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日本史

日本史の勉強法、覚え方【高校】

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平安時代【高校:日本史】 794年 - 1185年頃

下に行くほど歴史的に新しい出来事です。

平安時代(へいあんじだい)
平安時代(へいあんじだい)

794年 - 1185年

794年に桓武天皇が平安京に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指す。

平安時代には戸籍に偽りが増え、また班田収授の間隔も広がっていき、律令制の租税制度は行き詰まってしまった。

桓武天皇(かんむてんのう)
桓武天皇(かんむてんのう)

737年 - 806年

第50代天皇(在位:781年 - 806年)

784年に平城京から長岡京に都を移したんだけど、長岡京への遷移を主導していた藤原種継が暗殺された。暗殺に関わった一人として早良親王を処罰したんだけど、親王の死後、飢饉、疫病、親戚の相次ぐ死、伊勢神宮正殿の放火など様々な変事が起こったので、陰陽師に占わせたら「早良親王のタタリだね!」って言われて、ヤバげだったから、和気清麻呂にも勧められて794年平安京へ都を移した。


長岡京(ながおかきょう)
長岡京(ながおかきょう)

桓武天皇が784年に平城京から移した都。

784年(784ねん)
784年(784ねん)

長岡京に遷都したのは784年です。

覚え方は「784(名は知)られてないけど、一応あるよ、長岡京」です。


藤原種継(ふじわらのたねつぐ)
藤原種継(ふじわらのたねつぐ)

737年 - 785年

長岡京の造営を主導したけど、785年に暗殺されました。

年号の覚え方は「なんやこ(785)いつら!?藤原種継暗殺事件!」です。

早良親王(さわらしんのう)
早良親王(さわらしんのう)

750年? - 785年

皇族。藤原種継暗殺事件への関与を疑われて幽閉されたので「俺じゃねぇし!暗殺とかしねぇし!」って無実を訴えたけど、全然信じてくれなかったからマジ切れして食事を拒否して死にました。その後、長岡京をタタって祟ってたたりまくってやりました。


健児(こんでい)
健児(こんでい)

792年

健児の制により新たに設置された兵士。

郡司の子弟などが健児に採用された。

年号の覚え方は「泣く(79)逃(2)げる、そんな奴らは健児なれない」です。

和気清麻呂(わけのきよまろ)
和気清麻呂(わけのきよまろ)

733年 - 799年

貴族です。794年に平安京へ都を移すことを提案しました。


平安京(へいあんきょう)
平安京(へいあんきょう)

794年に現在の京都市に移された都の名前。

平安京は故京からの大寺院の移転を行わない(へいあんきょうはこきょうからのだいじいんのいてんをおこなわない)
平安京は故京からの大寺院の移転を行わない(へいあんきょうはこきょうからのだいじいんのいてんをおこなわない)

藤原京・平城京は多くの寺院を内外に配したが、奈良時代後半に仏教が政治に深く介入する弊害があったために、平安京は故京(もとの都)からの大寺院の移転を行わなかった。


神像(しんぞう)
神像(しんぞう)

平安時代になると、仏像に対して神の姿をかたどった神像というものが作製されるようになる。

唐物(からもの)
唐物(からもの)

平安時代には、輸入品が唐物として珍重されるようになった。


馬借(ばしゃく)
馬借(ばしゃく)

馬を利用し、荷物を運搬する輸送業者。主に平安時代から戦国時代にかけて活躍した。

車借(しゃしゃく)
車借(しゃしゃく)

荷車を利用し、荷物を運搬する輸送業者。馬借と同時代に活躍した。


田楽(でんがく)
田楽(でんがく)

平安時代に始まる。元は田植えの時に田の神を祭って歌い踊ったのが原型で、のちに芸能となり鎌倉時代、室町時代に流行。

国司(こくし)
国司(こくし)

国司は地方行政単位である国の行政官として中央から派遣された官吏。地方に派遣された中央貴族国司になりました。


郡司(ぐんじ)
郡司(ぐんじ)

国司の下で郡を治める地方官を郡司といいます。地方豪族郡司になりました。

高雄山寺(たかおさんじ)
高雄山寺(たかおさんじ)

和気清麻呂らが帰依した寺。

空海は帰国後にこの寺を拠点として活動した。

のちの神護寺(じんごじ)。

参考
弘法大師霊場 遺迹本山 高雄山神護寺ホームページ


勘解由使(かげゆし)
勘解由使(かげゆし)

797年ごろに国司への取り締まりが強化され設置されたとされる職。

国司が交代するとき、前任者と後任者の交替時に無事に事務が引き継がれたか審査を行う。

役民(えのたみ)
役民(えのたみ)

古代日本に雇役(こえき)という、地方の成年男子を中央に徴用し、都や宮殿の造営をさせる制度があったが、その徴用された人のことを役民という。


資人(しじん)
資人(しじん)

下級官人。

皇族や貴族に支給され、警護や雑務に従事した。

班田期間を6年1班から12年1班に改める(はんでんきかんを6ねん1ぱんから12ねん1ぱんにあらためる)
班田期間を6年1班から12年1班に改める(はんでんきかんを6ねん1ぱんから12ねん1ぱんにあらためる)

桓武天皇は、造籍(戸籍の作成)と校田(班田に先立って田地の面積、地目、田主などを調査すること)に合わせて6年1班だった班田(田を分かち与えること)の期間を12年1班に改め、班田収授を励行したが、効果は薄かった。


雑徭を60日から30日に改める(ぞうようを60にちから30にちにあらためる)
雑徭を60日から30日に改める(ぞうようを60にちから30にちにあらためる)

桓武天皇は、雑徭の期間を60日から30日に改め、負担軽減を図って公民の維持に努めたが、効果は薄かった。

坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)
坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)

758年 - 811年

征夷大将軍として蝦夷の反乱を抑えることなどに活躍。


阿弖流為(アテルイ)
阿弖流為(アテルイ)

