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室町時代【高校:日本史】 1336年 - 1573年

下に行くほど歴史的に新しい出来事です。

室町時代(むろまちじだい)
室町時代(むろまちじだい)

1336年 - 1573年

建武政権の崩壊から、室町幕府滅亡まで。

建武式目(けんむしきもく)
建武式目(けんむしきもく)

1336年

足利尊氏が京都に幕府を開くのを目的に17カ条の施政方針を明らかにしたもの。


足利尊氏(あしかがたかうじ)
足利尊氏(あしかがたかうじ)

1305年 - 1358年

室町幕府の初代征夷大将軍(在職:1338年 - 1358年)。

1338年に京都の北朝に任じられ征夷大将軍になり室町幕府を開いた。

光明天皇(こうみょうてんのう)
光明天皇(こうみょうてんのう)

1322年 - 1380年

北朝第2代天皇(在位:1336年 - 1348年)。

北朝・南朝の分裂は、足利尊氏が後醍醐天皇に対抗して光明天皇を擁立したことに始まった。


北朝(ほくちょう)
北朝(ほくちょう)

南朝に対して、足利尊氏が持明院統の天皇を擁立し京都においた朝廷。

北朝の場所(ほくちょうのばしょ)
北朝の場所(ほくちょうのばしょ)

京都にあったということなので、この辺り。


南朝(なんちょう)
南朝(なんちょう)

足利尊氏と対立した後醍醐天皇が大和の吉野に逃れて抵抗をつづけた朝廷。

吉野(よしの)
吉野(よしの)

南朝が置かれた場所。

大和国南部(現在の奈良県南部)の一帯を指す地名。


南朝の場所(なんちょうのばしょ)
南朝の場所(なんちょうのばしょ)

奈良県南部とのことなので、この辺り。

南北朝時代(なんぼくちょうじだい)
南北朝時代(なんぼくちょうじだい)

1338年 - 1392年

持明院統の天皇を擁立した足利尊氏の北朝(京都)と後醍醐天皇が開いた南朝(吉野)に分かれて争った時代。日本の各地でも守護や国人たちがそれぞれの利害関係から北朝あるいは南朝に与して戦乱に明け暮れた。


守護大名(しゅごだいみょう)
守護大名(しゅごだいみょう)

室町時代の初期、守護は各地域で地頭や新興武士を従えて勢力を強め、守護大名と呼ばれるようになった。

国人(こくじん)
国人(こくじん)

荘官や地頭が在地に土着し経営基盤を確立して、村落を支配する領主層に成長した武士のこと。


土倉(どそう)
土倉(どそう)

鎌倉時代および室町時代の金融業者。物品を質草として担保とし、その質草に相当する金額の金銭を高利で貸与した。

地下請(じげうけ)
地下請(じげうけ)

領主に対する年貢納入を村が請け負う制度のこと。


侍所(さむらいどころ)
侍所(さむらいどころ)

京都内外の警備を行った組織。

四職(ししき)
四職(ししき)

侍所の長官に任じられた山名氏、赤松氏、一色氏、京極氏の4家のこと。

応仁の乱後に衰えて長官は空職になった。


山名氏(やまなうじ/やまなし)
山名氏(やまなうじ/やまなし)

侍所の長官を担う四職のうちの1家。

赤松氏(あかまつし)
赤松氏(あかまつし)

侍所の長官を担う四職のうちの1家。


一色氏(いっしきし)
一色氏(いっしきし)

侍所の長官を担う四職のうちの1家。

京極氏(きょうごくし)
京極氏(きょうごくし)

侍所の長官を担う四職のうちの1家。


懐良親王(かねよししんのう)
懐良親王(かねよししんのう)

?年 - 1383年

後醍醐天皇の皇子。南朝の皇子。

四国を経て九州に渡り、九州で勢力を持った。

「かねながしんのう」とも読む。

天龍寺船(てんりゅうじぶね)
天龍寺船(てんりゅうじぶね)

後醍醐天皇の冥福を祈るための寺院『天龍寺』の造営費用を得るため、室町幕府が公認し、1342年に元に派遣した貿易船。


度会家行(わたらいいえゆき)
度会家行(わたらいいえゆき)

1256年 - 1351年?

神官。伊勢神道の大成者。

建武の新政挫折後の南北朝の動乱で南朝方の北畠親房を支援し、その神国思想は北畠親房に大きく影響を与え、親房の師とされる。

北畠親房(きたばたけちかふさ)
北畠親房(きたばたけちかふさ)

1293年 - 1354年

公卿。南朝側の指導者。

『神皇正統記』の著者として名高い。


神皇正統記(じんのうしょうとうき)
神皇正統記(じんのうしょうとうき)

北畠親房が著した歴史研究に関する書物。

南朝側の正統性を述べた。

足利直義(あしかがただよし)
足利直義(あしかがただよし)

1306年 - 1352年

武将。足利尊氏の同母弟。

将軍尊氏を補佐して、尊氏・直義兄弟による「二頭政治」を行っていた。

しかし、尊氏の執事である高師直との間に派閥対立が生じ、追い落としを図り却って失脚したものの、やがて南朝と結んで師直一族を討ち幕政を掌握した。だが、対立は尊氏・直義両者による全国を巻き込む戦乱に発展し、直義は東国に逃れたが最後は鎌倉に幽閉され尊氏に毒殺された。


高師直(こうのもろなお)
高師直(こうのもろなお)

? - 1351年

武将。足利尊氏の執事。

将軍家の執事として絶大な権勢を振るったが、足利直義と対立するようになり一族もろとも殺された。

観応の擾乱(かんのうのじょうらん)
観応の擾乱(かんのうのじょうらん)

1349年 - 1352年

足利尊氏と弟の足利直義とが政務を分担した二頭政治の持つ矛盾が原因で起こった政争。

高師直は直義派に殺され、直義は尊氏に毒を盛られて殺され一応の決着をした。


管領(かんれい)
管領(かんれい)

観応の擾乱が「足利直義」と執事の「高師直」の二頭体制であったことによる勢力争いに端を発することから、今後混乱が置きないよう権力の一元化を図って作られた室町幕府の職名。将軍を助け政務を総轄した。

細川氏(ほそかわし)
細川氏(ほそかわし)

