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日本史

日本史の勉強法、覚え方【高校】

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大正時代【高校:日本史】 1912年 - 1926年

下に行くほど歴史的に新しい出来事です。

大正時代(たいしょうじだい)
大正時代(たいしょうじだい)

1912年 - 1926年

元号が「大正」の時代。

大正デモクラシー(たいしょうデモクラシー)
大正デモクラシー(たいしょうデモクラシー)

大正時代に顕著になった民主主義的思潮のこと。

大正デモクラシーの時期には、新聞や、総合雑誌の『中央公論』『改造』などを舞台にデモクラシーを促進する言論が展開された。


友愛会(ゆうあいかい)
友愛会(ゆうあいかい)

1912年に鈴木文治らが集まって組織された労働者団体。労働者の団結と解放を主張した。

当初は共済組合的なものであり、労働組合ではなかったが、次第に労働組合としての性格が強くなり、1919年には大日本労働総同盟友愛会に、1921年には日本労働総同盟に改称された。

鈴木文治(すずきぶんじ)
鈴木文治(すずきぶんじ)

1885年 - 1946年

政治家。労働運動家。

友愛会の創始者。

日本の労働運動の草分け的存在と言われる。


2個師団増設問題(にこしだんぞうせつもんだい)
2個師団増設問題(にこしだんぞうせつもんだい)

1912年

財政緊縮を唱える第2次西園寺公望内閣に対して陸軍が2個師団増設を要求。この内閣と陸軍の対立により第2次西園寺公望内閣は総辞職した。

のちの第2次大隈重信内閣で2個師団増設が可決されることになる。

第3次桂太郎内閣(だいさんじかつらたろうないかく)
第3次桂太郎内閣(だいさんじかつらたろうないかく)

1912年12月21日 - 1913年2月20日

桂太郎が第15代内閣総理大臣として任命された内閣。

「なんか日本の政治は討幕運動で功績をあげた奴らが牛耳ってるよね。マジでむかつく。もっと民主的な政治をしろよ」っていう運動(第一次護憲運動)によって倒された(大正政変)。


尾崎行雄(おざきゆきお)
尾崎行雄(おざきゆきお)

1858年 - 1954年

立憲政友会の尾崎行雄と立憲国民党の犬養毅らは、お互いに協力して第3次桂太郎内閣打倒のために戦う。(第一次護憲運動)。

犬養毅(いぬかいつよし)
犬養毅(いぬかいつよし)

1855年 - 1932年

立憲国民党の犬養毅らは立憲政友会の尾崎行雄とお互いに協力して第3次桂太郎内閣打倒のために戦う。(第一次護憲運動)。


第1次山本権兵衛内閣(だいいちじやまもとごんべえないかく)
第1次山本権兵衛内閣(だいいちじやまもとごんべえないかく)

1913年2月20日 - 1914年4月16日

山本権兵衛が第16代内閣総理大臣として任命された内閣。

大正政変を受けて成立した。

1913年に軍部大臣現役武官制の現役規定を削除し、非現役でも大将、中将であればよいとした。この改正により軍部の内閣への影響力を弱めようとした。

中里介山(なかざとかいざん)
中里介山(なかざとかいざん)

1885年 - 1944年

1913年に長編大衆小説『大菩薩峠』を発表し人気を得た。


『大菩薩峠』(だいぼさつとうげ)
『大菩薩峠』(だいぼさつとうげ)

1913年から刊行された長編大衆小説。

中里介山の作。

人気を得た。

桂太郎(かつらたろう)
桂太郎(かつらたろう)

1848年 - 1913年

第一次護憲運動に対抗するため、1913年に立憲同志会を創立した。

なお、桂太郎自身は結党2ヶ月前に病死した。


立憲同志会(りっけんどうしかい)
立憲同志会(りっけんどうしかい)

1913年12月

第一次護憲運動に対抗するために桂太郎が創立した政党。

加藤高明を総理として発足した。

なお、桂太郎自身は結党2ヶ月前に病死した。

第1次山本権兵衛内閣では野党。第2次大隈重信内閣では与党。後に中正会、公友倶楽部と合同して憲政会を結党する。

加藤高明(かとうたかあき)
加藤高明(かとうたかあき)

1860年 - 1926年

政治家。

立憲同志会の総裁に就任した。


東京駅(とうきょうえき)
東京駅(とうきょうえき)