? - 802年

蝦夷の族長。

坂上田村麻呂に降伏し、処刑された。

胆沢城(いさわじょう)
胆沢城(いさわじょう)

802年に坂上田村麻呂が築き、阿弖流為を帰順させて鎮守府を多賀城から胆沢城に移した。


鎮守府(ちんじゅふ)
鎮守府(ちんじゅふ)

蝦夷征伐を目的に設置された役所。9世紀初期に征夷大将軍坂上田村麻呂によって多賀城から胆沢城に移された。

荘園(しょうえん)
荘園(しょうえん)

奈良時代に出された墾田永年私財法によって、開墾した土地の私有を認められるようになったのを受け、貴族や寺社などが開墾して私有地としたものを荘園という。


院宮王臣家(いんぐうおうしんけ)
院宮王臣家(いんぐうおうしんけ)

天皇権力と結びついて勢力を拡大した皇族・貴族のこと。

9世紀になると、有力農民と結託して大土地所有を進め、私営田を拡大した。

弘仁・貞観文化(こうにん・じょうがんぶんか)
弘仁・貞観文化(こうにん・じょうがんぶんか)

平安時代前期の文化。

貴族文化であり、密教の影響が強い仏教文化でもある。


室生寺金堂(むろうじこんどう)
室生寺金堂(むろうじこんどう)

弘仁・貞観文化を代表する建築。

参考
伽藍と境内 | 女人高野 室生寺

弘文院(こうぶんいん)
弘文院(こうぶんいん)

弘仁・貞観文化における有力な貴族の子弟のための教育施設。


最澄(さいちょう)
最澄(さいちょう)

766/767年 - 822年

中国に渡って仏教を学び、帰国後、比叡山に延暦寺を建てて、天台宗の開祖となった。

天台宗(てんだいしゅう)
天台宗(てんだいしゅう)

最澄が広めた宗教。

参考
天台宗
天台宗総本山 比叡山延暦寺 [Hieizan Enryakuji]


空海(くうかい)
空海(くうかい)

774年 - 835年

中国に渡って密教を学び、帰国後、高野山に金剛峯寺(こんごうぶじ)を建てて、真言宗の開祖となったよ。

真言宗(しんごんしゅう)
真言宗(しんごんしゅう)

空海が広めた宗教。

参考
高野山真言宗 総本山金剛峯寺


嵯峨天皇(さがてんのう)
嵯峨天皇(さがてんのう)

786年 - 842年

第52代天皇(在位:809年 - 823年)。

文華秀麗集という勅撰漢詩集を作らせる。

弘仁式という律令の補完のための法令集を作成させる。

最末期には公営田・勅旨田の設置を行う。

検非違使(けびいし)
検非違使(けびいし)

嵯峨天皇が設置した令外官(律令に定めのない官職)。

平安京内の警察や裁判などを職務とした。

これにより弾正台はその機能を失った。


教王護国寺(きょうおうごこくじ)
教王護国寺(きょうおうごこくじ)

真言密教のための道場として空海に対して与えられた東寺は、教王護国寺とも呼ばれた。

参考
東寺 – 世界遺産 真言宗総本山 教王護国寺

文華秀麗集(ぶんかしゅうれいしゅう)
文華秀麗集(ぶんかしゅうれいしゅう)

818年

嵯峨天皇の勅命により編纂された勅撰漢詩集


弘仁格(こうにんきゃく)
弘仁格(こうにんきゃく)

820年完成。

701年から819年までの格をまとめたもの。

弘仁格式(弘仁格と弘仁式のこと)」「貞観格式(貞観格と貞観式のこと)」「延喜格式(延喜格と延喜式のこと)」の三つを合わせて三代格式と呼ばれる。

格(きゃく)
格(きゃく)

律令制定後の社会変化に応じて律令の規定を補足・修正した法令のこと。


弘仁式(こうにんしき)
弘仁式(こうにんしき)

820年完成。

701年から819年までに発布された式をまとめたもの。

弘仁格式(弘仁格と弘仁式のこと)」「貞観格式(貞観格と貞観式のこと)」「延喜格式(延喜格と延喜式のこと)」の三つを合わせて三代格式と呼ばれる。

式(しき)
式(しき)

律令の施行の仕方の細則集。


弘仁格式(こうにんきゃくしき)
弘仁格式(こうにんきゃくしき)

弘仁格と弘仁式をまとめた言い方。

大宝律令以降の法令を集めたもの。

藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)
藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)

775年 - 826年

公卿。歌人。

嵯峨天皇から蔵人頭に任じられ、のちの摂関家の基礎を築いた。


勧学院(かんがくいん)
勧学院(かんがくいん)

821年

藤原冬嗣によって創建された、弘仁・貞観文化における有力な貴族の子弟のための大学別曽。

大学別曽(だいがくべっそう)
大学別曽(だいがくべっそう)

有力氏族が大学寮近くに設けた寄宿施設。


公営田(くえいでん)
公営田(くえいでん)

823年

調や庸の徴収が困難になったことをうけ、財源を確保するために、国家が有力農民を利用して直接経営しようとして、大宰府管内に設けた田のこと。

年号の覚え方は「ハニ(82)ー見(3)て!これ国の田んぼ!公営田!」です。

清原夏野(きよはらのなつの)
清原夏野(きよはらのなつの)

782年 - 837年

貴族。学者。

『令義解』を編纂した。


令義解(りょうのぎげ)
令義解(りょうのぎげ)

833年

(律令の)令の解釈を統一するための公式の注釈書。

清原夏野らによって編纂された。

仁明天皇(にんみょうてんのう)
仁明天皇(にんみょうてんのう)

810年 - 850年

第54代天皇(在位:833年 - 850年)。

仁明天皇のとき、清原夏野らによって編纂された『令義解』が施行された。


藤原氏(ふじわらし)
藤原氏(ふじわらし)