武家一族。

管領として将軍を補佐した。


斯波氏(しばし)
斯波氏(しばし)

武家一族。

管領として将軍を補佐した。

畠山氏(はたけやまし)
畠山氏(はたけやまし)

武家一族。

管領として将軍を補佐した。


鎌倉公方(かまくらくぼう)
鎌倉公方(かまくらくぼう)

室町幕府の将軍が関東十か国を統治するために1349年から設置した鎌倉府の長官。

後に古河公方と堀越公方に分裂した。

鎌倉府(かまくらふ)
鎌倉府(かまくらふ)

室町幕府が関東8カ国と伊豆・甲斐を統治するために設置した機関。


足利基氏(あしかがもとうじ)
足利基氏(あしかがもとうじ)

1340年 - 1367年

鎌倉公方となって鎌倉府を開き、東国を支配した。

関東管領(かんとうかんれい)
関東管領(かんとうかんれい)

鎌倉府の長官である鎌倉公方を補佐するために設置された役職。


上杉氏(うえすぎし)
上杉氏(うえすぎし)

関東管領を代々世襲した氏。

半済令(はんぜいれい)
半済令(はんぜいれい)

1352年に初めて出された、軍費の調達のために守護に国内の荘園や公領の年貢の半分を徴発する権限を認めた法令。

守護はこれらの権限を利用して荘園・公領を侵略し家臣の武士に分け与えた。


天龍寺(てんりゅうじ)
天龍寺(てんりゅうじ)

室町期の京都の五山のひとつ。

足利尊氏・直義兄弟が後醍醐天皇の菩提を弔うために創建。

夢窓疎石が開山。

参考
世界遺産|京都 嵯峨嵐山 臨済宗大本山 天龍寺 公式ホームページ

相国寺(しょうこくじ)
相国寺(しょうこくじ)

室町期の京都の五山のひとつ。

参考
臨済宗相国寺派


建仁寺(けんにんじ)
建仁寺(けんにんじ)

室町期の京都の五山のひとつ。

参考
https://www.kenninji.jp/

東福寺(とうふくじ)
東福寺(とうふくじ)

室町期の京都の五山のひとつ。

参考
臨済宗大本山 東福寺 -日本最古の最大級の伽藍-


万寿寺(まんじゅじ)
万寿寺(まんじゅじ)

室町期の京都の五山のひとつ。

座(ざ)
座(ざ)

商工業者による同業組合で、営業の独占などの特権を認められた団体のこと。


大山崎油座(おおやまざきのあぶらざ)
大山崎油座(おおやまざきのあぶらざ)

石清水八幡宮の保護のもと、大山崎を拠点に荏胡麻油の独占的な販売を行った座。

惣(そう)
惣(そう)

農村における自治組織。惣村(そうそん)とも言う。惣村の指導者には、乙名(おとな)・沙汰人(さたにん)などがあった。


月行事(がちぎょうじ)
月行事(がちぎょうじ)

町内または商工業の組合の事務処理当番のこと。

室町時代後期には、月行事を代表とする町組が形成された。

寺内町(じないちょう)
寺内町(じないちょう)

浄土真宗の寺院や道場を中心に形成された集落のこと。


大唐米(だいとうまい)
大唐米(だいとうまい)

虫害や日照りに強い品種の稲。室町時代に西日本を中心に広まった。

足利義満(あしかがよしみつ)
足利義満(あしかがよしみつ)

1358年 - 1408年

室町幕府第三代将軍(在職:1368年 - 1394年)。

足利尊氏の孫。

南北朝時代を終わらせ日明貿易を始めて京都北山に金閣を作りました。

将軍職を退いた後、太政大臣になりました。


金閣(きんかく)
金閣(きんかく)

1398年に足利義満が京都北山に作った舎利殿。

寝殿造。

相国寺に建立されたもの。

第二次世界大戦後の1950年に焼失し、1955年に再建された。

参考
金閣寺について

禅宗様(ぜんしゅうよう)
禅宗様(ぜんしゅうよう)

金閣の建築様式の初層は寝殿造風、第二層は和様、第三層は禅宗様である。


倭寇(わこう)
倭寇(わこう)

13世紀から16世紀にかけて朝鮮や中国沿岸にかけて活動した日本の海賊集団のこと。

明(みん)
明(みん)

1368年 - 1644年

中国の王朝の一つ。

1368年に中国で元を退け、漢民族が建てた国。


朱元璋(しゅげんしょう)
朱元璋(しゅげんしょう)

1328年 - 1398年

1368年に明を建国した人。明の初代皇帝(在位:1368年 - 1398年)

海禁政策(かいきんせいさく)
海禁政策(かいきんせいさく)

明の政策。

中国人の私的な海外渡航・貿易を禁止した。


花の御所(はなのごしょ)
花の御所(はなのごしょ)

1378年に完成した京都市街地北部の足利氏の邸宅。

大和猿楽四座(やまとさるがくしざ)
大和猿楽四座(やまとさるがくしざ)

この時代、能が発達し、なかでも興福寺を本所とした金春・金剛・観世・宝生の4つの座のことを大和猿楽四座という。


観阿弥(かんあみ/かんなみ)
観阿弥(かんあみ/かんなみ)

1333年 - 1384年

申楽師。

息子の世阿弥とともにを大成した。

世阿弥(ぜあみ)
世阿弥(ぜあみ)

1363年? - 1443年?