1914年

1914年(大正3年)12月20日に東京駅が開業した。

安井曽太郎(やすいそうたろう)
安井曽太郎(やすいそうたろう)

1888年 - 1955年

洋画家。

浅井忠に師事。

渡仏して学び帰国。

二科会に参加し、二科展に出品して地位を確立した。


第2次大隈重信内閣(だいにじおおくましげのぶないかく)
第2次大隈重信内閣(だいにじおおくましげのぶないかく)

1914年4月16日 - 1916年10月9日

大隈重信が第17代内閣総理大臣として任命された内閣。

第一次世界大戦中の1915年、中国の袁世凱政府に対して二十一か条要求を行う。

2個師団増設を可決した。

第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)
第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)

1914年 - 1918年

ヨーロッパを主戦場に第一次世界大戦が始まり、連合国(ロシア帝国、フランス第三共和政、グレートブリテン及びアイルランド連合王国の三国協商に基づく)と中央同盟国(主にドイツ帝国とオーストリア=ハンガリー帝国)が争った。

日本(第二次大隈重信内閣)は日英同盟を理由にドイツに宣戦し、連合国側についた。

戦争は連合国側の勝利となった。

第一次世界大戦期に日本ではアメリカやアジアへの輸出が激増した。

この戦争の渦中の1917年、ロシア革命がおこり世界初の社会主義国家が成立した。


生糸(きいと)
生糸(きいと)

第一次世界大戦の時期に日本がアメリカへ輸出していた主な輸出製品は生糸である。

綿織物(めんおりもの)
綿織物(めんおりもの)

第一次世界大戦の時期に日本がアジアへ輸出していた主な輸出製品は綿織物である。


鈴木商店(すずきしょうてん)
鈴木商店(すずきしょうてん)

金子直吉に率いられた商社。本店は神戸。

台湾銀行からの融資によって台湾産の砂糖や樟脳の取引をはじめ、神戸製鋼所や帝国人造絹糸などの企業を傘下に収め、第1次世界大戦の時期には三井物産、三菱商事に比肩する規模にまで急成長した。

鈴木商店とは|鈴木商店とは|鈴木商店記念館

輸出超過(ゆしゅつちょうか)
輸出超過(ゆしゅつちょうか)

第一次世界大戦がもたらした大戦景気の下、1915年から18年まで日本の貿易は輸出超過になった。


二十一カ条の要求(にじゅういっかじょうのようきゅう)
二十一カ条の要求(にじゅういっかじょうのようきゅう)

1915年5月

日本の第2次大隈重信内閣が中国の袁世凱政府に対して中国における日本の権益を確保するために行った21カ条の要求。

ポーツマス条約でロシアの権益を日本が譲り受けた際に、ロシアが清から権益を獲得した年から起算した有効期限が設けられていたが、この二十一カ条の要求で租借期間延長を認めさせたため、遼東半島の租借権、および長春以南の東清鉄道を継承した南満州鉄道の経営権を延長できた。

袁世凱(えんせいがい)
袁世凱(えんせいがい)

1859年9月 - 1916年6月

日本に二十一か条要求を突き付けられ、この情報を諸外国にリークするなど不成立にさせようとするが、1915年、ついにこれを認める。


山県有朋が加藤高明を批判する(やまがたありともがかとうたかあきをひはんする)
山県有朋が加藤高明を批判する(やまがたありともがかとうたかあきをひはんする)

二十一カ条の要求に関して元老の山県有朋は「訳のわからぬ無用の箇条まで羅列して請求したるは大失策」と述べて加藤高明外相を批判した。

山東問題(さんとうもんだい)
山東問題(さんとうもんだい)

二十一カ条の要求で日本は山東省の旧ドイツ権益の全面譲渡を主張したが中国は反対し、この問題は紛糾した。

ヴェルサイユ条約で権益の継承が認められるものの、中国は反対し五・四運動が起きた。

ワシントン会議の九カ国条約で中国の領土と主権の尊重が約束され、日本は旧ドイツ権益を返還した。


2個師団増設の可決(にこしだんぞうせつのかけつ)
2個師団増設の可決(にこしだんぞうせつのかけつ)

1915年

6月に第2次大隈重信内閣は、第2次西園寺公望内閣の総辞職の原因となった2個師団増設を可決した。

全国中等学校優勝野球大会(ぜんこくちゅうとうがっこうゆうしょうやきゅうたいかい)
全国中等学校優勝野球大会(ぜんこくちゅうとうがっこうゆうしょうやきゅうたいかい)

