 - 1848年

七月革命で成立した、より国民に根差し市民的な性格の濃いフランスの立憲王政。


ベルギーがオランダから独立する(ベルギーがオランダからどくりつする)
ベルギーがオランダから独立する(ベルギーがオランダからどくりつする)

1830年

フランスで起きた七月革命の影響を受けて、ベルギーで武装蜂起が発生し、オランダから独立した。

マンチェスターとリヴァプール
マンチェスターとリヴァプール

1830年

蒸気機関車による旅客鉄道がマンチェスターとリヴァプールの間に開通した。


マッツィーニ
マッツィーニ

1805年 - 1872年

イタリアで「青年イタリア」を結成した人。

青年イタリア(せいねんイタリア)
青年イタリア(せいねんイタリア)

1831年 - 1848年

共和主義と民族統一を掲げる政治結社。


オーウェン
オーウェン

1771年 - 1858年

イギリスの初期社会主義者。

スコットランドのニューラナークで大紡績工場を建設し良好な労働条件や生活環境の整備につとめ、労働者の環境改善を試みた。

第1回選挙法改正(だいいっかいせんきょほうかいせい)
第1回選挙法改正(だいいっかいせんきょほうかいせい)

1832年

イギリスではホイッグ党内閣により第1回選挙法改正がなされて参政権が拡大し、「腐敗選挙区」が撤廃された。


腐敗選挙区(ふはいせんきょく)
腐敗選挙区(ふはいせんきょく)

イギリスにおいて、産業革命による人口分布の変化で有権者が著しく減少したにもかかわらず、従来通りの議席が割り振られ、議員を選出し続けた選挙区。

第1回選挙法改正で撤廃された。

工場法(こうじょうほう)
工場法(こうじょうほう)

1833年

イギリスで、工場法により未成年者の労働時間が制限された。


奴隷制廃止(どれいせいはいし)
奴隷制廃止(どれいせいはいし)

1833年

イギリスで奴隷制が廃止された。

ヴィクトリア女王(ヴィクトリアじょおう)
ヴィクトリア女王(ヴィクトリアじょおう)

1819年 - 1901年

イギリス・ハノーヴァー朝の第6代女王(在位:1837年 - 1901年)。

ヴィクトリア女王治世下のイギリスは「世界の工場」として繁栄した。


チャーティスト運動
チャーティスト運動

1837年 - 1850年代

第1回選挙法改正が不十分に終わったのを受けてイギリスで行われた運動。

6か条の人民憲章を掲げて議会に対して請願を行った。

人民憲章
人民憲章

チャーティスト運動で掲げられた6か条。

  • 21歳以上の男性の普通選挙権
  • 議員の財産資格の廃止
  • 毎年の議会改選
  • 平等な選挙区
  • 議員の有給制
  • 無記名秘密投票

の6つ。


コブデン
コブデン

1804年 - 1865年

イギリスの経済学者。自由主義政治家。

1839年に反穀物法同盟を結成した。

イギリスがニュージーランドを植民地にする
イギリスがニュージーランドを植民地にする

1840年

イギリスがオセアニアのニュージーランドを植民地とした。


グラッドストン
グラッドストン

1809年 - 1898年

イギリスの自由党の政治家。

アヘン戦争に強く反対し、開戦の可否を問うイギリス議会で反対意見を述べた。

アヘン戦争(アヘンせんそう)
アヘン戦争(アヘンせんそう)

1840年 - 1842年

清の官僚である林則徐によるアヘン取締りをきっかけに勃発した清とイギリスとの戦争。

この戦争の結果、南京条約が結ばれ、香港がイギリスに割譲された。


ジャガイモ飢饉(ジャガイモききん)
ジャガイモ飢饉(ジャガイモききん)

アイルランドでは1845年から約5年間、ジャイモの凶作が続き、飢僅が発生した。特にジャガモを主食としていた貧農層が大きな被害を受け、およそ100万人が死亡し、150万人が移民によってアイルランドを離れた。

ブライト
ブライト

1811年 - 1889年

イギリスの自由主義政治家。

反穀物法同盟に参加し、穀物法廃止を実現した。


穀物法廃止(こくもつほうはいし)
穀物法廃止(こくもつほうはいし)

1846年

イギリスでは1830年代末から1840年代にかけてブルジョワジーがみずからの利益を実現するために穀物法の廃止を要求する圧力団体を結成し、1846年に法律廃止を実現した。

世界の工場(せかいのこうじょう)
世界の工場(せかいのこうじょう)

19世紀半ば

ヴィクトリア女王治世下のイギリスは「世界の工場」と呼ばれ、繁栄した。


パクス=ブリタニカ
パクス=ブリタニカ

19世紀半ばを中心とする、イギリスが圧倒的な軍事力と経済力を持つことを指す言葉。

フランスがタヒチを獲得する(フランスがタヒチをかくとくする)
フランスがタヒチを獲得する(フランスがタヒチをかくとくする)

1847年

フランスがタヒチ(南太平洋の島)を獲得した。


ヘルムホルツ
ヘルムホルツ

1821年 - 1894年

ドイツの生理学者、物理学者。

1847年に「力の保存」を発表し、エネルギー保存の法則を提唱した。

二月革命(にがつかくめい)
二月革命(にがつかくめい)

1848年

パリの市民が蜂起して第二共和政を樹立した革命。

国王ルイ=フィリップはイギリスへ亡命し、七月王政は倒された。

革命はヨーロッパ諸国に波及し、ウィーン体制は崩壊した。


第二共和政(だいにきょうわせい)
第二共和政(だいにきょうわせい)

1848年 - 1852年

二月革命で成立した政体。

当初は社会主義者や労働者も加わっていたが、急速に共和政は保守化し、労働者や民衆の願いは排除されていった。

マルクス
マルクス

1818年 - 1883年

1848年に『共産党宣言』を発表して労働者の階級闘争を主張した。


マジャール人(マジャールじん)
マジャール人(マジャールじん)

1848年に一時的にハプスブルク帝国から独立した政権を樹立した民族集団。

フランクフルト国民議会(フランクフルトこくみんぎかい)
フランクフルト国民議会(フランクフルトこくみんぎかい)

1848年

5月に全ドイツ統一を目指す議会がフランクフルトで開かれ、ドイツ統一憲法を議題とし採択した。


コシュート
コシュート

1802年 - 1894年

ハンガリーの政治家。

ハンガリーの独立を目指し、1849年に独立を宣言したが、独立戦争に敗れて亡命した。

航海法廃止(こうかいほうはいし)
航海法廃止(こうかいほうはいし)

1849年

1651年に制定された航海法が廃止され、穀物法の廃止と合わせて自由貿易体制を実現した。


ルイ=ブラン
ルイ=ブラン

1811年 - 1882年

フランスで生産協同組合「社会作業場」の設立を主張した人。

ロンドン万国博覧会(ロンドンばんこくはくらんかい)
ロンドン万国博覧会(ロンドンばんこくはくらんかい)