猿楽師。

父の観阿弥とともにを大成した。

能の真髄を述べた『風姿花伝』などを残した。


能(のう)
能(のう)

観阿弥世阿弥親子によって大成された芸能。

書院造(しょいんづくり)
書院造(しょいんづくり)

室町時代から近世初頭にかけて成立した住宅の様式。書院を建物の中心にした武家住宅の形式のことで、書院とは書斎を兼ねた居間の中国風の呼称。その後の和風住宅は、書院造の強い影響を受けている。


五山の制(ござんのせい)
五山の制(ござんのせい)

中国の制度を真似て日本に導入した禅寺の格付け制度。

1386年、足利義満のときに京都五山・鎌倉五山を定めた。

五山より格下の十刹も含めて「五山・十刹の制」ともいう。

五山・十刹の制(ござんじっさつのせい)
五山・十刹の制(ござんじっさつのせい)

建長寺を筆頭として、足利義満の時代に鎌倉と京都で整えられた官寺の制度。


五山僧(ござんそう)
五山僧(ござんそう)

五山の禅僧のこと。

中国からの渡来僧や中国帰りの留学僧が多かった。

彼らの間では宋学の研究や漢詩文の創作が盛んだった。

禅の経典や漢詩文集などを出版するなど中国文化の普及に貢献した。また、水墨画なども広く伝えた。

義堂周信(ぎどうしゅうしん)
義堂周信(ぎどうしゅうしん)

1325年 - 1388年

臨済宗の僧。

足利義満に招かれて五山である建仁寺や南禅寺に住した。

五山文学の代表者の一人。


絶海中津(ぜっかいちゅうしん)
絶海中津(ぜっかいちゅうしん)

1336年 - 1405年

臨済宗の僧。

義堂周信と並んで五山文学の代表者の一人。

明徳の乱(めいとくのらん)
明徳の乱(めいとくのらん)

1391年

山名氏清、山名満幸ら山名氏が室町幕府に対して起こした反乱。

室町幕府が勝った。


山名氏清(やまなうじきよ)
山名氏清(やまなうじきよ)

1344年 - 1391年

武将。

多くの領国を有した。

明徳の乱を起こすが、将軍義満の軍勢によって敗死した。

高麗(こうらい)
高麗(こうらい)

918年 - 1392年

朝鮮半島の国。

李成桂に滅ぼされた。


李成桂(りせいけい)
李成桂(りせいけい)

1335年 - 1408年

朝鮮半島で1392年に高麗を滅ぼして朝鮮を建国した。

大内義弘(おおうちよしひろ)
大内義弘(おおうちよしひろ)

1356年 - 1399年

1399年に応永の乱を起こして敗死した。


応永の乱(おうえいのらん)
応永の乱(おうえいのらん)

1399年

大内義弘が鎌倉公方の足利満兼らと呼応して起こした反乱。

足利義満の討伐を受けて敗死した。

日明貿易(にちみんぼうえき)
日明貿易(にちみんぼうえき)

1401年

第三代将軍足利義満の時に、明に博多商人の肥富らを使者として派遣し、正式の国交が開かれることになって始まった貿易。

明から、銅銭・生糸・陶磁器・書画・薬草、高級織物などが日本に入ってきた。

日本からは刀剣・蒔絵漆器・屏風・金などを輸出した。

日明貿易においては、明から交付された勘合を持つことを求められ、宋・元の時代に比べると人や物の行き来はかえって制限を受けることになった。


肥富(こいつみ)
肥富(こいつみ)

?年 - ?年

博多の商人。

足利義満に日明貿易の利を説き、明に正使の祖阿とともに副使として派遣されて日明貿易のきっかけを作った。

「こいとみ」とも読む。

祖阿(そあ)
祖阿(そあ)

?年 - ?年

1401年、足利義満に国書を託され明に渡った第1回遣明船の正使。

副使は肥富。

これにより日本は明に服従して冊封体制に入り、明と正式な国交を結んで日明貿易が行われるようになった。


冊封体制(さくほうたいせい)
冊封体制(さくほうたいせい)

朝貢使節を派遣してきた周辺諸国の君主に官職や爵位を与えて君臣関係を結ぶ中国の体制のこと。

日本国王(にほんこくおう)
日本国王(にほんこくおう)

足利義満は日本国王に封ぜられ朝貢貿易の形をとることで日明貿易を行った。


洪武通宝(こうぶつうほう)
洪武通宝(こうぶつうほう)

明から日本へ入ってきた銅銭。

生糸(きいと)
生糸(きいと)

日明貿易で明から日本に入ってきたものの一つ。


勘合(かんごう)
勘合(かんごう)

日明貿易において明から交付された証票。

永楽通宝(えいらくつうほう)
永楽通宝(えいらくつうほう)

中国(明)の通貨。

日明貿易や倭寇によって日本に大量に輸入され、流通した。


唐物(からもの)
唐物(からもの)

書画や工芸品など、中国からの舶載品を総称して唐物と呼ばれた。

日朝貿易(にっちょうぼうえき)
日朝貿易(にっちょうぼうえき)

李成桂が朝鮮を建国し、日本に「倭寇の禁圧」を求め、足利義満がこれに応えたことをきっかけに始まった日朝間の貿易。


土倉役(どそうやく)
土倉役(どそうやく)

1393年

室町幕府は1393年に京都の土倉に対して行っていた課税「土倉役」の恒常的な課税を開始した。質物数を基準に賦課され、幕府の年中行事費用のうち年間6000貫文が土倉役と酒屋役から支出された。

酒屋役(さかややく)
酒屋役(さかややく)

1393年

室町幕府は1393年に京都を中心とする酒屋に対して行っていた課税「酒屋役」の恒常的な課税を開始した。酒壺数を基準に賦課され、幕府の年中行事費用のうち年間6000貫文が土倉役と酒屋役から支出された。


津料(つりょう)
津料(つりょう)

室町時代には、主要な港で幕府や寺社などが津料と呼ばれる通行税を徴収した。

段銭(たんせん)
段銭(たんせん)

天皇即位や内裏造営などの臨時の税として、幕府が諸国の田地に課し守護に徴収させた税。


足利義持(あしかがよしもち)
足利義持(あしかがよしもち)

1386年 - 1428年

室町幕府第4代将軍(在職:1394年 - 1423年)。

朝貢形式の貿易が屈辱的だったので、1411年に「明」との日明貿易を中断した。

足利持氏(あしかがもちうじ)
足利持氏(あしかがもちうじ)

1398年 - 1439年

第4代鎌倉公方(在職:1409年 - 1439年)。

幕府とたびたび衝突し、永享の乱で将軍足利義教に滅ぼされた。


上杉禅秀の乱(うえすぎぜんしゅうのらん)
上杉禅秀の乱(うえすぎぜんしゅうのらん)

1416年

足利持氏と対立した上杉禅秀が足利義持の弟の義嗣と結んで起こした乱。

足利義持は足利持氏側につき、上杉禅秀を追討した。

応永の外寇(おうえいのがいこう)
応永の外寇(おうえいのがいこう)