1915年

8月に全国中等学校優勝野球大会が始まり、その後ラジオ放送などを介して人気を集めた。


活動写真(かつどうしゃしん)
活動写真(かつどうしゃしん)

1914年に始まった第一次世界大戦を通じて、アメリカはイギリスに代わって世界に最も影響を与える国となり、日本でも当時「活動写真」と呼ばれた映画など、アメリカ文化の影響を強く受けるようになった。

芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)
芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)

1892年 - 1927年

小説家。

代表作は1915年10月に発表した『羅生門』や1916年に発表した『鼻』など。


段祺瑞(だんきずい)
段祺瑞(だんきずい)

1865年 - 1936年

清の軍閥政治家。

袁世凱の死後に北京政府の実権を握った。

寺内正毅内閣(てらうちまさたけないかく)
寺内正毅内閣(てらうちまさたけないかく)

1916年10月9日 - 1918年9月29日

寺内正毅が第18代内閣総理大臣に任命された内閣。

米騒動の責任を取り総辞職した。


憲政会(けんせいかい)
憲政会(けんせいかい)

1916年

10月10日に立憲同志会、中正会、公友倶楽部の合同で成立した。

戦前の二大政党のひとつ。

初代総裁は加藤高明。

二代目総裁は若槻礼次郎。

1927年に政友本党と合同し立憲民政党となった。

吉野作造(よしのさくぞう)
吉野作造(よしのさくぞう)

1878年 - 1933年

政治学者、思想家。

中央公論に発表していた『憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず』という論文などで「民衆の利益と幸福を実現することが政治の目的であり、民衆の意向を無視してはならない」とする民本主義を唱えていた吉野作造は、超然内閣として成立した寺内正毅内閣を批判した。


中央公論(ちゅうおうこうろん)
中央公論(ちゅうおうこうろん)

1887年に日本で創刊され、現在も発行されている月刊総合雑誌。

大正期には吉野作造の政治評論をはじめ、デモクラシーを促進する言論を展開した。

滝田樗陰(たきたちょいん)
滝田樗陰(たきたちょいん)

1882年 - 1925年

編集長として中央公論の基礎を確立した。


河上肇(かわかみはじめ)
河上肇(かわかみはじめ)

1879年 - 1946年

経済学者。

京都帝国大学でマルクス経済学の研究を行っていたが、その後教職を辞し、日本共産党の党員となった。カール・マルクス『資本論』の翻訳(第一巻の一部のみ翻訳)やコミンテルン三十二年テーゼの翻訳のほか、1917年に出版したベストセラー『貧乏物語』の他に、『第二貧乏物語』『資本論入門』の著作がある。死後に刊行された『自叙伝』は広く読まれた。

本田光太郎(ほんだこうたろう)
本田光太郎(ほんだこうたろう)

1870年 - 1954年

物理学者。金属工学者(冶金学者)。

磁性鋼であるKS鋼、新KS鋼の発明者として知られる。文化勲章受章者。KS鋼は1917年に発明。新KS鋼は1934年に発明。


KS磁石鋼(けーえすじしゃくこう)
KS磁石鋼(けーえすじしゃくこう)

1917年

本田光太郎らが発明した、それまでのタングステン鋼の3倍の保磁力を実現した画期的な鋳造磁石。

参考
永久磁石の歴史と磁気科学の発展 | 近代永久磁石の草分け、合金鋼磁石

石井・ランシング協定(いしい・ランシングきょうてい)
石井・ランシング協定(いしい・ランシングきょうてい)

1917年

日米の間で交わされた協定。

アメリカは日本の中国における「特殊権益」を認め、日本はアメリカが主張する中国の「門戸開放」を認めた。


ロシア革命(ろしあかくめい)
ロシア革命(ろしあかくめい)

1917年

第一次世界大戦中にロシア革命が起き、帝政ロシアが崩壊して世界初の社会主義国家が成立した。

革命の拡大を恐れたイギリス・フランス等の連合国が干渉に乗り出し、日本もシベリア出兵を行った。

米騒動(こめそうどう)
米騒動(こめそうどう)