1851年

ヴィクトリア女王治下のロンドンで開催された世界初の万国博覧会。


ナポレオン3世(ナポレオンさんせい)
ナポレオン3世(ナポレオンさんせい)

1808年 - 1873年

フランスの第二帝政の皇帝(在位:1852年 - 1870年)。

ナポレオンの甥。

第二帝政(だいにていせい)
第二帝政(だいにていせい)

1852年 - 1870年

フランスにおいて、国民投票を行って即位したナポレオン3世による治世。


クリミア戦争(クリミアせんそう)
クリミア戦争(クリミアせんそう)

1853年 - 1856年

ロシアと、トルコ・イギリス・フランス・サルデーニャ連合軍との間で起きた戦争。

ロシアが敗北した。

ナイティンゲール
ナイティンゲール

1820年 - 1910年

イタリア生まれのイギリスの看護婦。

クリミア戦争に看護師として従軍し、女性の社会参加に道を開いた。


イギリス東インド会社の解散(イギリスひがしインドがいしゃのかいさん)
イギリス東インド会社の解散(イギリスひがしインドがいしゃのかいさん)

1858年

インド大反乱(シパーヒーの反乱)の責任を問われ解散した。

イギリスは反乱鎮圧後、インドの直接的な統治に着手した。

1858年
1858年

イギリス東インド会社の解散は1858年。

覚え方は「イ(1)ンドはこわ(858)い!イギリス東インド会社解散」です。


ガリバルディ
ガリバルディ

1807年 - 1882年

港町ニース出身。青年イタリアに加盟。後、反乱に関与して失敗。フランスに亡命後、ウルグアイなど南米で義勇兵として勇名を馳せた。

1860年に赤シャツ隊を組織し、両シチリア王国のシチリア島をほぼ手中に収めた。9月には両シチリア王国の首都ナポリに入り、両シチリア王国を征服。その後、征服した両シチリア王国をサルデーニャ王国に献上することで、国民国家建設に大きな役割を果たした。

赤シャツ隊(あかシャツたい)
赤シャツ隊(あかシャツたい)

ガリバルディの私設部隊。


サルデーニャ王国
サルデーニャ王国

1720年 - 1861年

密約のため、1860年4月にガリバルディの生まれ故郷ニースをフランスに割譲。

ガリバルディに不信感を抱かれつつも、1860年に義勇軍を率いて南イタリアの両シチリア王国を征服したガリバルディが、占領地をサルデーニャ王国に献上した。

ニース
ニース

港町。ガリバルディの出身地。サルデーニャ王国からフランスに割譲された。


ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世
ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世

1820年 - 1878年

サルデーニャ国王(在位:1849年 - 1861年)。

1861年にイタリア統一。

初代イタリア国王(在位:1861年 - 1878年)。

ランケ
ランケ

1795年 - 1886年

ドイツの歴史家。

史料批判に基づく近代歴史学の基礎を作った。


フアレス
フアレス

1806年 - 1872年

メキシコの政治家。

メキシコに軍事介入してきたナポレオン3世を撃退した。

フアレスがナポレオン3世を撃退する(ナポレオンさんせい)
フアレスがナポレオン3世を撃退する(ナポレオンさんせい)

1861年からナポレオン3世がメキシコに軍事介入したが、フアレスが撃退した。


フランスがカンボジアを保護国とする
フランスがカンボジアを保護国とする

1863年

帝国主義時代、フランスがカンボジア(東南アジアのインドシナ半島南部にある国)を保護国とした。

デンマーク戦争
デンマーク戦争

1864年

デンマークとプロイセン・オーストリアとの戦争。

デンマークが敗れて、シュレスヴィヒをプロイセンに、ホルシュタインをオーストリアに奪われた。


デンマークがシュレスヴィヒをプロイセンに奪われる
デンマークがシュレスヴィヒをプロイセンに奪われる

デンマーク戦争の結果、デンマークはシュレスヴィヒをプロイセンに奪われた。

デンマークがホルシュタインをオーストリアに奪われる
デンマークがホルシュタインをオーストリアに奪われる

デンマーク戦争の結果、デンマークはホルシュタインをオーストリアに奪われた。


第1インターナショナル
第1インターナショナル

1864年 - 1876年

国際的な労働者組織。

ロンドンで結成された。

プロイセン=オーストリア戦争(プロイセン=オーストリアせんそう)
プロイセン=オーストリア戦争(プロイセン=オーストリアせんそう)

1866年

ドイツ統一の主導権を巡るプロイセンとオーストリアの戦争。

プロイセンが勝った。

普墺戦争ともいう。


スエズ運河(スエズうんが)
スエズ運河(スエズうんが)

1869年

エジプトでスエズ運河が開通し、主に使われる貿易船が帆船から蒸気船に代わる一つの要因となった。

グラッドストンが教育法を制定(グラッドストンがきょういくほうをせいてい)
グラッドストンが教育法を制定(グラッドストンがきょういくほうをせいてい)

1870年

グラッドストン(イギリスの自由党の政治家)が国民意識を労働者階級にまで広げる目的で教育法を制定し、イギリスで公立学校が設立された。


「未回収のイタリア」(みかいしゅうのイタリア)
「未回収のイタリア」(みかいしゅうのイタリア)

1870年以後もオーストリア領に残った、イタリア系住民の多いトリエステ・南チロルなどの地域。

オーストリアとイタリアは、このトリエステ・南チロルの領有をめぐって対立した。

プロイセン=フランス戦争
プロイセン=フランス戦争

1870年 - 1871年

ドイツ統一の最後の局面で発生したプロイセン及びドイツ諸邦とフランスとの戦争。

プロイセンが勝利した。

ナポレオン3世はこの戦いで捕虜となり、廃位された。

1871年にドイツ統一が宣言された。


第三共和政(だいさんきょうわせい)
第三共和政(だいさんきょうわせい)

1870年/1871年 - 1940年

フランスで第二帝政崩壊後に成立した政体。

開始年代は1870年説と1871年説がある。

ドイツ帝国
ドイツ帝国

1871年 - 1918年

プロイセン=フランス戦争中の1871年に成立が宣言された国。

プロイセン国王が皇帝を兼ねた。


ビスマルク
ビスマルク

1815年 - 1898年

プロイセン首相(在任:1862年 - 1890年)。

ドイツ帝国初代宰相(在任:1871年 - 1890年)。

1878年に社会主義者鎮圧法を制定した。

グラッドストンが労働組合法を制定(グラッドストンがろうどうくみあいほうをせいてい)
グラッドストンが労働組合法を制定(グラッドストンがろうどうくみあいほうをせいてい)

1871年

グラッドストン(イギリスの自由党の政治家)が労働組合法を制定し、イギリスで労働組合が合法化された。


ディズレーリ
ディズレーリ

1804年 - 1881年

イギリスの政治家。

保守党を率いた。

ディズレーリがスエズ運河会社の株式を買収する(ディズレーリがスエズうんががいしゃのかぶしきをばいしゅうする)
ディズレーリがスエズ運河会社の株式を買収する(ディズレーリがスエズうんががいしゃのかぶしきをばいしゅうする)