1419年

朝鮮が、倭寇の本拠地と考えた対馬に来襲した事件。


正長の土一揆(しょうちょうのつちいっき)
正長の土一揆(しょうちょうのつちいっき)

1428年

近江坂本の馬借が幕府に徳政を要求したことが発端で、やがて京都から畿内一帯の農民に波及して一揆が拡大した。

酒屋や土倉、寺院が襲撃され、借用証文や売買証文、質物が焼き捨てられた。

『大乗院日記目録』は、この一揆について 「日本開白以来、土民蜂起是れ初めなり」と記している。

幕府は最後まで徳政令を出さなかった。

大乗院寺社雑事記(だいじょういんじしゃぞうじき)
大乗院寺社雑事記(だいじょういんじしゃぞうじき)

奈良興福寺大乗院の27代門跡による日記。

当時の社会動向が書かれた重要な史料。


大乗院(だいじょういん)
大乗院(だいじょういん)

南都興福寺の門跡寺院。

足利義教(あしかがよしのり)
足利義教(あしかがよしのり)

1394年 - 1441年

室町幕府第6代将軍(在職:1428年 - 1441年)。

1432年に貿易の利を求めて明との国交を回復し、日明貿易を再開した。

1441年6月に有力守護大名の赤松満祐に殺害された。


播磨の土一揆(はりまのつちいっき)
播磨の土一揆(はりまのつちいっき)

1429年

正長の土一揆の翌年、播磨国で起こった土一揆。

播磨国から武士たちを追放しようという要求も掲げていた。

播磨国守護の赤松満祐が鎮圧した。

赤松満祐(あかまつみつすけ)
赤松満祐(あかまつみつすけ)

1373年 - 1441年

播磨国の守護。

播磨の土一揆を鎮圧した。


中山王国(ちゅうざんおうこく)
中山王国(ちゅうざんおうこく)

1314年 - 1429年

現在の沖縄県に存在した三つの王国の一つ。1429年に他の二つの王国を滅ぼして琉球王国となった。

北山王国(ほくざんおうこく)
北山王国(ほくざんおうこく)

1322年? - 1416年

現在の沖縄県に存在した三つの王国の一つ。1416年に中山王国の尚巴志によって滅ぼされた。


南山王国(なんざんおうこく)
南山王国(なんざんおうこく)

1337年? - 1429年

現在の沖縄県に存在した三つの王国の一つ。1429年に中山王国の尚巴志によって滅ぼされた。

尚巴志(しょうはし)
尚巴志(しょうはし)

1372年 - 1439年

第2代目中山王(在位:1422年 - 1439年)。

1429年に三山を統一し、琉球王国を成立させた。


1429年
1429年

1429年に尚巴志が琉球を統一した。

覚え方は「いよっ(14)!ニク(29)い男だねぇ!尚巴志の琉球統一!」です。

琉球王国(りゅうきゅうおうこく)
琉球王国(りゅうきゅうおうこく)

1429年 - 1879年

尚巴志が三山を統一して成立させた王国。

明と国交を結び、足利幕府にも使節を派遣して国交を結んだ。


首里(しゅり)
首里(しゅり)

琉球王国の首都。

那覇(なは)
那覇(なは)

首里の外港である那覇は、重要な国際港として利用され、交易市となって栄えた。


首里城(しゅりじょう)
首里城(しゅりじょう)

琉球王国の王城。

海外貿易の拠点であった港を見下ろす丘陵地に築城された。

按司(あじ)
按司(あじ)

琉球の地方豪族(首長)のこと。


林下(りんか)
林下(りんか)

権力者の保護下にある五山派に対し、より自由な民間布教につとめた曹洞宗・臨済宗などの禅宗諸派。

日明貿易(にちみんぼうえき)
日明貿易(にちみんぼうえき)

1432年

足利義持が中断させていた日明貿易を、足利義教が再開させた。


足利学校(あしかががっこう)
足利学校(あしかががっこう)

鎌倉時代に創建されたともいわれる学校。

足利の領主になった上杉憲実が1432年ごろに再興した。

16世紀半ばにフランシスコ=ザビエルがこの学校を指して「坂東の大学(ばんどうのだいがく)」と呼んだ。

参考
史跡足利学校 - 足利市公式ホームページ

上杉憲実(うえすぎのりざね)
上杉憲実(うえすぎのりざね)

1410年? - 1466年?

関東管領。

足利学校を再興したことで知られる。

幕府に反抗的な足利持氏を諫めて不和となり、永享の乱で足利義教と協力して足利持氏を倒した。

後に、関東管領となった上杉憲実の子が第5代鎌倉公方となった足利持氏の子に殺害されている。


永享の乱(えいきょうのらん)
永享の乱(えいきょうのらん)

幕府に反抗的な足利持氏が、それを諫める上杉憲実と対立。

1438年に足利持氏が上杉憲実を攻めたのを機に、足利義教が持氏追討軍を派遣した乱。

1439年に持氏は自害した。

嘉吉の変(かきつのへん)
嘉吉の変(かきつのへん)

1441年

赤松満祐が6月に自邸における宴の席で室町幕府6代将軍の足利義教を殺害し、領国の播磨に下ったが、幕府の追討軍に敗れ自害した。


嘉吉の土一揆(かきつのつちいっき)
嘉吉の土一揆(かきつのつちいっき)

1441年

土倉に預けた質物を奪い返したり、借用証書を焼くなどの実力行使におよんだのに加え、室町幕府に対して徳政令の発布も求めた。

このとき幕府軍は赤松満祐を追討するために播磨国にとどまっていたため、京都で発生した一揆の鎮圧を断念し、幕府はついに要求を受け入れて徳政令を発布した。

この徳政令は幕府に深刻な財政難をもたらした。

見世棚(みせだな)
見世棚(みせだな)

商店において、道側に陳列台を造り、その上に品物を載せ、道行くひとに売る方法があり、この陳列台を「見世棚」という。

この時代には京都などの大都市で見世棚が普及した。

後の「店」。


足利成氏(あしかがしげうじ)
足利成氏(あしかがしげうじ)