1918年

工業労働者の増加や人口の都市集中などによる米の消費量増大に加え、シベリア出兵を見込んだ米の投機的買占めにより米価が高騰していた。

7月の富山県の主婦たちの行動を皮切りに、全国の多くの市長村で人々が米価の引き下げを求め、米商人や地主などを攻撃する米騒動が発生した。

政府は鎮圧のために軍隊を出動させた。

数日後の全国各紙に「越中女房一揆」と報じられた。

責任を追及された寺内正毅内閣は総辞職した。

年号の覚え方は「行く(19)ぞ!嫌(18)な奴らをぶっ飛ばす米騒動発生!」です。


シベリア出兵(しべりあしゅっぺい)
シベリア出兵(しべりあしゅっぺい)

1918年 - 1922年

帝政ロシアが崩壊すると、欧米列強とともに日本もシベリア出兵を行い、革命に干渉した。

チェコスロヴァキア
チェコスロヴァキア

シベリア出兵はチェコスロヴァキア軍救援を名目に行われた。


原敬内閣(はらたかしないかく)
原敬内閣(はらたかしないかく)

1918年9月29日 - 1921年11月13日

原敬が第19代内閣総理大臣に任命された内閣。

原が元新聞記者だったため原敬首相は平民宰相と呼ばれた。

日本初の本格的な政党内閣と言われる。

社会の混乱を懸念して、普通選挙制の導入には消極的で、衆議院議員選挙法改正においても直接国税を3円以上とし、小選挙区制を導入したにとどまった。

1918年に大学令を公布した。

原敬が1921年に暗殺されたことにより総辞職。

大学令(だいがくれい)
大学令(だいがくれい)

1918年公布。

勅令。以前からあった帝国大学とは別に、公立大学、私立大学、単科大学の設立を認めたもの。1947年に学校教育法により廃止された。


鞍山製鉄所(あんざんせいてつじょ)
鞍山製鉄所(あんざんせいてつじょ)

1918年

南満州鉄道株式会社が満州で鞍山製鉄所を設立した。

パリ講和会議(ぱりこうわかいぎ)
パリ講和会議(ぱりこうわかいぎ)

1919年

1月~6月に開かれた第一次世界大戦終結のための講和会議。

パリで開かれた。

国際連盟の設立を決めた。

日本は山東省の旧ドイツ権益の継承権を認められ、赤道以北の旧ドイツ領南洋諸島の委任統治権を得た。

会議での日本の主張に人種差別撤廃案があったが、列国の反対で条約案に入らなかった。

この会議でヴェルサイユ条約が調印された。


ヴェルサイユ条約(ゔぇるさいゆじょうやく)
ヴェルサイユ条約(ゔぇるさいゆじょうやく)

1919年

6月に結ばれた第一次世界大戦終結のための講和条約。

この条約において、日本は二十一カ条の要求で要求していた山東省旧ドイツ権益の継承を認められたが中国は反対し五・四運動が起きた(山東問題)。

五・四運動(ごしうんどう)
五・四運動(ごしうんどう)

1919年

パリ講和会議で二十一カ条の要求の解消を求めたが拒否されたことに端を発する中国での反帝国主義運動。反日国民運動。

ヴェルサイユ条約の調印拒否を叫んだ。

運動は5月4日に始まった。


孫秉煕(ソン・ビョンヒ)
孫秉煕(ソン・ビョンヒ)

1861年 - 1922年

天道教の大3代教主、朝鮮の独立運動家。

1919年に朝鮮の独立運動である三・一独立運動を主導したが鎮圧された。

三・一独立運動(さんいちどくりつうんどう)
三・一独立運動(さんいちどくりつうんどう)

1919年

朝鮮民族が起こした反日独立運動。日本は武力で鎮圧した。


憲兵警察の廃止(けんぺいけいさつのはいし)
憲兵警察の廃止(けんぺいけいさつのはいし)

三・一独立運動を鎮圧したのち、朝鮮総督府は「武断統治」への批判の高まりを受け憲兵警察制度(陸軍の憲兵が一般の警察をも兼ねる制度)を廃止した。

大日本労働総同盟友愛会(だいにほんろうどうそうどうめいゆうあいかい)
大日本労働総同盟友愛会(だいにほんろうどうそうどうめいゆうあいかい)

1919年

労働者団体である友愛会は1919年に大日本労働総同盟友愛会に改称した。


国際連盟(こくさいれんめい)
国際連盟(こくさいれんめい)