1875年

イギリスのディズレーリ首相が、エジプトからスエズ運河会社の株式を買収し、会社の支配権を握った。


ディズレーリがインド帝国を成立させる(ディズレーリがインドていこくをせいりつさせる)
ディズレーリがインド帝国を成立させる(ディズレーリがインドていこくをせいりつさせる)

1877年

保守党のディズレーリがインド帝国を成立させた。

ヴィクトリア女王がインド皇帝に即位する(ヴィクトリアじょおうがインドこうていにそくいする)
ヴィクトリア女王がインド皇帝に即位する(ヴィクトリアじょおうがインドこうていにそくいする)

1877年

イギリス女王(在位:1837年 - 1901年)であるヴィクトリア女王が初代インド皇帝(在位:1877年 - 1901年)に即位した。


ロシア=トルコ戦争(ロシア=トルコせんそう)
ロシア=トルコ戦争(ロシア=トルコせんそう)

1877年 - 1878年

南下政策を進めるロシアとオスマン帝国との戦争。

ロシアが勝った。

露土(ろと)戦争ともいう。

サン=ステファノ条約(サン=ステファノ条約)
サン=ステファノ条約(サン=ステファノ条約)

1878年

ロシア=トルコ戦争の講和条約。

ロシアが勢力を拡大したが、イギリス・オーストリアの反発を招きベルリン会議が開かれた。


ベルリン会議(ベルリンかいぎ)
ベルリン会議(ベルリンかいぎ)

1878年

ロシア=トルコ戦争の結果起こった国際紛争の解決のためにドイツの宰相ビスマルクが主催した国際会議。

ルーマニアの独立が承認された。

オーストリアはボスニアとヘルツェゴヴィナの地域の占領と行政権が認められた。

ルーマニア
ルーマニア

ルーマニアはベルリン会議で独立を承認された。


社会主義者鎮圧法(しゃかいしゅぎしゃちんあつほう)
社会主義者鎮圧法(しゃかいしゅぎしゃちんあつほう)

1878年

社会主義者を弾圧するための法。

ビスマルクが制定した。

ビスマルクが引退した1890年に廃止された。

グラッドストンがエジプトを保護国とする(グラッドストンがエジプトをほごこくとする)
グラッドストンがエジプトを保護国とする(グラッドストンがエジプトをほごこくとする)

1882年

自由党のグラッドストンがエジプトを事実上の保護国とした。


グラッドストンの第3回選挙法改正(グラッドストンのだいさんかいせんきょほうかいせい)
グラッドストンの第3回選挙法改正(グラッドストンのだいさんかいせんきょほうかいせい)

1884年

イギリスのグラッドストンが首相の時に選挙法を改正し、農村労働者にも選挙権が拡大された。

年号の覚え方は「人は(18)走(84)って喜ぶ第3回選挙法改正」です。

グラッドストンがアイルランド自治法案を提出する(グラッドストンがアイルランドじちほうあんをていしゅつする)
グラッドストンがアイルランド自治法案を提出する(グラッドストンがアイルランドじちほうあんをていしゅつする)

1880年以降

グラッドストン(イギリスの自由党の政治家)がアイルランド自治法案を提出したが否決された。


フェビアン協会(フェビアンきょうかい)
フェビアン協会(フェビアンきょうかい)

1884年創設。

イギリスの社会主義団体。

ジョゼフ=チェンバレン
ジョゼフ=チェンバレン

1836年 - 1914年

イギリスの政治家。

アイルランド自治法案に反対して1886年に自由党を分裂させる。

1895年に植民地相として保守党内閣に加わる。


イギリス・インド・中国の三角貿易(イギリス・インド・ちゅうごくのさんかくぼうえき)
イギリス・インド・中国の三角貿易(イギリス・インド・ちゅうごくのさんかくぼうえき)

19世紀

イギリスは中国茶を銀で輸入し、インド産のアヘンを中国に密輸し、本国の綿製品をインドに輸出して銀を回収することで対アジア貿易で黒字を計上するようになった。

アヘン
アヘン

19世紀

イギリスは本国の綿製品を植民地のインドに輸出し、インド産のアヘンを中国に輸出した。

中国はアヘンの使用と輸入を厳禁したが、密輸が横行し、中国から大量の銀が流出した。


イギリスがナイジェリアを植民地にする(イギリスがナイジェリアをしょくみんちにする)
イギリスがナイジェリアを植民地にする(イギリスがナイジェリアをしょくみんちにする)

19世紀末

帝国主義時代、イギリスがナイジェリア(西アフリカにある国)を植民地とした。

ブーランジェ事件(ブーランジェじけん)
ブーランジェ事件(ブーランジェじけん)

1887年 - 1889年

政府が対独強硬派の陸相ブーランジェを罷免したことに端を発する、ブーランジェを支持する者たちの反議会主義的な政治運動。

ブーランジェがベルギーに亡命したことで運動は衰退した。


ヴィルヘルム2世(ヴィルヘルムにせい)
ヴィルヘルム2世(ヴィルヘルムにせい)

1859年 - 1941年

プロイセン国王およびドイツ皇帝(在位:1888年 - 1918年)。

世界政策と呼ばれる積極的な海外膨張政策を行った。

ドレフュス事件(ドレフュスじけん)
ドレフュス事件(ドレフュスじけん)

1894年 - 1906年

フランスで起こったユダヤ系軍人に対する冤罪事件。

ユダヤ系の陸軍大尉ドレフュスがスパイとして終身刑に処されたが、後に真犯人が現れ、事件を隠蔽しようとする軍部に対して再審要求運動が起こった。

1906年にドレフュスの無罪が確定した。

反ユダヤ主義を反映するものであるとして、ゾラなどの知識人から批判を浴びた。


キュリー
キュリー

1867年 - 1934年

フランスの物理学者。

1898年にラジウムを発見したことで1903年にノーベル賞を受賞し、学術分野に成果を残した。

南アフリカ戦争(みなみアフリカせんそう)
南アフリカ戦争(みなみアフリカせんそう)

1899年 - 1902年

南アフリカの植民地化を巡るブール人とイギリスとの戦い。

イギリスが勝った。


アインシュタイン
アインシュタイン

1879年 - 1955年

ドイツ生まれのユダヤ系理論物理学者。

相対性理論を創始した。

1905年に特殊相対性理論を発表した。

1915年から1916年にかけて一般相対性理論を発表した。

1933年にアメリカに亡命した。

労働党(ろうどうとう)
労働党(ろうどうとう)

1906年成立。

イギリスの政党。

自由党に代わる新たな二大政党の一つに成長した。


青年トルコ革命(せいねんトルコかくめい)
青年トルコ革命(せいねんトルコかくめい)