1434年? - 1497年

第5代鎌倉公方(在職:1449年 - 1455年)。

足利持氏の末子。

父の足利持氏が将軍足利義教に滅ぼされた後、新たな鎌倉公方に任ぜられた。

足利義政(あしかがよしまさ)
足利義政(あしかがよしまさ)

1436年 - 1490年

室町幕府第8代将軍(在職:1449年 - 1473年)。

応仁の乱が起こった時の将軍。


日野富子(ひのとみこ)
日野富子(ひのとみこ)

1440年 - 1496年

8代将軍足利義政の妻。

足利義尚の母。

分一徳政令(ぶいちとくせいれい)
分一徳政令(ぶいちとくせいれい)

1454年に最初に出された令。

債務者は、幕府に分一銭を納人することを条件に債務から逃れることができた。

分一銭は債権・債務額の五分の一ないし十分の一の額であった。

徳政令によって打撃を受けた土倉などの金融業者が役負担の減免を願い出たことで幕府の収入が減り、それを補うために導入された。


上杉憲忠(うえすぎのりただ)
上杉憲忠(うえすぎのりただ)

1433年 - 1454年

上杉憲実の長男。関東管領。

父を殺された経緯から上杉憲実とその子である上杉憲忠を恨んでいた足利成氏により殺害された。

享徳の乱(きょうとくのらん)
享徳の乱(きょうとくのらん)

1454年 - 1482年

足利成氏が上杉憲忠を暗殺したことに端を発する乱。

このため、京都の応仁の乱より一足先に関東は混乱に陥り、足利成氏およびその子孫と、上杉氏との間で20年以上にもわたって争いが続いた。


古河公方(こがくぼう)
古河公方(こがくぼう)

1455年

足利成氏は鎌倉から下総に移り住み、古河公方と称されるようになった。

堀越公方(ほりごえくぼう)
堀越公方(ほりごえくぼう)

1457年

古河公方に対抗し、幕府が鎌倉公方として足利政知を派遣したが、関東の諸将に支持されず伊豆の堀越に留まり堀越公方と称された。


足利政知(あしかがまさとも)
足利政知(あしかがまさとも)

1435年 - 1491年

古河公方に対抗し、幕府が鎌倉公方として派遣した人。

初代堀越公方。

道南十二館(どうなんじゅうにたて)
道南十二館(どうなんじゅうにたて)

北海道の渡島半島に築かれた12の倭人の城。

ここの住人は津軽の十三湊を拠点とする安藤氏の配下に属していた。


安藤氏(あんどううじ)
安藤氏(あんどううじ)

安東氏とも表記する。

津軽の十三湊に本拠地を置いた。

北海道南部に拠点(道南十二館)を置いた和人領主たちを従え、勢力を及ぼした。

これら和人領主のうち、のちに自立し近世大名へ成長した領主として蠣崎家がいる。

コシャマインの戦い(こしゃまいんのたたかい)
コシャマインの戦い(こしゃまいんのたたかい)

1457年

アイヌが大首長コシャマインを中心に蜂起し、和人の住む道南十二館のほとんどを攻め落とした戦い。

蠣崎氏の客将の武田信広によって鎮圧された。


蠣崎氏(かきざきし)
蠣崎氏(かきざきし)

道南十二館の花沢館に住む倭人。

コシャマインの戦いが発生すると、蠣崎氏の客将の武田信広がこれを鎮圧した。

吉田兼倶(よしだかねとも)
吉田兼倶(よしだかねとも)

1435年 - 1511年

神道家。

神道を中心に儒教・仏教を統合しようとする唯一神道を完成した。


応仁の乱(おうにんのらん)
応仁の乱(おうにんのらん)

1467年 - 1477年

守護相互の権力闘争にとどまらず、守護が領国から軍勢を集めて戦闘を繰りひろげたため、京都の市街地が戦場になった。

1467年京都からおこった。

祇園祭(ぎおんまつり)
祇園祭(ぎおんまつり)

八坂神社の祭礼。日本三大祭りの一つ。

応仁の乱後、京都では町衆によって祇園祭(祇園会)が復興された。

参考
祇園祭 | 京都市観光協会


揚浜法(あげはまほう)
揚浜法(あげはまほう)

この時代の製塩法。

日親(にっしん)
日親(にっしん)

1407年 - 1488年

日蓮宗の僧。

他宗と激しい論争を行いつつ、日蓮宗を京都の商工業者の間に広めた。


慈照寺(じしょうじ)
慈照寺(じしょうじ)

正式名称を東山慈照寺と言うが、銀閣寺(ぎんかくじ)としても知られる。相国寺の塔頭寺院の一つ。銀閣寺の名の由来は江戸時代、金閣寺に対し、銀閣寺と称せられることとなった。室町幕府八代将軍の足利義政によって造営された山荘東山殿を起源とし、義政の没後、臨済宗の寺院となり義政の法号慈照院にちなんで慈照寺と名付けられた。

参考
銀閣寺について

奉公衆(ほうこうしゅう)
奉公衆(ほうこうしゅう)

室町幕府での将軍直属の軍。地方の将軍直轄領の管理も任されていた。


下克上(げこくじょう)
下克上(げこくじょう)

身分が下の者が実力で上の者に取って代わること。

戦国大名(せんごくだいみょう)
戦国大名(せんごくだいみょう)

戦国時代に自分の実力で領国を支配した大名。


戦国時代(せんごくじだい)
戦国時代(せんごくじだい)

1467年(1493年) - 1590年

15世紀末から16世紀末にかけて戦乱が頻発した時代区分。世情の不安定化によって室町幕府の権威が低下したことに伴って守護大名に代わって全国各地に戦国大名が台頭した。領国内の土地や人を支配する傾向を強めるとともに、領土拡大のため他の大名と戦闘を行うようになった。

戦国大名の中には、領国支配のため儒学に関心を持ち、京都から儒者を招く者もいた。

足軽(あしがる)
足軽(あしがる)

徒歩で戦う雑兵。


早稲・中稲・晩稲(わせ・なかて・おくて)
早稲・中稲・晩稲(わせ・なかて・おくて)

成熟の速さによる稲の品種の分類。

稲の品種改良が進み早稲・中稲・晩稲の作付けが普及した。

島津氏(しまづし)
島津氏(しまづし)