1920年1月に発足した国際機関。史上初の国際平和機構。

イギリス・フランス・日本・イタリアが常任理事国。後ににドイツ国、ソヴィエト社会主義共和国連邦も加盟と同時に常任理事国となった。

アメリカは上院の反対で国際連盟に参加しなかった。

アメリカ合衆国は国際連盟に不参加(アメリカがっしゅうこくはこくさいれんめいにふさんか)
アメリカ合衆国は国際連盟に不参加(アメリカがっしゅうこくはこくさいれんめいにふさんか)

アメリカは上院の反対で国際連盟に参加しなかった。


平塚らいてう(ひらつからいちょう)
平塚らいてう(ひらつからいちょう)

1886年 - 1971年

女性解放運動家。

1920年に市川房枝とともに新婦人協会を結成した。

市川房枝(いちかわふさえ)
市川房枝(いちかわふさえ)

1893年 - 1981年

婦人運動家。

1920年に平塚らいてうとともに新婦人協会を結成した。


新婦人協会(しんふじんきょうかい)
新婦人協会(しんふじんきょうかい)

平塚らいてうや市川房枝が、女性の地位の向上や権利の擁護などを目的として1920年3月に結成した日本初の婦人団体。

女性の政治参加を主張した。

メーデー
メーデー

メーデーとは労働者の祭典のこと。日本では1920年5月に第一回のメーデーが大日本労働総同盟友愛会を中心に上野公園で行われた。


石橋湛山(いしばしたんざん)
石橋湛山(いしばしたんざん)

1884年 - 1973年

ジャーナリスト、政治家、教育者。

東洋経済新報の記者として活躍。大正デモクラシーにおけるオピニオンリーダーの一人として、いち早く「民主主義」を提唱する。

三・一独立運動をはじめとする朝鮮における独立運動に理解を示したり、1920年代には帝国主義に対抗する平和的な加工貿易立国論を唱えて台湾・朝鮮・満州の放棄を主張する(小日本主義)など、リベラルな言論人として知られる。

戦後、首相になる。

小日本主義(しょうにほんしゅぎ)
小日本主義(しょうにほんしゅぎ)

1910年代 - 1920年代

『東洋経済新報』に拠る石橋湛山らが主張した外交思想。

植民地経営は赤字になるため、領有を放棄して日本本土のみの軍事負担も小さい「通商国家」として繁栄しようという思想。

軍国主義・専制主義・国家主義を主張する大日本主義に対し、小日本主義は産業主義・自由主義・個人主義を主張した。


東洋経済新報(とうようけいざいしんぽう)
東洋経済新報(とうようけいざいしんぽう)

経済専門雑誌。

石橋湛山は東洋経済新報の主幹をつとめた。

参考
沿革|東洋経済新報社

日本社会主義同盟(にほんしゃかいしゅぎどうめい)
日本社会主義同盟(にほんしゃかいしゅぎどうめい)

1920年

共産主義者、無政府主義者などの資本主義に反対する勢力を結集して成立。

翌年、結社を禁止された。


尼港事件(にこうじけん)
尼港事件(にこうじけん)

1920年

シベリアの尼港を占領した日本軍が抗日パルチザンに包囲され、700余人が殺害された事件。

プロレタリア文学(プロレタリアぶんがく)
プロレタリア文学(プロレタリアぶんがく)

無産階級である労働者や農民の現実を描いた文学。

大正末期から昭和初期にかけて、社会主義運動や労働運動の高揚にともなって盛んになった。

1921年には『種蒔く人』、1928年には『戦旗』などの機関誌が創刊された。


原敬暗殺(はらたかしあんさつ)
原敬暗殺(はらたかしあんさつ)

1921年11月4日

第19代内閣総理大臣の原敬は、東京駅丸の内南口コンコースにて、大塚駅の駅員であった右翼青年・中岡艮一に襲撃され、殺害された。

これにより原敬内閣は総辞職した。

ワシントン会議(ワシントンかいぎ)
ワシントン会議(ワシントンかいぎ)

1921年11月 - 1922年2月

アメリカで開かれた国際会議。

四カ国条約や九カ国条約が結ばれた。


高橋是清内閣(たかはしこれきよないかく)
高橋是清内閣(たかはしこれきよないかく)