1908年

オスマン帝国で「青年トルコ人」(ミドハト憲法復活運動を行った人々の総称)が行った無血の革命。

立憲制を宣言し、皇帝もこれを認め憲法を復活させた。

年号の覚え方は「引く(19)の無し(0)や(8)ん、青年トルコ革命」です。

オーストリアによるボスニア・ヘルツェゴヴィナの併合(オーストリアによるボスニア・ヘルツェゴヴィナのへいごう)
オーストリアによるボスニア・ヘルツェゴヴィナの併合(オーストリアによるボスニア・ヘルツェゴヴィナのへいごう)

1908年

青年トルコ革命に乗じてオーストリアがボスニア・ヘルツェゴヴィナを併合した。


アムンゼン
アムンゼン

1872年 - 1928年

ノルウェーの探検家。

スコットとの競争に勝ち、1911年に南極点に初到達した。

バルカン同盟
バルカン同盟

1912年

オーストリアのボスニア・ヘルツェゴヴィナ併合に対抗し、ロシアはセルビア・ブルガリア・モンテネグロ・ギリシアのバルカン4国をバルカン同盟に結束させた。


ポワンカレ
ポワンカレ

1860年 - 1934年

第一次世界大戦発生時のフランス大統領(任期:1913年 - 1920年)。

正式名はレイモン=ポワンカレ。

アイルランド自治法(アイルランドじちほう)
アイルランド自治法(アイルランドじちほう)

1914年

イギリスで1914年にアイルランド自治法が成立した。

しかし、第一次世界大戦が勃発し、実施が延期された。


ヨーロッパの火薬庫(ヨーロッパのかやくこ)
ヨーロッパの火薬庫(ヨーロッパのかやくこ)

20世紀初頭のバルカン半島を指して言う。

当時、バルカン半島は複雑な宗教・民族対立とヨーロッパ列強の利害対立が絡み合い、一触即発の危機をはらんでいた。

第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)
第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)

1914年 - 1918年

バルカン半島のサライェヴォでセルビア人の民族主義者によってオーストリア帝位継承者が暗殺されたことに端を発するヨーロッパを中心に起こった世界戦争。

協商国27か国と同盟国4か国が戦った。

総力戦となった。

女性も軍需工業に動員されて戦争遂行を支えた。

国家が統制経済で負担や義務を課すと、女性はそれに見合う参政権拡大を求める声を高めた。

大戦中に革命がおこったロシアでは、社会主義政権のもとで女性参政権が実現した。


第一次世界大戦の協商国(だいいちじせかいたいせんのきょうしょうこく)
第一次世界大戦の協商国(だいいちじせかいたいせんのきょうしょうこく)

イギリス・フランス・ロシア・セルビア・モンテネグロ・日本・イタリア・ルーマニア・ポルトガル・アメリカ合衆国・中国・ギリシアなど27か国。

第一次世界大戦で同盟国と敵対し、勝利した。

協商国のことは連合国ともいう。

第一次世界大戦の同盟国(だいいちじせかいたいせんのどうめいこく)
第一次世界大戦の同盟国(だいいちじせかいたいせんのどうめいこく)

ドイツ・オーストリア・オスマン帝国・ブルガリア王国の4カ国。

第一次世界大戦で協商国と敵対し、敗れた。


暗殺したのはセルビア人
暗殺したのはセルビア人

第一次世界大戦の発端となったオーストリア帝位継承者暗殺を行ったのはセルビア人の民族主義者。

総力戦体制(そうりょくせんたいせい)
総力戦体制(そうりょくせんたいせい)

第一次世界大戦においては、各国は兵士のみならず、銃後の女性や植民地の住民をも動員する総力戦体制をとった。


戦車(せんしゃ)
戦車(せんしゃ)

第一次世界大戦では、新兵器として戦車(タンク)が用いられた。

マルヌの戦い
マルヌの戦い

1914年

フランス・イギリス軍がドイツ軍の進撃を阻止した戦い。


無制限潜水艦作戦(むせいげんせんすいかんさくせん)
無制限潜水艦作戦(むせいげんせんすいかんさくせん)

第一次世界大戦において行われたドイツの軍事作戦。

1915年にドイツは、イギリス海域に商船の立入禁止水域を設け、違反する商船はすべて無警告で撃沈すると宣言した。

アメリカ人にも攻撃による被害が出たため、アメリカ参戦の契機となった。

フセイン・マクマホン協定
フセイン・マクマホン協定

1915年

イギリスが戦争協力を条件に、アラブ人に独立を約束したもの。

ただし、秘密協定(サイクス=ピコ協定)でこれと矛盾する協定を連合国などと結んでいた。


サイクス=ピコ協定(サイクス=ピコきょうてい)
サイクス=ピコ協定(サイクス=ピコきょうてい)

1916年

戦後のオスマン帝国領を分割するために、イギリス・フランス・ロシアが各国の勢力範囲を定めた秘密の取り決め。

フセイン・マクマホン協定と矛盾する。

バルフォア宣言(バルフォアせんげん)
バルフォア宣言(バルフォアせんげん)

1917年

イギリス政府がパレスチナでのユダヤ人の「民族的郷土」建設の支持を約束した宣言。

ユダヤ資本の第1次世界大戦への戦争協力を期待したもの。

フセイン・マクマホン協定、サイクス・ピコ協定と矛盾する。


第4回選挙法改正(だいよんかいせんきょほうかいせい)
第4回選挙法改正(だいよんかいせんきょほうかいせい)

1918年

イギリスでは第4回選挙法改正で女性に参政権が認められた。

キール軍港の水兵反乱(キールぐんこうのすいへいはんらん)
キール軍港の水兵反乱(キールぐんこうのすいへいはんらん)

1918年

ドイツ水兵たちのドイツに対する反乱。

ドイツ革命の端緒となり、ドイツ帝国の崩壊、ドイツ共和国の成立がなった。


ドイツ共和国の成立
ドイツ共和国の成立

1918年

キール軍港の水兵反乱に端を発する革命勢力がベルリンを制すると、皇帝ヴィルヘルム2世がオランダに亡命し、共和政府が成立した。

ドイツ革命
ドイツ革命

1918年 - 1919年

ドイツ帝国を崩壊させ、ヴァイマル共和国(ドイツ共和国)を成立させた革命のこと。


ウィルソン
ウィルソン

1856年 - 1924年

アメリカ合衆国第28代大統領(任期:1913年 - 1921年)。

本名ウッドロー=ウィルソン。

パリ講和会議ではウィルソンが演説で表明した「十四カ条」が基本原則となった。

十四カ条(じゅうよんかじょう)
十四カ条(じゅうよんかじょう)

1918年

アメリカ大統領ウィルソンが演説で表明した、新しい国際秩序を求めるもの。

レーニンの「平和に関する布告」に対抗して出された。

サイクス=ピコ協定のような秘密外交の廃止の訴えを含む。

パリ講和会議の基本原則になった。


民族自決(みんぞくじけつ)
民族自決(みんぞくじけつ)