鹿児島を城下町とした戦国大名。


鹿児島(かごしま)
鹿児島(かごしま)

戦国大名である島津氏の城下町。

分国法(ぶんこくほう)
分国法(ぶんこくほう)

戦国時代に戦国大名が領国内を統治するために制定した基本的な法典。


喧嘩両成敗(けんかりょうせいばい)
喧嘩両成敗(けんかりょうせいばい)

喧嘩した双方を処罰すること。

戦国大名の分国法には、喧嘩両成敗法の条文を含むものがあった。

寄親(よりおや)
寄親(よりおや)

戦国大名の家臣団において寄子と呼ばれる下級武士を率いた有力武士のこと。


六斎市(ろくさいいち)
六斎市(ろくさいいち)

一か月に6回開かれた定期市。

桂庵玄樹(けいあんげんじゅ)
桂庵玄樹(けいあんげんじゅ)

1427年 - 1508年

臨済宗の僧。

1478年、島津氏の招きで薩摩(鹿児島)へ行き、儒学を講じた。

薩南学派の祖。


朝倉氏(あさくらし)
朝倉氏(あさくらし)

朝倉氏の城下町一乗谷では、京都の影響を受けた屋敷・庭園などが造営された。

一条兼良(いちじょうかねよし)
一条兼良(いちじょうかねよし)

1402年 - 1481年

公卿。古典学者。

1480年に足利義尚のために『樵談治要』を著した。


樵談治要(しょうだんちよう)
樵談治要(しょうだんちよう)

1480年

一条兼良が年少の室町幕府第9代将軍足利義尚の問いに答えた、政道を説く書。

足利義尚(あしかがよしひさ)
足利義尚(あしかがよしひさ)

1465年 - 1489年

室町幕府第9代将軍(在職:1473年 - 1489年)。

母は日野富子。

一条兼良から『樵談治要』をもらう。

室町幕府が実質的に力を失い始めたのは足利義尚の代であったとする研究者がいる。


足利義尚の母は日野富子(あしかがよしひさのはははひのとみこ)
足利義尚の母は日野富子(あしかがよしひさのはははひのとみこ)

足利義尚の母は、8代将軍足利義政の妻の日野富子である。

山城の国一揆(やましろのくにいっき)
山城の国一揆(やましろのくにいっき)

南山城地域において争っていた畠山一族の政長と義就の対立への対応としての一揆。

一揆の目的は達成され、畠山氏の軍隊を国外に退去させた後、この地域では8年にわたって一揆による自治が行われた。


蔭凉軒日録(いんりょうけんにちろく)
蔭凉軒日録(いんりょうけんにちろく)

相国寺の鹿苑院の蔭涼軒(鹿苑院の南坊にあった寮舎)主の公用日記。

相国寺(しょうこくじ)
相国寺(しょうこくじ)

京都五山第2位のお寺。

『蔭凉軒日録』は相国寺の日記。


富樫政親(とがしまさちか)
富樫政親(とがしまさちか)

1455年 - 1488年

富樫氏の内紛で幸千代兄弟と対立したが、加賀一向一揆が政親に味方し、1474年に幸千代を破った。

その後政親が一揆勢力を弾圧すると、1488年に一揆は政親の居城である富樫の城(高尾城)を攻めて、政親は自害した。

加賀国(かがのくに)
加賀国(かがのくに)

現在の石川県南部。

1488年から1580年までのおよそ百年にわたり一向宗徒による一揆が実質的に加賀国を支配していた。


百姓ノ持タル国(ひゃくしょうのもちたるくに)
百姓ノ持タル国(ひゃくしょうのもちたるくに)

約100年にわたり、一揆勢力が加賀国を支配したことを指して言われた言葉。

茶々丸(ちゃちゃまる)
茶々丸(ちゃちゃまる)

?年 - 1498年

堀越公方である足利政知の子。

1493年に北条早雲に敗れ、堀越公方は滅亡した。


北条早雲が堀越公方を滅ぼす(ほうじょうそううんがほりごえくぼうをほろぼす)
北条早雲が堀越公方を滅ぼす(ほうじょうそううんがほりごえくぼうをほろぼす)

1493年

北条早雲が伊豆に進行して茶々丸を破り、堀越公方を滅ぼした。

北条早雲(ほうじょうそううん)
北条早雲(ほうじょうそううん)

1432年 - 1519年

1493年に伊豆に進行して茶々丸を破り、堀越公方を滅ぼした。


北条氏(ほうじょうし)
北条氏(ほうじょうし)

小田原を城下町とした戦国大名。

執権の北条氏と区別するため、後北条氏とも呼ばれる。

小田原(おだわら)
小田原(おだわら)

戦国大名である北条氏の城下町。


貫高制(かんだかせい)
貫高制(かんだかせい)

年貢・公事などを銭に換算して表示した上で、それを家臣の軍役負担の基準とする制度。

北条早雲とその後継者をはじめ、戦国大名たちの中にこの制度を行う者がいた。

日明貿易(にちみんぼうえき)
日明貿易(にちみんぼうえき)

15世紀後半には、日明貿易の実権は細川氏と大内氏の手に移る。


細川氏(ほそかわし)
細川氏(ほそかわし)

武家一族。

大内氏(おおうちし)
大内氏(おおうちし)

山口を城下町とした戦国大名。


山口(やまぐち)
山口(やまぐち)

戦国大名である大内氏の城下町。

雪舟(せっしゅう)
雪舟(せっしゅう)

1420年 - 1502年?