1921年11月13日 - 1922年6月12日

高橋是清が第20代内閣総理大臣に任命された内閣。

高橋是清が立憲政友会総裁になる(たかはしこれきよがりっけんせいゆうかいそうさいになる)
高橋是清が立憲政友会総裁になる(たかはしこれきよがりっけんせいゆうかいそうさいになる)

1921年

高橋是清が立憲政友会の第4代総裁になる。


四カ国条約(しかこくじょうやく)
四カ国条約(しかこくじょうやく)

1921年

ワシントン会議においてアメリカ合衆国の主導により米英仏日間で調印された条約。

各国の太平洋諸島の属地や領土・権益の相互尊重、および、それに起因する国際問題の平和的解決を目指すもの。

日本労働総同盟(にほんろうどうそうどうめい)
日本労働総同盟(にほんろうどうそうどうめい)

1921年

労働組合の全国組織。1921年にそれまでの大日本労働総同盟友愛会から日本労働総同盟に改称された。


久津見房子(くつみふさこ)
久津見房子(くつみふさこ)

1890年 - 1980年

社会主義者。

1921年に赤瀾会を設立。

赤瀾会(せきらんかい)
赤瀾会(せきらんかい)

1921年に結成された日本で初の女性による社会主義団体。


九カ国条約(きゅうかこくじょうやく)
九カ国条約(きゅうかこくじょうやく)

1922年

2月にワシントン会議に出席した九か国(アメリカ合衆国・イギリス・オランダ・イタリア・中華民国・フランス・ベルギー・ポルトガル・日本)で締結された条約。

中国の領土・主権の尊重、各国の経済上の機会均等を約束した。

この九カ国条約にもとづき、日本は旧ドイツ権益(ドイツから日本に継承した山東省の権益)を中国に返還した。

ワシントン海軍軍縮条約(ワシントンかいぐんぐんしゅくじょうやく)
ワシントン海軍軍縮条約(ワシントンかいぐんぐんしゅくじょうやく)

1922年

イギリス、アメリカ、日本、フランス、イタリアの5カ国間で主力艦(戦艦・巡洋艦など)の総トン数比率を英5、米5、日3、仏1.67、伊1.67と規定したもの。


全国水平社(ぜんこくすいへいしゃ)
全国水平社(ぜんこくすいへいしゃ)

1922年

被差別部落の人々が、自らの手で社会的差別を撤廃することをめざし、3月に結成した。

小作争議(こさくそうぎ)
小作争議(こさくそうぎ)

農民(小作農)が、地主に対して小作料の減免や様々な条件改善を求めて起こした争議。

1921年以降に盛んになった。


賀川豊彦(かがわとよひこ)
賀川豊彦(かがわとよひこ)

1888年 - 1960年

キリスト教社会運動家、社会改良家。

1921年以降に盛んになっていた小作争議を背景に、1922年、杉山元治郎とともに日本農民組合を設立し、小作料の減免や耕作権の確立などを求めた。

杉山元治郎(すぎやまもとじろう)
杉山元治郎(すぎやまもとじろう)

1885年 - 1964年

政治家、農民運動家、牧師。

1921年以降に盛んになっていた小作争議を背景に、1922年、賀川豊彦とともに日本農民組合を設立し、小作料の減免や耕作権の確立などを求めた。


日本農民組合(にほんのうみんくみあい)
日本農民組合(にほんのうみんくみあい)

1922年

4月に結成。

日本最初の全国的農民組合。

日本共産党(にほんきょうさんとう)
日本共産党(にほんきょうさんとう)

1922年

7月にモスクワのソ連共産党の指導の下に作られた国際共産党の日本支部。


シベリアから撤兵(シベリアからてっぺい)
シベリアから撤兵(シベリアからてっぺい)

1922年

10月に日本はシベリアからの撤兵を完了した。

尾崎行雄(おざきゆきお)
尾崎行雄(おざきゆきお)

1858年 - 1954年

男子普通選挙を実現する運動の先頭に立ち、1922年に革新倶楽部を結成。


犬養毅(いぬかいつよし)
犬養毅(いぬかいつよし)

1855年 - 1932年

1922年、革新倶楽部を結成。

革新倶楽部(かくしんくらぶ)
革新倶楽部(かくしんくらぶ)

日本の帝国議会における大正時代の政党。1922年11月8日、立憲国民党を解党した犬養毅、尾崎行雄、島田三郎、古島一雄らを中心に46名で結成された。


ソビエト連邦(そびえとれんぽう)
ソビエト連邦(そびえとれんぽう)