「氏(し)」っていうのは「一族」みたいな意味で、要するに藤原一族のこと(正確には「藤原」を氏の名とする氏族)。「藤原一族とか知らねぇよ」って思ってるかも知れないけど飛鳥時代に大化の改新で活躍した藤原鎌足(中臣鎌足)を覚えてる?藤原氏はその子孫たちだよ。

藤原良房(ふじわらのよしふさ)
藤原良房(ふじわらのよしふさ)

804年 - 872年

藤原冬嗣の次男。

承和の変、応天門の変などで出世のライバルである他氏を退けた。

臣下ではじめて摂政の任についた。


摂政(せっしょう)
摂政(せっしょう)

天皇が幼い時や病気の時に天皇に代わって政務を行った代行者。

橘逸勢(たちばなのはやなり)
橘逸勢(たちばなのはやなり)

? - 842年

承和の変で伊豆へ配流された人。


承和の変(じょうわのへん)
承和の変(じょうわのへん)

842年

謀反を企てたとして伴健岑が隠岐へ、橘逸勢が伊豆へ配流された事件。

権力の確立を図った藤原良房の陰謀。

年号の覚え方は「早よ逃(842)げ!逸勢(はやなり)!承和の変!」です。

白居易(はくきょい)
白居易(はくきょい)

772年 - 846年

中国の詩人。

白居易の漢詩は日本の貴族社会の中で高い評価を得ていた。


円仁(えんにん)
円仁(えんにん)

794年 - 864年

最澄に師事。

838年~847年に中国で天台教学・密教を学び、『入唐求法巡礼行記』を著した。

清和天皇(せいわてんのう)
清和天皇(せいわてんのう)

850年 - 881年

第56代天皇(在位:858年 - 876年)。

清和天皇の時代に貞観格式が編纂された。


惟宗直本(これむねのなおもと)
惟宗直本(これむねのなおもと)

?年 - ?年

律令の解釈の統一化が達成された結果、律令の研究の活気が失われた。多くの解釈学説がうずもれることを恐れて『令集解』を集成した。

令集解(りょうのしゅうげ)
令集解(りょうのしゅうげ)

860年代頃成立。

惟宗直本が令の注釈を集めて編纂したもの。


応天門の変(おうてんもんのへん)
応天門の変(おうてんもんのへん)

866年

大納言伴善男が応天門に放火し、左大臣源信に罪を着せようとしたことを受け、伴善男が伊豆に流された事件。

事件処理に際し、藤原良房は伴・紀両氏を没落させた。

貞観格(じょうがんきゃく)
貞観格(じょうがんきゃく)

869年成立。

『弘仁格』成立以降の格(社会変化に応じて律令の規定を補足・修正した法令)をまとめたもの。

弘仁格式(弘仁格と弘仁式のこと)」「貞観格式(貞観格と貞観式のこと)」「延喜格式(延喜格と延喜式のこと)」の三つを合わせて三代格式と呼ばれる。


貞観式(じょうがんしき)
貞観式(じょうがんしき)

871年成立。

『弘仁式』成立以降の式(律令の施行の仕方の細則集)をまとめたもの。

弘仁格式(弘仁格と弘仁式のこと)」「貞観格式(貞観格と貞観式のこと)」「延喜格式(延喜格と延喜式のこと)」の三つを合わせて三代格式と呼ばれる。

官田(かんでん)
官田(かんでん)

879年

調や庸の徴収が困難になったことをうけ、財源を確保するために、国家が有力農民を利用して直接経営しようとして、畿内に設けた田のこと。


藤原基経(ふじわらのもとつね)
藤原基経(ふじわらのもとつね)

836年 - 891年

藤原良房の養子。

884年、光孝天皇の時にはじめて関白となった。

宇多天皇に関白に任じられる際には阿衡の紛議を起こし、関白の政治的地位を確立した。

関白(かんぱく)
関白(かんぱく)

天皇を補佐する令外官(律令に規定のない新設の官職)。


摂関政治(せっかんせいじ)
摂関政治(せっかんせいじ)

藤原氏が娘を天皇のきさきにして外戚関係(がいせきかんけい。母方の親戚のことを外戚という)になり、摂政や関白などの要職を独占して実権を握り、天皇にかわっておこなった政治のこと。

円珍(えんちん)
円珍(えんちん)

814年 - 891年

天台宗の僧。

唐に渡って密教を学び、帰国後、天台宗の密教化を進めた。


園城寺(おんじょうじ)
園城寺(おんじょうじ)

円珍が再興した天台宗寺門派の総本山。

参考
三井寺(天台寺門宗総本山園城寺)

本地垂迹(ほんじすいじゃく)
本地垂迹(ほんじすいじゃく)

摂関期になると、神という存在は、仏が姿を変え、人々の救済のためこの世に現れたものだとする本地垂迹説が生まれた。


在原業平(ありわらのなりひら)
在原業平(ありわらのなりひら)

825年 - 880年

阿保親王の子。六歌仙の一人。

『伊勢物語』は、在原業平の物語であると古くからみなされてきた。

奨学院(しょうがくいん)
奨学院(しょうがくいん)

881年設置。

皇族の子弟がかよう大学別曹。


大祓(おおはらえ)
大祓(おおはらえ)

穢れをはらい、災いからまぬがれるための神事。

宇多天皇(うだてんのう)
宇多天皇(うだてんのう)

867年 - 931年

第59代天皇(在位:887年 - 897年)。

藤原基経を関白に任じようとした際、阿衡の紛議を起こされる。


阿衡の紛議(あこうのふんぎ)
阿衡の紛議(あこうのふんぎ)

887年 - 888年

887年に宇多天皇が藤原基経を関白に任じようと橘広相に勅書を起草させたところ、藤原基経が勅書の内容を問題にして出仕することをやめたため、888年に宇多天皇が非を認め、広相を罰した事件。