十四カ条で提言されたうちのひとつ。

他国の干渉を受けずに、それぞれの民族は自分たちのことを自分たちで決めるべき、という考えのこと。

しかし、パリ講和会議では部分的にしか実現しなかった。

パリ講和会議(パリこうわかいぎ)
パリ講和会議(パリこうわかいぎ)

1919年

第一次世界大戦は連合国が勝利し、1919年1月のパリ講和会議で終結した。

講和にあたってウィルソンの「十四カ条」が基本原則とされた。


ロイド=ジョージ
ロイド=ジョージ

1863年 - 1945年

イギリス首相。

パリ講和会議で自国の利益や植民地体制の維持を優先した。

クレマンソー
クレマンソー

1841年 - 1929年

フランス首相。

パリ講和会議で自国の利益や植民地体制の維持を優先した。


ヴェルサイユ条約(ヴェルサイユじょうやく)
ヴェルサイユ条約(ヴェルサイユじょうやく)

1919年

6月にドイツと連合国軍との間で結ばれた条約。

国際平和機構として国際連盟の設立を定めた。

ドイツは海外植民地の放棄、アルザス・ロレーヌのフランスへの返還、ラインラントの非武装、軍備制限、賠償金支払いを受け入れた。

アルザス・ロレーヌ
アルザス・ロレーヌ

地方名。

ヴェルサイユ条約に基づき、ドイツはフランスにアルザス・ロレーヌを返還した。


ラインラント
ラインラント

地方名。

ヴェルサイユ条約に基づき、ドイツはラインラントを非武装にした。

委任統治(いにんとうち)
委任統治(いにんとうち)

国際連盟が先進国に保護を委ねる統治方式。

第一次世界大戦後、旧オスマン帝国に属していた中東地域は委任統治が採用され、イギリスはイラク・トランスヨルダン・パレスチナを、フランスはシリアを実質的に統治した。


ヴァイマル憲法(ヴァイマルけんぽう)
ヴァイマル憲法(ヴァイマルけんぽう)

1919年

8月に公布されたドイツの憲法。

ドイツではヴァイマル憲法のもとで女性に参政権が認められた。

サン=ジェルマン条約(サン=ジェルマンじょうやく)
サン=ジェルマン条約(サン=ジェルマンじょうやく)

1919年

9月。

第一次世界大戦で敗戦国となったオーストリアが連合国との間に結んだ条約。

オーストリア領内の南スラヴ系民族の独立が正式に認められた。


オーストリアからチェコスロヴァキア・ハンガリー・ユーゴスラヴィア・ポーランドが分離独立した(オーストリアからチェコスロヴァキア・ハンガリー・ユーゴスラヴィア・ポーランドがぶんりどくりつした)
オーストリアからチェコスロヴァキア・ハンガリー・ユーゴスラヴィア・ポーランドが分離独立した(オーストリアからチェコスロヴァキア・ハンガリー・ユーゴスラヴィア・ポーランドがぶんりどくりつした)

第一次世界大戦後、オーストリアからチェコスロヴァキア・ハンガリー・ユーゴスラヴィア・ポーランドが分離独立した。

ピウスツキ
ピウスツキ

1867年 - 1935年

ポーランドの政治家。

領土拡大を図り、ポーランド=ソヴィエト戦争(1920年 - 1921年)を指導。

1926年、クーデタによって政権を握った。


国際連盟(こくさいれんめい)
国際連盟(こくさいれんめい)

1920年発足。

ヴェルサイユ条約により設置された国際機関。

本部はスイスのジュネーヴ。

侵略国に対する制裁手段としては軍事制裁権をもたず、経済制裁のみ。

制裁手段は経済制裁のみ(せいさいしゅだんはけいざいせいさいのみ)
制裁手段は経済制裁のみ(せいさいしゅだんはけいざいせいさいのみ)

国際連盟は侵略国に対しての制裁手段は経済制裁のみであり、軍事制裁権はもたなかった。


ドイツとソヴィエト=ロシアは排除された(ドイツとソヴィエト=ロシアははいじょされた)
ドイツとソヴィエト=ロシアは排除された(ドイツとソヴィエト=ロシアははいじょされた)

国際連盟の発足当初、敗戦国のドイツと社会主義国のソヴィエト=ロシアは排除された。

アメリカ合衆国は孤立主義により不参加(アメリカがっしゅうこくはこりつしゅぎによりふさんか)
アメリカ合衆国は孤立主義により不参加(アメリカがっしゅうこくはこりつしゅぎによりふさんか)

アメリカ合衆国は「他国と同盟を結ばず、国際組織にも入らない」という「孤立主義」により国際連盟に参加しなかった。


ジュネーヴ
ジュネーヴ

スイスの都市。

国際連盟が本部を置いた所。

四カ国条約(しかこくじょうやく)
四カ国条約(しかこくじょうやく)

1921年

アメリカ・イギリス・フランス・日本の4カ国が調印。

各国の太平洋諸島の属地や領土・権益の相互尊重、および、それに起因する国際問題の平和的解決を目指すもの。


アイルランド自由国(アイルランドじゆうこく)
アイルランド自由国(アイルランドじゆうこく)

1922年

アイルランドで独立の動きが強まり、アイルランド島南部26州が、イギリスから分離して政体を形成した。

ウェールズ
ウェールズ

イギリスを構成する地域のひとつ。

英語に加えて独自のケルト系言語が公用語とされる。


ルール占領(ルールせんりょう)
ルール占領(ルールせんりょう)

1923年

第一次大戦後、フランスは、ドイツの賠償金支払い不履行を理由にルール占領を強行した。

レンテンマルク
レンテンマルク

1923年

ドイツでインフレ収拾のために発行された紙幣。


世界恐慌(せかいきょうこう)
世界恐慌(せかいきょうこう)

1929年10月24日の「暗黒の木曜日」を契機として始まったアメリカの経済破綻が資本主義各国に波及した世界的恐慌。

特にドイツ経済の悪化が深刻だった。

フーヴァー=モラトリアム
フーヴァー=モラトリアム

1931年

アメリカ大統領フーヴァーが出した宣言。

政府債務の支払いを1年間猶予するもので、世界恐慌で打撃を受けたドイツの金融恐慌防止を目的としたものだったが、効果は薄かった。


マクドナルド挙国一致内閣(マクドナルドきょこくいっちないかく)
マクドナルド挙国一致内閣(マクドナルドきょこくいっちないかく)

1931年 - 1935年

イギリスでマクドナルドが組織した内閣。

1931年に金本位制を停止した。

金本位制停止(きんほんいせいていし)
金本位制停止(きんほんいせいていし)