1922年 - 1991年

ロシア革命を起源とし、1922年12月に成立した社会主義国家。

略称はソ連。

関東大震災(かんとうだいしんさい)
関東大震災(かんとうだいしんさい)

1923年

9月1日の昼に関東で発生した大地震によってもたられた災害。

死者・行方不明者は10万5千余。

関東大震災以降、大正デモクラシーの潮流は徐々に後退していった。


第2次山本権兵衛内閣(だいにじやまもとごんべえないかく)
第2次山本権兵衛内閣(だいにじやまもとごんべえないかく)

1923年9月2日 - 1924年1月7日

山本権兵衛が第22代内閣総理大臣に任命された内閣。

1923年8月24日の加藤友三郎首相の急逝、同年9月1日の関東大震災発生という混乱状態の最中で組閣された。1923年12月27日に発生した虎の門事件の影響で総辞職した。

後藤新平(ごとうしんぺい)
後藤新平(ごとうしんぺい)

1857年 - 1929年

内務大臣兼帝都復興院総裁として関東大震災復興事業の中心で指揮を執った。


北一輝(きたいっき)
北一輝(きたいっき)

1883年 - 1937年

思想家。社会運動家。国家社会主義者。

1923年に『日本改造法案大綱』っていう本を書いたら、この本に感化された青年将校が二・二六事件を起こして、責任取れって言われて処刑された人。

日本改造法案大綱(にほんかいぞうほうあんたいこう)
日本改造法案大綱(にほんかいぞうほうあんたいこう)

1923年

北一輝による日本の国家改造に関する著作。これに感化された若手将校たちによる二・二六事件が起こり、事件への直接関与が無いものの、北一輝も理論的指導者の一人として処刑された。


虎の門事件(とらのもんじけん)
虎の門事件(とらのもんじけん)

1923年

1923年(大正12年)12月27日日本の東京市麹町区(現: 千代田区)虎ノ門外において皇太子・摂政宮裕仁親王(後の昭和天皇)が無政府主義者の難波大助から狙撃を受けた事件。関東大震災後に頻発したテロ事件の一つで復興を進めていた第2次山本権兵衛内閣は、引責による総辞職を余儀なくされた。

円本(えんぽん)
円本(えんぽん)

関東大震災後の不況を打開するため、出版社は文学全集などを1冊1円という安価で売る円本を刊行した。

その結果、出版の大衆化を招いた。


清浦奎吾内閣(きようらけいごないかく)
清浦奎吾内閣(きようらけいごないかく)

1924年1月7日 - 1924年6月11日

清浦奎吾が第23代内閣総理大臣に任命された内閣。

第二次護憲運動が展開する中で行われた総選挙に敗北して総辞職した。

同潤会(どうじゅんかい)
同潤会(どうじゅんかい)

1924年設立。

関東大震災の翌年に内務大臣を会長として設立された財団法人。

鉄筋コンクリートの集合住宅を建設していった。


大佛次郎(おさらぎじろう)
大佛次郎(おさらぎじろう)

1897年 - 1973年

小説家。作家。

1920年代に執筆した『鞍馬天狗』や『赤穂浪士』などの小説で著名になった。

加藤高明内閣(かとうたかあきないかく)
加藤高明内閣(かとうたかあきないかく)

1924年6月11日 - 1926年1月30日

加藤高明が第24代内閣総理大臣に任命された内閣。

当初は護憲三派による連立内閣であり「憲政会」「革新倶楽部」「立憲政友会」からなっていた。

1925年普通選挙法を成立させ、男子普通選挙を実現させたが、治安維持法も同時に成立させた。第一回男子普通選挙では共産党員が大量検挙され労働農民党などが解散させられた。


新劇(しんげき)
新劇(しんげき)

ヨーロッパ流の近代的な演劇を目指す日本の演劇を指す。歌舞伎や新派の商業主義を批判し、芸術志向的な演劇を目指した。関東大震災後に作られた築地小劇場の活動により新劇運動が確立された。

築地小劇場(つきじしょうげきじょう)
築地小劇場(つきじしょうげきじょう)

1924年6月13日に開設した日本初の新劇の常設劇場。


新感覚派(しんかんかくは)
新感覚派(しんかんかくは)

1924年10月に創刊された『文藝時代』を母体として登場した、感覚的な表現のなかに文学の実態を求めようとした文学の一派。

横光利一や川端康成が代表。

川端康成(かわばたやすなり)
川端康成(かわばたやすなり)