基経はこれにより関白としての政治的立場を強くした。

菅原道真(すがわらのみちざね)
菅原道真(すがわらのみちざね)

845年 - 903年

学者、政治家。

宇多天皇に重用された。


遣唐使の廃止(遣唐使の廃止)
遣唐使の廃止(遣唐使の廃止)

894年

唐の混乱や日本文化の発達を理由にして菅原道真が遣唐使を廃止した。

国風文化(こくふうぶんか)
国風文化(こくふうぶんか)

遣唐使が廃止されたことをきっかけとして生まれた、日本の風土に合った日本独自の文化のこと。

和歌が社交の手段としてもてはやされ『古今和歌集』が編纂された。

また、貴族生活を素材に『伊勢物語』や『宇津保物語』が著された。

服装に関しては唐風の服装にかわる正装として、男子の束帯、女子の十二単が用いられた。


仮名文字(かなもじ)
仮名文字(かなもじ)

漢字から作られ、女性の間で流行った文字。

伊勢物語(いせものがたり)
伊勢物語(いせものがたり)

10世紀前半に成立した一貴族の生涯をつづった歌物語。

在原業平を主人公とした物語とされる。


束帯(そくたい)
束帯(そくたい)

平安時代以降の天皇以下公家の男性の正装。

衣冠(いかん)
衣冠(いかん)

平安時代以降の貴族や官人の宮中での男性の勤務服。


女房装束(にょうぼうしょうぞく)
女房装束(にょうぼうしょうぞく)

平安時代の宮廷女性女性の正装。

寝殿造(しんでんづくり)
寝殿造(しんでんづくり)

平安時代の貴族の住宅。

寝殿と対屋からなる。


大和絵(やまとえ)
大和絵(やまとえ)

なだらかな線と上品な彩色とをもつ、日本の風景を題材とした絵。

大和絵の画家として巨勢金岡が知られている。

醍醐天皇(だいごてんのう)
醍醐天皇(だいごてんのう)

885年 - 930年

第60代天皇(在位:897年 - 930年)。

摂関を置かずに親政(天皇自ら政治を行うこと)を行った。

延喜の荘園整理令を発布した。


藤原時平(ふじわらのときひら)
藤原時平(ふじわらのときひら)

871年 - 909年

公卿。藤原基経の長男。

醍醐天皇の時代に左大臣であったが、次第に右大臣の菅原道真と対立し、道真を大宰府に左遷した。

菅原道真が大宰府に左遷される(すがわらのみちざねがだざいふにさせんされる)
菅原道真が大宰府に左遷される(すがわらのみちざねがだざいふにさせんされる)

901年

醍醐天皇の時代に右大臣であった菅原道真が、次第に左大臣の藤原時平と対立し、大宰府に左遷された。

年号の覚え方は「くれ(90)!一(1)筋の希望!菅原道真大宰府左遷」です。

参考
道真公のご生涯 | 太宰府天満宮


大宰府(だざいふ)
大宰府(だざいふ)

西海道に置かれた律令政府の出先機関。

現在の福岡県の太宰府市には、大宰府で没した菅原道真を祀る太宰府天満宮がある。

参考
太宰府天満宮

大宰府の場所(だざいふのばしょ)
大宰府の場所(だざいふのばしょ)

九州北部です。


竹取物語(たけとりものがたり)
竹取物語(たけとりものがたり)

9世紀末~10世紀初めに成立。

伝説を題材とした物語。

受領(ずりょう)
受領(ずりょう)

9世紀末から10世紀前半にかけて国司の制度が整備され、赴任する国司の最上席者に大きな権限と責任を負わせるようになった。

やがて、その国司の最上席者は受領と呼ばれるようになった。


日本三代実録(にほんさんだいじつろく)
日本三代実録(にほんさんだいじつろく)

901年完成。

平安時代に編纂された歴史書。

荘園整理令(しょうえんせいりれい)
荘園整理令(しょうえんせいりれい)

平安時代に幾度か出された荘園の増大を抑えるための法令。


延喜の荘園整理令(えんぎのしょうえんせいりれい)
延喜の荘園整理令(えんぎのしょうえんせいりれい)

902年

醍醐天皇が発令した荘園整理令。

この荘園整理令を初めての荘園整理令とし、以降平安時代において幾度か荘園整理令が出された。

紀貫之(きのつらゆき)
紀貫之(きのつらゆき)

? - 945年

歌人。貴族。

905年に『古今和歌集』を編纂した。

935年頃に『土佐日記』を書く。


古今和歌集(こきんわかしゅう)
古今和歌集(こきんわかしゅう)

905年に紀貫之らが編纂に着手した、日本最初の勅撰和歌集。

延喜格(えんぎきゃく)
延喜格(えんぎきゃく)

907年成立。

『貞観格』成立以降の格(社会変化に応じて律令の規定を補足・修正した法令)をまとめたもの。

弘仁格式(弘仁格と弘仁式のこと)」「貞観格式(貞観格と貞観式のこと)」「延喜格式(延喜格と延喜式のこと)」の三つを合わせて三代格式と呼ばれる。


三善清行(みよしきよゆき)
三善清行(みよしきよゆき)

847年 - 919年

漢学者。

914年に意見十二箇条を醍醐天皇に提出した。

意見十二箇条(いけんじゅうにかじょう)
意見十二箇条(いけんじゅうにかじょう)

914年

三善清行が醍醐天皇に提出した意見。

地方行政上の障害の除去の主張などが書かれている。


渤海(ぼっかい)
渤海(ぼっかい)

698年 - 926年

中国の東北地方と朝鮮半島北部にかけて存在した国。

907年に唐が減亡すると、朝鮮半島でも日本と長らく親交のあった渤海が926年に遼(契丹)に滅ぼされた。

延喜式(えんぎしき)
延喜式(えんぎしき)