1931年

イギリスのマクドナルド挙国一致内閣は金本位制を停止した。


オタワ連邦会議
オタワ連邦会議

1932年

世界恐慌に直面したイギリス連邦がカナダのオタワで開いた経済会議。

経済ブロック(スターリング=ブロック)の形成が推進された。

この会議はイギリス連邦経済会議ともいう。

スターリング=ブロック
スターリング=ブロック

1932年

イギリスを中心とした排他的な経済圏。経済ブロック。

オタワで開かれたイギリス連邦の経済会議でスターリング=ブロックの形成が決められた。


ナチ党(ナチとう)
ナチ党(ナチとう)

1933年に政権を握ったドイツの政党。

ヴェルサイユ条約はドイツに対する報復的な性格を帯びたものであったため、ドイツ経済の悪化に伴いドイツ国民の不満が高まり「ヴェルサイユ条約破棄」を掲げるナチ党が台頭した。

1935年、ナチ党は徴兵制を復活させた。

ヒトラー
ヒトラー

1889年 - 1945年

ドイツ第三帝国の独裁者。

1921年にナチ党の指導権を握る。

1933年に首相、1934年に大統領も兼ねる総統となる。

第二次世界大戦を引き起こしたが敗れ、自殺した。


「ローマ進軍」
「ローマ進軍」

1922年

ムッソリーニによる示威行為。

これによりムッソリーニは政権を掌握した。

ムッソリーニ
ムッソリーニ

1883年 - 1945年

イタリアの政治家。

1922年に「ローマ進軍」を行い政権を掌握。

独裁的権力を持った。

スペイン内戦においてはフランコを支援した。


アインシュタインがアメリカに亡命する
アインシュタインがアメリカに亡命する

相対性理論を創始したユダヤ系ドイツ人のアインシュタインは、1933年にナチ党の支配から逃れて米国に亡命した。

ホロコースト
ホロコースト

ナチス=ドイツによるアウシュヴィッツ強制収容所などでのユダヤ人虐殺。


人民戦線(じんみんせんせん)
人民戦線(じんみんせんせん)

台頭するファシズムの脅威を、民主主義勢力の統一によって阻止しようとした運動とその組織。

スペインの人民戦線内閣(スペインのじんみんせんせんないかく)
スペインの人民戦線内閣(スペインのじんみんせんせんないかく)

1936年の選挙に勝利したが、スペイン内戦でフランコらの反乱軍に敗れた。


スペイン内戦(スペインないせん)
スペイン内戦(スペインないせん)

1936年 - 1939年

スペインで起きた内乱。

フランコらの反乱軍が人民戦線政府を倒した。

ドイツとイタリアがフランコを支援する
ドイツとイタリアがフランコを支援する

スペイン内戦において、ドイツやイタリアといったファシズム諸国がフランコを支援した。


ゲルニカ爆撃(ゲルニカばくげき)
ゲルニカ爆撃(ゲルニカばくげき)

1937年

4月26日にスペイン北部の町ゲルニカをドイツ・イタリア空軍が無差別爆撃した。

年号の覚え方は「戦(いくさ)な(1937)んだぞゲルニカ爆撃」です。

フランコ
フランコ

1892年 - 1975年

スペインの軍人。

1936年に反乱の指導者となり、スペイン内戦で人民戦線政府と戦った。

ドイツやイタリアといったファシズム諸国の支援を受けて、1939年3月に内戦に勝利。

1939年9月にはじまった第二次世界大戦では中立を維持。

病死するまで独裁的権力を保持した。


オーストリア併合
オーストリア併合

1938年

3月にナチス=ドイツのヒトラーがオーストリアを併合した。

ミュンヘン会談(ミュンヘンかいだん)
ミュンヘン会談(ミュンヘンかいだん)

1938年

9月にドイツのミュンヘンで開かれた国際会議。

チェコスロバキアのズデーテン地方のドイツへの割譲が決まった。


チェコスロヴァキア
チェコスロヴァキア

ミュンヘン会談でズデーテン地方のドイツへの割譲を求められた。

ズデーテン地方(ズデーテンちほう)
ズデーテン地方(ズデーテンちほう)

ドイツ人が多く居住していた区域。


ズデーテン地方の場所(ズデーテンちほうのばしょ)
ズデーテン地方の場所(ズデーテンちほうのばしょ)

黄色がドイツ。青がチェコスロバキア。赤がズデーテン地方。

チェコスロヴァキア解体(チェコスロヴァキアかいたい)
チェコスロヴァキア解体(チェコスロヴァキアかいたい)

1939年

3月にナチス=ドイツはチェコスロヴァキアの解体を強行した。


第二次世界大戦(だいにじせかいたいせん)
第二次世界大戦(だいにじせかいたいせん)

1939年 - 1945年

ドイツ、日本、イタリアの日独伊三国同盟を中心とする枢軸国陣営と、イギリス、ソビエト連邦、アメリカ 、などの連合国陣営との間で戦われた全世界的規模の巨大戦争。人類史上最大の大戦争。連合国側が勝利した。

リトアニア
リトアニア

第一次世界大戦後にロシアから独立したものの、1940年にソ連に併合されて、冷戦終結まで独立を回復できなかった国。

第二次世界大戦中、外交官として赴任した杉原千畝がユダヤ系難民にビザを発給して多くの命を救ったことでも知られる。


杉原千畝(すぎはらちうね)
杉原千畝(すぎはらちうね)

1900年 - 1986年

第二次世界大戦中、外交官としてリトアニアに赴任し、ユダヤ系難民にビザを発給して多くの命を救った。

ヴィシー政府(ヴィシーせいふ)
ヴィシー政府(ヴィシーせいふ)

1940年 - 1944年

第二次世界大戦中、ドイツに降伏した後のフランスの対ドイツ協力政権。

ペタンが率いた。


ペタン
ペタン

1856年 - 1951年

フランスの軍人。政治家。

ヴィシー政府を率いた。

レジスタンス
レジスタンス

第二次世界大戦中、枢軸国の占領地で起こった、枢軸国に対する抵抗運動。


武器貸与方(ぶきたいよほう)
武器貸与方(ぶきたいよほう)

1941年に制定したアメリカの法律。

連合国に対する軍需品の供給を定めたもの。

第二次世界大戦の時期にイギリス、フランス、ソ連、中華民国などに対して武器貸与法を適用した。

スターリングラードの戦い(スターリングラードのたたかい)
スターリングラードの戦い(スターリングラードのたたかい)

1942年 - 1943年

ドイツとソ連の戦い。

ソ連が勝った。


バドリオ政権(バドリオせいけん)
バドリオ政権(バドリオせいけん)

1943年

イタリアでバドリオ政権が無条件降伏した。

カイロ会談(カイロかいだん)
カイロ会談(カイロかいだん)

1943年

エジプトのカイロでアメリカ・イギリス・中華民国の3国の首脳が対日戦の協力と戦後処理について会談した。

アメリカからはフランクリン=ローズヴェルト、イギリスからはチャーチル、中華民国からは蒋介石が出席した。


ソビエト連邦(ソビエトれんぽう)
ソビエト連邦(ソビエトれんぽう)