文化人。

日本的な画風を確立した。

山口県に勢力を持った戦国大名の大内氏のもとに滞在した。


宗祇(そうぎ)
宗祇(そうぎ)

1421年 - 1502年

室町時代の連歌師。

1495年に『新撰菟玖波集』を撰集した。

新撰菟玖波集(しんせんつくばしゅう)
新撰菟玖波集(しんせんつくばしゅう)

1495年

大内政弘の発願により、宗祇を中心として撰集された準勅撰連歌撰集。


蓮如(れんにょ)
蓮如(れんにょ)

1415年 - 1499年

応仁の乱の頃の本願寺の法主。

浄土真宗本願寺派を再興した。

「御文」と呼ばれる平易な文章を各地の信者集団に授けて教説を説き、精力的な布教を行った。

最初、琵琶湖畔に拠点をおいたが旧仏教勢力の圧力に押され加賀・越前国境の地に移り、さらにここも退去して、山科で没した。

参考
蓮如さんの生涯 -ご生涯と伝説- 御生誕600年記念

御文(おふみ)
御文(おふみ)

蓮如が説いた教義を平易な文書で編纂したもの。布教に使用された。


石山(いしやま)
石山(いしやま)

1496年、蓮如が築き、のちに戦国時代の浄土真宗の法主の居所となった寺内町。

のち、江戸時代には「天下の台所」と呼ばれる都市「大坂」に発展した。

山科(やましな)
山科(やましな)

1499年に蓮如が没した地。

また、1532年まで本願寺派の拠点でもあった。


大湊(おおみなと)
大湊(おおみなと)

伊勢国の大湊は室町時代には北畠氏の支配下に入るが、上納金と引き換えに24名の会合衆による自治が認められ、その後港町として栄えた。北畠氏のみならず複数の有力戦国大名とも強く結びつき、当時の大湊は堺や博多などと並ぶ日本の代表的な商業都市の一つだった。

検地(けんち)
検地(けんち)

土地調査のこと。これに元に徴税する年貢の量を決めた。

戦国時代に戦国大名が始めて広まった。


撰銭(えりぜに)
撰銭(えりぜに)

商品経済の発展に伴い貨幣の需要が高まった結果、悪銭や私鋳銭も流通するようになり、取引において粗悪銭を嫌って良銭のみを選び取る撰銭が行われるようになった。

撰銭令(えりぜにれい)
撰銭令(えりぜにれい)

撰銭によって、円滑な流通が阻害されるようになっていたため、撰銭を禁止する令として1500年に初めて撰銭令が出された。


寧波の乱(にんぽーのらん)
寧波の乱(にんぽーのらん)

1523年

日明貿易の利権を巡り細川氏と大内氏が中国の寧波で衝突した事件。

この事件以降、大内氏が日明貿易の実権を握った。

細川氏(ほそかわし)
細川氏(ほそかわし)

堺商人と結んだ細川氏は寧波の乱で大内氏と衝突したが、敗れた。


大内氏(おおうちし)
大内氏(おおうちし)

博多商人と結んだ大内氏は寧波の乱で細川氏と衝突し、勝利した。

結果、日明貿易を独占した。

大内義隆(おおうちよしたか)
大内義隆(おおうちよしたか)

1507年 - 1551年

戦国大名。

周防・長門・石見・安芸・豊前・筑前の守護を務め、大内文化が爛熟し、大内家は領土的に全盛期を迎えた。後、謀反を起こされ自害。

大内義隆が亡くなったことにより、大内氏は実質的に滅んだ。


年行事(ねんぎょうじ)
年行事(ねんぎょうじ)

博多の自治に当たった12人の豪商。

今川仮名目録(いまがわかなもくろく)
今川仮名目録(いまがわかなもくろく)

1526年

戦国大名今川氏親が領内で出した法令。

東国最古の分国法。

これにより今川家は守護大名から戦国大名へ立場を変えた。


今川氏(いまがわし)
今川氏(いまがわし)

府中を城下町とした戦国大名。

今川義元が桶狭間の戦いで織田信長に討たれてから衰えた。

府中(ふちゅう)
府中(ふちゅう)

戦国大名である今川氏の城下町。


日明貿易(にちみんぼうえき)
日明貿易(にちみんぼうえき)

大内氏の滅亡とともに事実上、日明貿易も断絶する。

陶晴賢(すえはるかた)
陶晴賢(すえはるかた)

1521年 - 1555年

武将。

謀反を起こし、大内義隆を自害に追い込んだ家臣。


天文法華の乱(てんぶんほっけのらん)
天文法華の乱(てんぶんほっけのらん)

1536年

延暦寺の僧兵が法華宗(日蓮宗)と対立を深めて法華一揆を破り、京都の日蓮宗の寺院を焼き払った事件。

これにより1542年まで日蓮宗は京都で禁教となった。

生野銀山(いくのぎんざん)
生野銀山(いくのぎんざん)

日本の著名な銀山。

1542年開坑。


生野銀山の場所(いくのぎんざんのばしょ)
生野銀山の場所(いくのぎんざんのばしょ)

ここらへん。

鉄砲伝来(てっぽうでんらい)
鉄砲伝来(てっぽうでんらい)

1543年

日本の種子島に漂着したポルトガル人が、日本に初めて鉄砲を伝えた。

年号の覚え方は「以後(15)の世(4)でみ(3)な使いだす鉄砲伝来」です


南蛮船(なんばんせん)
南蛮船(なんばんせん)

種子島への漂着を端緒として始まったポルトガル・スペインの貿易船。

ポルトガル
ポルトガル

ポルトガル人は南蛮人と呼ばれた。


スペイン
スペイン

スペイン人は南蛮人と呼ばれた。

南蛮人(なんばんじん)
南蛮人(なんばんじん)

ポルトガル人やスペイン人は南方の異世界から日本にやってくる異国人と考えられたためこう呼ばれた。


足利義輝(あしかがよしてる)
足利義輝(あしかがよしてる)

1536年 - 1565年

室町幕府第13代将軍(在職:1547年 - 1565年)。

足利義昭の兄。

暗殺された。

楽市
楽市

経済発展を目的として、特権商人の独占を否定し、自由営業を保証した政策。


六角定頼(ろっかくさだより)
六角定頼(ろっかくさだより)

1495年 - 1552年

南近江の戦国大名。

近江の石寺新市に楽市を適用した。

近江の石寺新市(おうみのいしでらしんいち)
近江の石寺新市(おうみのいしでらしんいち)

六角定頼が楽市を適用した場所。


南村梅軒(みなみむらばいけん)
南村梅軒(みなみむらばいけん)

?年 - ?年

1548年頃に土佐に招かれて儒学を講じた。

海南学派の祖。

実在していたかどうか不明。

大友氏(おおともし)
大友氏(おおともし)

府内を城下町とした戦国大名。


府内(ふない)
府内(ふない)

戦国大名である大友氏の城下町。

大友義鎮(おおともよししげ)
大友義鎮(おおともよししげ)