927年成立。

『貞観式』成立以降の式(律令の施行の仕方の細則集)をまとめたもの。

弘仁格式(弘仁格と弘仁式のこと)」「貞観格式(貞観格と貞観式のこと)」「延喜格式(延喜格と延喜式のこと)」の三つを合わせて三代格式と呼ばれる。


在庁官人(ざいちょうかんじん)
在庁官人(ざいちょうかんじん)

国府の次官以下に登用され、税所、検非違所などの国府の実務部署の幹部にも任じられた現地採用の地方武士のこと。

世襲されるようになった。

駅家(えきか/うまや)
駅家(えきか/うまや)

官道沿いには、一定の距離をおいて駅家が設けられていた。

延喜式では馬の数を規定した。


官道(かんどう)
官道(かんどう)

中央と地方機関を結ぶための経路として国家によって管理・整備された道路のこと。

各国の政務・儀礼を行う施設が集まった国府や、聖武天皇の詔によって建立された国分寺・国分尼寺なども、官道近くに位置する場合が多い。

戸籍制度が行き詰まる
戸籍制度が行き詰まる

平安時代には戸籍に偽りが増え、律令制の租税制度が行き詰まったため、10世紀になると土地を基礎に官物・臨時雑役などの新しい名目の税を取り立てるようになった。


官物(かんもつ)
官物(かんもつ)

戸籍を基礎に置く律令制が崩壊した10世紀初頭、課税対象を人間から土地に改め、それまでの租庸調に相当するものとして官物を課すようになった。

所当官物ともいう。

臨時雑役(りんじぞうやく)
臨時雑役(りんじぞうやく)

戸籍を基礎に置く律令制が崩壊した10世紀初頭、それまでの雑徭などの労役に匹敵するものとして臨時雑役を課すようになった。


朱雀天皇(すざくてんのう)
朱雀天皇(すざくてんのう)

923年 - 952年

第61代天皇(在位:930年 - 946年)。

朱雀天皇の時代、藤原忠平が摂関として取り仕切っていた。

藤原忠平(ふじわらのただひら)
藤原忠平(ふじわらのただひら)

880年 - 949年

公卿。藤原基経の四男。

朱雀天皇の時代に摂政、関白として実権を握り、村上天皇の初期まで長く政権の座にあった。


土佐日記(とさにっき)
土佐日記(とさにっき)

935年ごろ成立。

紀貫之が赴任先から京に帰るまでの出来事やおもいをつづった日記文学。

かな文による散文。

「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。それの年(承平四年)のしはすの二十日あまり一日の、戌の時に門出す。そのよしいさゝかものにかきつく。ある人縣の四年五年はてゝ例のことゞも皆しをへて、解由など取りて住むたちより出でゝ船に乘るべき所へわたる。……」

解由(げゆ)
解由(げゆ)

官人が任期満了で交代の事務引き継ぎをすること。

または解由状(解由の完了を証明する文書)のこと。

土佐日記にも「解由」という言葉が見られる。


宣旨(せんじ)
宣旨(せんじ)

律令は当時の日本社会になじまないところもあったため、国情に合うように格式のほか、天皇・上皇の勅使に基づいて制定される法が宣旨(天皇の命を伝える文書)の形で出された。

下人(げにん)
下人(げにん)

平安中期以降、貴族、寺社、武士、名主らの家内で使役された私的隷属民のこと。


武士(ぶし)
武士(ぶし)

戦いを職業とする人。この時代あたりから「武士」と呼べる存在が成立した。

高麗(こうらい)
高麗(こうらい)

918年 - 1392年

この頃に朝鮮半島を統一した王朝。


藤原純友(ふじわらのすみとも)
藤原純友(ふじわらのすみとも)

893年? - 941年

貴族。海賊。

939年に瀬戸内海で武士を率いて反乱を起こした。

平将門(たいらのまさかど)
平将門(たいらのまさかど)

? - 940年

関東の豪族。

935年に関東地方で武士を率いて反乱を起こした。


新皇(しんのう)
新皇(しんのう)

関東地方の大半を占拠した平将門は新皇と自称して支配を進めようとした。

承平・天慶の乱(じょうへいてんぎょうのらん)
承平・天慶の乱(じょうへいてんぎょうのらん)

平安時代中期のほぼ同時期に起きた、関東での平将門の乱と瀬戸内海の藤原純友の乱の総称。

平将門や藤原純友が東国や瀬戸内海で反乱を起こし、地方の政治の中心である国府などを襲った。

先に平将門の乱が鎮圧され、その後、藤原純友の乱が鎮圧された。


源経基(みなもとのつねもと)
源経基(みなもとのつねもと)

?年 - 961年

941年に藤原純友の乱を平定した。

将門記(しょうもんき)
将門記(しょうもんき)

平安時代中期の軍記物語。10世紀半ばに関東地方でおこった平将門の乱の顛末が書かれている。


宇津保物語(うつほものがたり)
宇津保物語(うつほものがたり)

平安時代中期に成立した長編物語。

著者不明。

小野道風(おののみちかぜ)
小野道風(おののみちかぜ)

894年 - 966年

書で有名な三蹟の一人。

「おののとうふう」とも読む。


村上天皇(むらかみてんのう)
村上天皇(むらかみてんのう)

926年 - 967年

第62代天皇(在位:946年 - 967年)。

藤原忠平の没後、摂関を置かずに親政(天皇自ら政治を行うこと)を行った。

乾元大宝(けんげんたいほう)
乾元大宝(けんげんたいほう)

958年

村上天皇の時に発行された銅銭。

皇朝十二銭の最後。


空也(くうや)
空也(くうや)

903年 - 972年

僧。

念仏を唱えて往生を説き、都で阿弥陀信仰を広め「市聖(いちのひじり)」と呼ばれた。

安和の変(あんなのへん)
安和の変(あんなのへん)