ソ連とも呼ばれる。

第二次世界大戦後、東欧の大部分を影響下においた。

ポツダム会談(ポツダムかいだん)
ポツダム会談(ポツダムかいだん)

1945年

7月~8月、ドイツのベルリン近くのポツダムで、アメリカのトルーマン、イギリスのチャーチル、ソ連のスターリンが参加した首脳会談。

ドイツの戦後処理、日本の幸福条件や戦後処理を話し合った。


サンフランシスコ会議(サンフランシスコかいぎ)
サンフランシスコ会議(サンフランシスコかいぎ)

1945年

国際連合憲章を採択した。

国際連合憲章(こくさいれんごうけんしょう)
国際連合憲章(こくさいれんごうけんしょう)

1945年

国際連合の基本原則と基本組織を定めた。


国際連合(こくさいれんごう)
国際連合(こくさいれんごう)

1945年

10月に発足した国際平和機構。

本部はニューヨーク。

当初、常任理事国はアメリカ合衆国、イギリス、フランス、ソビエト連邦、中華民国の5か国。

ニュルンベルク裁判(ニュルンベルクさいばん)
ニュルンベルク裁判(ニュルンベルクさいばん)

1945年 - 1946年

ナチス=ドイツの戦争責任を裁く軍事裁判。


インドシナ戦争
インドシナ戦争

1946年 - 1954年

日本敗戦後に独立を宣言したベトナム民主共和国と、再植民地化を狙うフランスとの戦争。

1954年のジュネーヴ会議でジュネーヴ休戦協定が結ばれた。

コミンフォルム
コミンフォルム

1947年設立された、ソ連を始めとするヨーロッパ9カ国の共産党が創立した情報交換などのための機関。


コミンフォルムのユーゴスラヴィア除名
コミンフォルムのユーゴスラヴィア除名

1948年

ソ連は独自路線を取るユーゴスラヴィアをコミンフォルムから除名した。

ユーゴスラヴィア
ユーゴスラヴィア

1929年 - 2006年

バルカン半島北西部にあった連邦共和国。

社会主義国だが、ソ連と別れて独自路線をとった。


ティトー
ティトー

1892年 - 1980年

ユーゴスラヴィアの首相(在任:1945年 - 1953年)。大統領(在任:1953年 - 1980年)。

ユーゴスラヴィアの指導者。

抵抗運動を率いてナチスからの自力解放に成功した。

ソ連に対して自主的な姿勢をとったため、ユーゴスラヴィアはコミンフォルムから除名された。

1961年に第1回非同盟諸国首脳会議に出席した。

チェコスロヴァキアのクーデタ
チェコスロヴァキアのクーデタ

1948年

2月にクーデタでチェコスロヴァキアに共産党政権が成立した。


西ヨーロッパ連合条約(にしよーろっぱれんごうじょうやく)
西ヨーロッパ連合条約(にしよーろっぱれんごうじょうやく)

1948年

2月のチェコスロヴァキアのクーデタに危機感を抱いた英・仏などが3月に西ヨーロッパ連合条約を結成した。

この同盟は、ソ連がベルリン封鎖を開始すると、アメリカを中心とする西側諸国の反共軍事同盟であるNATOに発展した。

世界人権宣言(せかいじんけんせんげん)
世界人権宣言(せかいじんけんせんげん)

1948年

12月に国際連合で人権に関する宣言「世界人権宣言」が採択された。


NATO
NATO

1949年

西欧諸国の軍事機構。

アメリカ、カナダ、欧州の資本主義国が加盟。

正式名称は北大西洋条約機構。

ドイツ連邦共和国(ドイツれんぽうきょうわこく)
ドイツ連邦共和国(ドイツれんぽうきょうわこく)

1949年 - 1990年

西ドイツともいう。

第二次世界大戦後、東西に分裂していたドイツの西側。


アデナウアー
アデナウアー

1876年 - 1967年

ドイツ連邦共和国(西ドイツ)初代首相(在任:1949年 - 1963年)。

アデナウアーの下で1954年に西ドイツが主権を回復した。

アデナウアー政権は西側との関係を強化し、NATO加盟と再軍備を認められた。

ドイツ民主共和国(ドイツみんしゅきょうわこく)
ドイツ民主共和国(ドイツみんしゅきょうわこく)

1949年 - 1990年

東ドイツともいう。

1949年にドイツ民主共和国の成立が宣言された。

第二次世界大戦後、東西に分裂していたドイツの東側。

年号の覚え方は「行くよ(194)ク(9)ソども、ドイツ民主共和国成立」です。


ベトナム国
ベトナム国

1949年 - 1955年

フランスがベトナムの南側に建てた国。

ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ヨーロッパせきたんてっこうきょうどうたい)
ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ヨーロッパせきたんてっこうきょうどうたい)

1952年発足。

ECSC(イーシーエスシー)ともいう。


ナジ=イムレ
ナジ=イムレ

1896年 - 1958年

ハンガリーの指導者。首相(在任:1953年 - 1955年、1956年)。

ディエンビエンフー
ディエンビエンフー

1954年

インドシナ戦争に際してフランスが根拠地としたベトナムの町。

1954年に陥落したため、休戦が実現した。


パリ協定(パリきょうてい)
パリ協定(パリきょうてい)

1954年

西ドイツの再軍備とNATO加盟が承認された。

ワルシャワ条約機構(ワルシャワじょうやくきこう)
ワルシャワ条約機構(ワルシャワじょうやくきこう)

1955年

5月設立。

ソ連を盟主として東ヨーロッパ諸国が結成した軍事同盟。

西側陣営に対抗した。


ラッセル・アインシュタイン宣言(ラッセル・アインシュタインせんげん)
ラッセル・アインシュタイン宣言(ラッセル・アインシュタインせんげん)

1955年

7月にラッセルとアインシュタインを中心とする11人がロンドンで署名した宣言。

核兵器はヤバい。できれば廃絶させた方が良い。紛争とかは平和的に解決しよう、って訴えたもの。

湯川秀樹も署名した。

ポーランド反政府反ソ暴動(ポーランドはんせいふはんソぼうどう)
ポーランド反政府反ソ暴動(ポーランドはんせいふはんソぼうどう)

1956年

待遇改善を要求する労働者と、民主化を要求する学生がポーランドのポズナニで起こした運動。

ソ連の軍事介入を回避するためポーランド政府自ら鎮圧した。

ポズナニ暴動ともいう。


ヨーロッパ経済共同体(ヨーロッパけいざいきょうどうたい)
ヨーロッパ経済共同体(ヨーロッパけいざいきょうどうたい)

1958年発足。

EEC(イーイーシー)ともいう。

ヨーロッパ原子力共同体(ヨーロッパげんしりょくきょうどうたい)
ヨーロッパ原子力共同体(ヨーロッパげんしりょくきょうどうたい)