1899年 - 1972年

小説家。文芸評論家。

新感覚派を代表する作家。

代表作に『伊豆の踊子』『雪国』など。


『キング』
『キング』

1925年1月に大衆娯楽雑誌『キング』が創刊された。

戦前の講談社の看板雑誌であるとともに、日本出版史上初めて発行部数100万部を突破した国民的雑誌。

日ソ基本条約(にっそきほんじょうやく)
日ソ基本条約(にっそきほんじょうやく)

1925年

1月に加藤高明内閣は日ソ基本条約を締結しソ連との国交を樹立した。


普通選挙法(ふつうせんきょほう)
普通選挙法(ふつうせんきょほう)

1925年

3月に加藤高明内閣によって制定された普通選挙を規定する法律。

納税額にかかわりなく満25歳以上の全ての成年男子に選挙権が与えられたため、有権者数はそれまでの4倍に増加した。

年号の覚え方は「行く(19)ぞニコ(25)ニコ普通選挙法制定!満25歳以上の男子は選挙にゴー」です。

治安維持法(ちあんいじほう)
治安維持法(ちあんいじほう)

1925年

3月に普通選挙法と同時に成立させた共産主義者・無政府主義者の取り締まりを目的とした法律。

国体の変革を企図したり、私有財産制度を否定すること目的として結社を組織または加入することを禁じ、最高刑を10年以下の懲役または禁固刑とした。

1900年に公布された集会・結社や労働運動・農民運動などの取り締まりを目的とした治安警察法と共に補完しあい、戦後の1945年10月に占領軍の命令で廃止されるまで続いた。


国体(こくたい)
国体(こくたい)

天皇を中心とした日本の国家体制のこと。

私有財産制度(しゆうざいさんせいど)
私有財産制度(しゆうざいさんせいど)

財産の私有を法律上保証する制度。

資本主義社会の基礎。

治安維持法では、私有財産制度を否定する結社の組織や加入を禁止した。


田中義一が立憲政友会総裁になる(たなかぎいちがりっけんせいゆうかいそうさいになる)
田中義一が立憲政友会総裁になる(たなかぎいちがりっけんせいゆうかいそうさいになる)

1925年

田中義一が立憲政友会の第5代総裁になる。

第1次若槻礼次郎内閣(だいいちじわかつきれいじろうないかく)
第1次若槻礼次郎内閣(だいいちじわかつきれいじろうないかく)

1926年1月30日 - 1927年4月20日

若槻礼次郎が第25代内閣総理大臣に任命された内閣。

前総理大臣の加藤高明が現職総理のまま病で急逝したことから若槻礼次郎が加藤高明死後の憲政会総裁として組閣された。


若槻礼次郎が憲政会総裁になる(わかつきれいじろうがけんせいかいそうさいになる)
若槻礼次郎が憲政会総裁になる(わかつきれいじろうがけんせいかいそうさいになる)

加藤高明が亡くなったため、若槻礼次郎が憲政会の第2代総裁となった。

憲政会は戦前の二大政党のひとつ。

立憲政友会(りっけんせいゆうかい)
立憲政友会(りっけんせいゆうかい)

戦前の二大政党のひとつ。

憲政会と対立した。


モボ
モボ

モダン・ボーイの略。当時流行の最先端を行っていた若い男性のことをモボと呼んだ。

大正から昭和初期には、モボ(モダン・ボーイ)と呼ばれる男性やモガ(モダン・ガール)と呼ばれる女性が繁華街を闊歩した。

モガ
モガ

モダン・ガールの略。当時流行の最先端を行っていた若い女性のことをモガと呼んだ。

大正から昭和初期には、モボ(モダン・ボーイ)と呼ばれる男性やモガ(モダン・ガール)と呼ばれる女性が繁華街を闊歩した。


蒋介石(しょうかいせき)
蒋介石(しょうかいせき)

1887年 - 1975年

中華民国の政治家、軍人。孫文の後継者として1924年1月20日に結ばれた第一次国共合作(中国国民党と中国共産党の間に結ばれた協力関係)をベースに北伐を行った。

北伐(ほくばつ)
北伐(ほくばつ)

1926年、蒋介石の指導のもとに、中国統一を目指す北伐が開始された。北伐とは全国統一戦争のことである。