969年

藤原氏が源高明を失脚させた事件。


藤原道長(ふじわらのみちなが)
藤原道長(ふじわらのみちなが)

966年 - 1027年

甥の藤原伊周と権力を争って勝利。

4人の娘を中宮や皇太子妃とする。

後一条天皇、後朱雀天皇、後冷泉天皇は藤原道長の外孫である。

藤原伊周(ふじわらのこれちか)
藤原伊周(ふじわらのこれちか)

974年 - 1010年

藤原道長の甥。

道長と権力を争って左遷された。


藤原道長の外孫(ふじわらのみちながのそとまご)
藤原道長の外孫(ふじわらのみちながのそとまご)

後一条天皇、後朱雀天皇、後冷泉天皇は藤原道長の外孫(嫁に行った娘の子)。

御堂関白記(みどうかんぱくき)
御堂関白記(みどうかんぱくき)

藤原道長が著した日記。現存する世界最古の直筆日記。国宝。ユネスコ記憶遺産。


慶滋保胤(よししげのやすたね)
慶滋保胤(よししげのやすたね)

933年以後 - 1002年

貴族。文人。儒学者。

『日本往生極楽記』を編纂した。

日本往生極楽記(にほんおうじょうごくらくき)
日本往生極楽記(にほんおうじょうごくらくき)

985年~987年ごろに成立した。慶滋保胤が編纂した往生伝。聖徳太子など45人の往生の伝記を集めたもの。


源信(げんしん)
源信(げんしん)

942年 - 1017年

天台宗の僧。

985年に『往生要集』を著し、民衆の間にも浄土教が広まった。

往生要集(おうじょうようしゅう)
往生要集(おうじょうようしゅう)

985年に源信が書いた、念仏による極楽往生の方法を示した仏教書。


藤原佐理(ふじわらのすけまさ)
藤原佐理(ふじわらのすけまさ)

944年 - 998年

書で有名な三蹟(さんせき)の一人。

「ふじわらのさり」とも読む。

奝然(ちょうねん)
奝然(ちょうねん)

?年 - 1016年

東大寺の僧。

仏教の聖地を巡礼することを目的として983年に九州から中国商人の船に乗って宋へ渡った。

太宗と謁見し日本の国情を伝えた。

宋から釈迦如来像を日本にもたらし、それは後に清涼寺に安置された。


清凉寺(せいりょうじ)
清凉寺(せいりょうじ)

奝然がもたらした釈迦如来像が安置された寺。

参考
HOME | 清凉寺(嵯峨釈迦堂)

尾張国郡司百姓等解(おわりのくにぐんじひゃくしょうらげ)
尾張国郡司百姓等解(おわりのくにぐんじひゃくしょうらげ)

988年

尾張国守藤原元命を、国内の郡司や百姓等が暴政で訴えた訴状。

藤原元命は翌年、解任された。

年号の覚え方は「く(9)そば(8)ば(8)あ!藤原元命マジくそ!訴訟!」です。


藤原元命(ふじわらのもとなが)
藤原元命(ふじわらのもとなが)

生没年不詳

尾張国郡司百姓等解により989年に解任された。

遙任(ようにん)
遙任(ようにん)

在京したまま任国に下向しない国司のこと。

平安時代には、国司は目代を任国に派遣し、政務を担当させるようになった。


目代(もくだい)
目代(もくだい)

国司の代わりに任国に赴いて政務を担当した者。

藤原行成(ふじわらのゆきなり)
藤原行成(ふじわらのゆきなり)

972年 - 1027年

書で有名な三蹟(さんせき)の一人。

「ふじわらのこうぜい」とも読む。


後一条天皇(ごいちじょうてんのう)
後一条天皇(ごいちじょうてんのう)

1008年 - 1036年

第68代天皇(在位:1016年 - 1036年)。

藤原道長の外孫。

藤原隆家(ふじわらのたかいえ)
藤原隆家(ふじわらのたかいえ)

979年 - 1044年

公卿。

1019年に大宰府で刀伊の入寇に応戦し、これを撃退した。


刀伊の入寇(といのにゅうこう)
刀伊の入寇(といのにゅうこう)

1019年

女真族(満州民族)の一派とみられる海賊が壱岐・対馬・北九州を襲撃した事件。刀伊とは女真族のこと。藤原隆家らの活躍で撃退された。

年号の覚え方は「刀伊(101)のク(9)ソ野郎」です。

紫式部(むらさきしきぶ)
紫式部(むらさきしきぶ)

生没年不詳

平安時代中期の女性作家。歌人。「源氏物語」を書いたことで有名。


源氏物語(げんじものがたり)
源氏物語(げんじものがたり)

「光源氏」っていう人が、ただひたすらモテてモテてモテまくる話。

紫式部が書いた。

清少納言(せいしょうなごん)
清少納言(せいしょうなごん)

966年頃 - 1025年頃

平安時代中期の女流作家、歌人。

随筆「枕草子」を書いたことで有名。


枕草子(まくらのそうし)
枕草子(まくらのそうし)

「春なら夜明けが好き。徐々に白くなっていく山際が少し明るくなって、紫がかった雲が細くたなびいているのとかマジで好き。夏は夜が好き。満月の頃は言うまでもなく、新月の頃でも、ホタルが飛びちがっているのとか、良い感じじゃない?」と、ただひたすら自分が好きなものに関して書いてる随筆。

清少納言が書いた。

源頼信(みなもとのよりのぶ)
源頼信(みなもとのよりのぶ)

968年 - 1048年

藤原道長に仕える。

平忠常の乱を平定し、これを契機に東国への源氏勢力進出が始まった。


平忠常の乱(たいらのただつねのらん)
平忠常の乱(たいらのただつねのらん)

1028年 - 1031年

平忠常は1028年に反乱を起こして房総を占拠したが、1031年に源頼信に降伏した。

開発領主(かいはつりょうしゅ)
開発領主(かいはつりょうしゅ)