1958年発足。

EURATOM(ユーラトム)ともいう。


ド=ゴール
ド=ゴール

1890年 - 1970年

フランス第18代大統領(任期:1959年 - 1969年)。

アルジェリアの独立運動とそれに伴う政情不安が契機となり、ド=ゴールはフランス第18代大統領になるとともにフランスを第五共和政という体制に転換した。

入植者らの抵抗をおさえてアルジェリア独立を承認した。

第五共和政(だいごきょうわせい)
第五共和政(だいごきょうわせい)

1958年から今日まで続くフランスの政体。


ヨーロッパ自由貿易連合(ヨーロッパじゆうぼうえきれんごう)
ヨーロッパ自由貿易連合(ヨーロッパじゆうぼうえきれんごう)

1960年発足。

イギリスがヨーロッパ経済共同体(EEC)に対抗して組織した共同市場。

EFTA(エフタ)ともいう。

非同盟諸国首脳会議(ひどうめいしょこくしゅのうかいぎ)
非同盟諸国首脳会議(ひどうめいしょこくしゅのうかいぎ)

1961年

ベオグラードで開催された国際会議。

エジプトのナセルやユーゴスラヴィアのティトー等が主導して、インドのネルーやガーナのエンクルマなど25か国の代表が出席した。

平和共存、民族解放の支援、植民地主義の打破を目指して共同歩調をとることが誓われた。


ヨーロッパ共同体(ヨーロッパきょうどうたい)
ヨーロッパ共同体(ヨーロッパきょうどうたい)

1967年発足。

ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)、ヨーロッパ経済共同体(EEC)、ヨーロッパ原子力共同体(EURATOM)の3組織が統合して成立した組織。

フランスや西ドイツを中心に結成された。

EC(イーシー)ともいう。

核拡散防止条約(かくかくさんぼうしじょうやく)
核拡散防止条約(かくかくさんぼうしじょうやく)

1968年

1968年時点で核を保有する米国、ソ連、英国、フランス、中国の5カ国以外による核保有を禁止する条約。

「NPT」とも呼ばれる。


ドプチェク
ドプチェク

1921年 - 1992年

チェコスロヴァキアの第一書記(在任:1968年 - 1969年)。

自由化を推進した。

イギリスがヨーロッパ共同体に加盟する
イギリスがヨーロッパ共同体に加盟する

1973年

1月にイギリスがヨーロッパ共同体に加盟した。


東西ドイツの国際連合同時加盟(とうざいドイツのこくさいれんごうどうじかめい)
東西ドイツの国際連合同時加盟(とうざいドイツのこくさいれんごうどうじかめい)

1973年

9月に東西ドイツが国際連合に同時に加盟した。

ヘルシンキ宣言(ヘルシンキせんげん)
ヘルシンキ宣言(ヘルシンキせんげん)

1975年

全欧安全保障協力会議(CSCE)で出された宣言。

「思想、良心、宗教、信条の自由を含む人権と基本的自由の尊重」や「人道及びその他の分野における協力」が謳われた。。


先進国首脳会議(せんしんこくしゅのうかいぎ)
先進国首脳会議(せんしんこくしゅのうかいぎ)

第1回は1975年に行われた。

「サミット」ともいう。

連帯(れんたい)
連帯(れんたい)

1980年結成

ポーランドの自主管理労働組合。


フォークランド戦争
フォークランド戦争

1982年

アルゼンチン政府がイギリス領フォークランド諸島へ侵攻した戦い。

イギリス軍が奪回した。

チャウシェスク処刑
チャウシェスク処刑

1989年

ルーマニアの独裁者、チャウシェスクが処刑された。


ワレサ
ワレサ

1943年 -

ポーランドの指導者。大統領(在任:1990年 - 1995年)。

ユーゴスラヴィア連邦からスロヴェニア、クロアティア、マケドニアが独立を宣言する
ユーゴスラヴィア連邦からスロヴェニア、クロアティア、マケドニアが独立を宣言する

1991年

ユーゴスラヴィア連邦からスロヴェニア、クロアティア、マケドニアが分離独立を宣言した。


スロヴェニア
スロヴェニア

1991年にユーゴスラヴィア連合からの独立を宣言した。

クロアティア
クロアティア

1991年にユーゴスラヴィア連合からの独立を宣言した。


マケドニア
マケドニア

1991年にユーゴスラヴィア連合からの独立を宣言した。

ボスニア内戦(ボスニアないせん)
ボスニア内戦(ボスニアないせん)

1992年

旧ユーゴスラヴィアからの独立の賛否をめぐって、ボスニア=ヘルツェゴヴィナでクロアティア人、セルビア人、ムスリムが三つ巴の激しい内戦を展開した。

1995年、米国のクリントン大統領の調停によってデイトン協定が締結され終結した。


クロアティア人
クロアティア人

ボスニア内戦で三つ巴の戦いを行った勢力のひとつ。

セルビア人
セルビア人

ボスニア内戦で三つ巴の戦いを行った勢力のひとつ。


ムスリム
ムスリム

イスラム教徒の事。

ボスニア内戦で三つ巴の戦いを行った勢力のひとつ。

クリントン
クリントン

1946年 -

第42代アメリカ合衆国大統領(在任:1993年 - 2001年)。

1995年、ボスニア内戦を調停し、デイトン協定を締結させた。


コソヴォ
コソヴォ

セルビア南部のコソヴォ自治州において、人口の9割以上を占めていたアルバニア系住民がセルビア人勢力から激しい弾圧を受けて内戦状態に陥った。

1999年に北大西洋条約機構(NATO)による空爆が行われ、セルビア人勢力はコソヴォ自治州から撤退した。

アルバニア
アルバニア

アルバニア系住民はコソヴォ問題でセルビア人勢力から弾圧を受けた。


ミロシェヴィッチ
ミロシェヴィッチ

1941年 - 2006年

セルビア大統領(在任:1990年 - 1997年)。新ユーゴスラヴィア大統領(在任:1997年 - 2000年)。

コソヴォ問題でアルバニア系住民の大量殺害への関与により、国際戦犯裁判に提訴され、公判中に拘置所で死亡した。

NATOによるセルビア爆撃
NATOによるセルビア爆撃

1999年

3月に北大西洋条約機構(NATO)軍が、セルビアを爆撃した。

年号の覚え方は『「イ(1)ッヒッヒ、ク(9)ック(9)ック(9)」ひどいよNATO、セルビア爆撃』です。


モンテネグロ独立(モンテネグロどくりつ)
モンテネグロ独立(モンテネグロどくりつ)

2006年

モンテネグロはセルビアとの間の国家連合を解消して新国家となった。

コソヴォ独立(コソヴォどくりつ)
コソヴォ独立(コソヴォどくりつ)

2008年

コソヴォ共和国はセルビアからの独立を宣言した。


オバマ
オバマ

1961年 ~

第44代アメリカ合衆国大統領(在任:2009年 - 2017年)。

プラハで核兵器廃絶を訴える演説を行った。

プラハ
プラハ

チェコ共和国の首都。