1530年 - 1587年

フランシスコ・ザビエルを庇護した西国大名の一人。


フランシスコ=ザビエル
フランシスコ=ザビエル

1506年頃 - 1552年

イエズス会の宣教師。

1549年に日本の鹿児島に来て、日本に初めてキリスト教を伝えた。ついでにカステラも伝えた。

京都を訪れた後、山口や府内をはじめとする西国大名の庇護をうけて布教に努めた。

大友義鎮もザビエルを庇護した大名の一人。

足利学校を指して「坂東の大学」と呼んだ。

イグナティウス=ロヨラ
イグナティウス=ロヨラ

1491年 - 1556年

イエズス会の創立者。

日本には来てない。


足利学校(あしかががっこう)
足利学校(あしかががっこう)

上杉憲実が再興した学校。

16世紀半ばにフランシスコ=ザビエルがこの学校を指して「坂東の大学(ばんどうのだいがく)」と呼んだ。

参考
史跡足利学校 - 足利市公式ホームページ

伊藤マンショ(いとうマンショ)
伊藤マンショ(いとうマンショ)

洗礼を受けた九州のキリシタン大名たちは、1582年に宣教師のすすめで4人の少年使節をローマに派遣した。

そのうち、近年、イタリアで油絵の肖像画が発見され、日本の展覧会で公開されて話題になった人。


上杉氏(うえすぎし)
上杉氏(うえすぎし)

春日山を城下町とした戦国大名。

春日山(かすがやま)
春日山(かすがやま)

戦国大名である上杉氏の城下町。


織田信秀(おだのぶひで)
織田信秀(おだのぶひで)

1511年 - 1551年

尾張(現在の愛知県)守護代の家臣。

織田信長の父。

織田信長(おだのぶなが)
織田信長(おだのぶなが)

1534年 - 1582年

戦国大名。

尾張(現在の愛知県)出身。

織田信秀の子。

1555年に守護代を滅ぼして、その居城である「清州城」を奪い、尾張を統一した。


清州城(きよすじょう)
清州城(きよすじょう)

織田信長が守護代を滅ぼして奪った城。

三好長慶(みよしながよし)
三好長慶(みよしながよし)

1522年 - 1564年

足利将軍家を押しのけて、初めて足利将軍家ではなく実権を握る。

河内の飯盛山城に居城を持った。


今川義元(いまがわよしもと)
今川義元(いまがわよしもと)

1519年 - 1560年

駿河国・遠江国・三河国を支配した戦国大名。

桶狭間の戦い織田信長に敗れた。

桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)
桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)

1560年

織田信長が侵入してきた今川義元を破った戦い。


尼子氏(あまごし)
尼子氏(あまごし)

山陰地方で活躍した戦国大名。石見銀山を巡り、他の戦国大名と争ったが、のちに毛利氏によって滅ぼされた。

毛利氏(もうりし)
毛利氏(もうりし)

武家一族。尼子氏と石見銀山の取得を巡り争い、尼子氏を滅ぼした。


石見銀山(いわみぎんざん)
石見銀山(いわみぎんざん)

島根県大田市にある銀山。

戦国時代には、尼子氏や毛利氏などの戦国大名が領有を争った。

参考
石見銀山世界遺産センター(島根県大田市大森町) / Iwami Ginzan World Heritage Center(Shimane Pref, Japan)

石見銀山の場所(いわみぎんざんのばしょ)
石見銀山の場所(いわみぎんざんのばしょ)

ここらへん。


足利義輝が暗殺される(あしかがよしてるがあんさつされる)
足利義輝が暗殺される(あしかがよしてるがあんさつされる)

1565年

足利義輝は松永久秀、三好三人衆らに殺害された。

松永久秀(まつながひさひで)
松永久秀(まつながひさひで)

1510年 - 1577年

三好長慶の家臣。

1565年に三好三人衆とともに足利義輝を殺害した。


三好三人衆(みよしさんにんしゅう)
三好三人衆(みよしさんにんしゅう)

三好長慶の家臣である「三好長逸」「岩成友通」「三好政康」の三人の事。

1565年に松永久秀とともに足利義輝を殺害した。

今川氏真(いまがわうじざね)
今川氏真(いまがわうじざね)

1538年 - 1614年

駿河の戦国大名。

1566年に駿河の富士大宮に楽市を適用した。


駿河の富士大宮(するがのふじおおみや)
駿河の富士大宮(するがのふじおおみや)

今川氏真が楽市を適用した場所。

松永久秀と三好三人衆が紛争状態となる(まつながひさひでとみよしさんにんしゅうがふんそうじょうたいとなる)
松永久秀と三好三人衆が紛争状態となる(まつながひさひでとみよしさんにんしゅうがふんそうじょうたいとなる)

堺の町の近郊で松永久秀と三好三人衆は紛争状態となっていた。


織田信長が美濃の斎藤氏を滅ぼす(おだのぶなががみののさいとううじをほろぼす)
織田信長が美濃の斎藤氏を滅ぼす(おだのぶなががみののさいとううじをほろぼす)

1567年

織田信長が美濃の斎藤氏を滅ぼし、濃尾平野を支配下においた。

岐阜城(ぎふじょう)
岐阜城(ぎふじょう)

織田信長は斎藤氏の居城であった美濃の稲葉山城を岐阜城と改名してここに移り、「天下布武」の印判を使用して天下統一の意志を明らかにした。


天下布武(てんかふぶ)
天下布武(てんかふぶ)

「七徳の武」をもって天下を治めるという意味。

七徳とは

  • 暴力を禁じる
  • 戦いをやめる
  • 大を保つ
  • 功を定める
  • 民を安じる
  • 衆を和する
  • 財を豊かにする

の七つ。

織田信長が美濃の加納に楽市を適用する(おだのぶなががみののかのうにらくいちをてきようする)
織田信長が美濃の加納に楽市を適用する(おだのぶなががみののかのうにらくいちをてきようする)

1567年

織田信長が美濃の加納に楽市を適用した。


楽市令(らくいちれい)
楽市令(らくいちれい)

商工業者の座の特権などを廃止して商取引の拡大・円滑化を図った政策。

織田信長は加納に楽市令を出した。