11世紀に現れた、未開墾の土地を私力で開発し、その所有を認められた有力農民。

彼らは国司からの徴税を逃れるために、中央の権力者に所領を寄進し、自らは下司や公文といった荘官となることで所領に対する支配権を確保しようとした。


寄進地系荘園(きしんちけいしょうえん)
寄進地系荘園(きしんちけいしょうえん)

11世紀、開発領主が国司による徴税から逃れるため、所領を不輸の権をもつ中央の有力者に名目上寄進した。

この荘園を寄進地系荘園という。

不輸の権(ふゆのけん)
不輸の権(ふゆのけん)

荘園にかかる税が免除される権利。

班田収授制度が放棄され、政府は寺社や皇族・貴族に対する給付物にあてる財源を用意できなくなったため、寺社や貴族に寄進された田地を免税として、給付しなければならないはずの財源の代わりとした。


領家(りょうけ)
領家(りょうけ)

開発領主から寄進を受けた者。

本家(ほんけ)
本家(ほんけ)

領家が、中下級貴族の場合、得分の一部をさらに上級の貴族や皇族などに寄進した。この名義上の上級領主を本家という。


荘官(しょうかん)
荘官(しょうかん)

荘園の管理者。

預所(あずかりどころ)
預所(あずかりどころ)

上級荘官。

下級荘官を指揮して荘園の経営にあたった。


下司(げし)
下司(げし)

下級荘官。

荘園の事務を司った。

開発領主は国司からの徴税を逃れるため、中央の有力者に所領を寄進し、みずからは下司などの荘官となって所領の支配権を確保しようとした。

公文(くもん)
公文(くもん)

下級荘官。

文書の取り扱い、年貢の徴収などを司った。

開発領主は国司からの徴税を逃れるため、中央の有力者に所領を寄進し、みずからは公文などの荘官となって所領の支配権を確保しようとした。


官省符荘(かんしょうふしょう)
官省符荘(かんしょうふしょう)

太政官や民部省から許可証を得た、正式の不輸の権をもつ荘園のこと。

国免荘(こくめんのしょう)
国免荘(こくめんのしょう)

もともと不輸の権は、太政官や民部省からのみ与えられたが、のちに国司も不輸の権を与える権利を得た。

国司の許可により不輸の権を得た荘園のことを国免荘という。


名(みょう)
名(みょう)

徴税単位に分けられた田地。

田堵(たと)
田堵(たと)

10~11世紀に、国司から名の納税負担者(負名)に指名されたり、荘園で耕作を請け負った有力農民。


負名(ふみょう)
負名(ふみょう)

徴税単位に分けられた田地である名の徴税を請け負った。

国衙領(こくがりょう)
国衙領(こくがりょう)

寄進地系荘園に対して、国司の管轄に残された土地のこと。

公領(こうりょう)ともいう。


定朝(じょうちょう)
定朝(じょうちょう)

? - 1057年

仏師。

寄木造技法の完成者とされ、定朝以降に仏像の量産と大型化が進んだ。

寄木造(よせぎづくり)
寄木造(よせぎづくり)

定朝が完成者とされる仏像の彫刻法。

これにより、定朝以降に仏像の量産と大型化が進んだ。


藤原頼通(ふじわらのよりみち)
藤原頼通(ふじわらのよりみち)

992年 - 1074年

公卿・歌人。

藤原道長の長男。

後一条天皇、後朱雀天皇、後冷泉天皇の3天皇、約50年にわたり摂政・関白を務める。

宇治に平等院鳳凰堂を建てた。

藤原頼通の娘には皇子が生まれなかった。

平等院鳳凰堂(びょうどういんほうおうどう)
平等院鳳凰堂(びょうどういんほうおうどう)

末法思想が広がるなか、藤原頼通が建てた寺院。

本尊の平等院鳳凰堂阿弥陀如来像は定朝の作。

参考
世界遺産 平等院


平等院鳳凰堂阿弥陀如来像(びょうどういんほうおうどうあみだにょらいぞう)
平等院鳳凰堂阿弥陀如来像(びょうどういんほうおうどうあみだにょらいぞう)

平等院鳳凰堂の本尊。

定朝の作。

寄木造で作られている。

参考
彫刻・工芸 | 世界遺産平等院

後朱雀天皇(ごすざくてんのう)
後朱雀天皇(ごすざくてんのう)

1009年 - 1045年

第69代天皇(在位:1036年 - 1045年)。

藤原道長の外孫。


後冷泉天皇(ごれいぜいてんのう)
後冷泉天皇(ごれいぜいてんのう)

1025年 - 1068年

第70代天皇(在位:1045年 - 1068年)。

藤原道長の外孫。

安倍頼時(あべのよりとき)
安倍頼時(あべのよりとき)

? - 1057年

陸奥の豪族。

朝廷から俘囚の長と見なされていた人。

朝廷のいう事を聞かないなど、反発の態度を示していたが前九年合戦で源頼義に敗れた。


俘囚(ふしゅう)
俘囚(ふしゅう)

天皇に服属した夷狄や蝦夷のこと。

夷狄(いてき)
夷狄(いてき)

未開の人や野蛮人の事。


蝦夷(えみし)
蝦夷(えみし)

古代、日本の東北・北海道に住み、朝廷の支配に抵抗し服属しなかった人々の呼称。

源頼義(みなもとのよりよし)
源頼義(みなもとのよりよし)

988年 - 1075年

武将。陸奥守。鎮守府将軍。

子の源義家とともに、朝廷に反抗的だった安倍頼時を前九年合戦で破った。


源義家(みなもとのよしいえ)
源義家(みなもとのよしいえ)

1039年 - 1106年

源頼義の子。

父親の源頼義とともに、朝廷に反抗的だった安倍頼時を前九年合戦で破った。

義家は、のちの1083年に発生した清原氏の内紛(後三年合戦)も平定した。

清原氏(きよはらし)
清原氏(きよはらし)

前九年合戦で源頼義に協力した。


前九年合戦(ぜんくねんかっせん)
前九年合戦(ぜんくねんかっせん)

1051年 - 1062年

源頼義らと安倍頼時とが戦い、源頼義が勝利した戦い。

「前九年の役」ともいう。

陸奥話記(むつわき)
陸奥話記(むつわき)

軍記物。

前九年合戦を中心に書かれている。


後三条天皇(ごさんじょうてんのう)
後三条天皇(ごさんじょうてんのう)

1034年 - 1073年

第71代天皇(在位:1068年 - 1073年)。

宇多天皇以来170年ぶりの藤原氏を外戚としない天皇。

違法荘園の整理のために1069年延久の荘園整理令を発布し、その審査を行う機関として記録荘園券契所を設置した。

白河天皇の父親。

延久の荘園整理令(えんきゅうのしょうえんせいりれい)
延久の荘園整理令(えんきゅうのしょうえんせいりれい)

1069年

荘園の増加が公領(国衙領)を圧迫しているとして後三条天皇が発令した、違法荘園の整理のためのもの。

記録荘園券契所(記録所)も設けて違法かどうか厳密に審査した。

年号の覚え方は「天(10)皇、無(6)理く(9)り荘園整理!延久の荘園整理令」です


記録荘園券契所(きろくしょうえんけんけいじょ)
記録荘園券契所(きろくしょうえんけんけいじょ)

記録所とも呼ばれる。

荘園整理を進めるために1069年に後三条天皇によって設置された、荘園が違法かどうかを検査する機関。

源氏(げんじ)
源氏(げんじ)

平安時代後期に二度に渡る蝦夷の反乱で活躍し関東地方に大きな勢力をもった武士団。


平氏(へいし)
平氏(へいし)

平安時代後期に京都周辺から西日本にかけて大きな勢力を持った武士団。

知行国制度(ちぎょうこくせいど)
知行国制度(ちぎょうこくせいど)

特定の国の支配を有力者に委ねる制度のこと。


知行国主(ちぎょうこくしゅ)
知行国主(ちぎょうこくしゅ)

一国の実質的な支配権を与えられ、近親者を国府に任命するなどして、その国からの収益を取得した。

成尋(じょうじん)
成尋(じょうじん)

1010年 - 1081年

日本の僧。

1072年に宋に渡った成尋は、天台山や五台山を巡礼した。


白河天皇(しらかわてんのう)
白河天皇(しらかわてんのう)

1053年 - 1129年

第72代天皇(在位:1072年 - 1086年)。

父親は後三条天皇。

六勝寺のひとつ「法勝寺」を建てる。

六勝寺(ろくしょうじ)
六勝寺(ろくしょうじ)

院政期には、仏教を厚く信仰する天皇らにより御願寺である「法勝寺(ほっしょうじ)」「尊勝寺(そんしょうじ)」「最勝寺(さいしょうじ)」「円勝寺(えんしょうじ)」「成勝寺(じょうしょうじ)」「延勝寺(えんしょうじ)」の六勝寺が京都白河の地に造営された。


法勝寺(ほっしょうじ)
法勝寺(ほっしょうじ)

1077年創建。

六勝寺のひとつ。

白河天皇が建てた。

後三年合戦(ごさんねんかっせん)
後三年合戦(ごさんねんかっせん)

1083年 - 1087年

清原氏の相続争いが発生し、陸奥守として赴任した源義家が介入した。

藤原清衡、源義家側が勝利し、清原氏は滅んだ。


藤原清衡(ふじわらのきよひら)
藤原清衡(ふじわらのきよひら)

1056年 - 1128年

前九年合戦で安倍氏に味方した豪族の子。

処刑される予定だったが、母親が敵将の長男と結婚することで何を逃れ、清原家の養子となった。

その後、清原氏一族で内紛が起きた(後三年合戦)が、これを制圧。

その後実父の姓である藤原に復し、奥州藤原氏の祖となった。

平泉(ひらいずみ)
平泉(ひらいずみ)

前九年合戦、後三年合戦の後、奥州藤原氏は平泉を拠点とした。


奥州藤原氏(おうしゅうふじわらし)
奥州藤原氏(おうしゅうふじわらし)

前九年合戦、後三年合戦という二度の合戦を経て、奥羽地方では奥州藤原氏が勢力を拡大し、金の力を背景に京都の文化を取り入れた独自の文化を育て、繁栄した。

中尊寺金色堂(ちゅうそんじこんじきどう)
中尊寺金色堂(ちゅうそんじこんじきどう)

奥州藤原氏が岩手県の平泉町に建立した、中尊寺にある仏像。

参考
金色堂 | 関山 中尊寺


ヤコウ貝(ヤコウがい)
ヤコウ貝(ヤコウがい)

当時の奄美大島の特産であり、工芸装飾に用いられた。

中尊寺金色堂の装飾にも使われている。

堀河天皇(ほりかわてんのう)
堀河天皇(ほりかわてんのう)

1079年 - 1107年

第73代天皇(在位:1086年 - 1107年)。

父は白河上皇。

白河天皇が院政を始めるにあたって即位させた。

善政を行い「末代の賢王」と呼ばれた。

六勝寺のひとつ「尊勝寺」を建てる。


白河上皇(しらかわじょうこう)
白河上皇(しらかわじょうこう)

1053年 - 1129年

第72代天皇である白河天皇は1086年に堀河天皇を即位させて上皇となり、院政(1086年 - 1129年)を始めた。

本格的な院政を最初に始めた人。

白河上皇が院政を始めたのは1086年。

覚え方は「人(1)無し(0)やむ(86)無く白河院政」。

優秀な人がいなかったから、やむ無く白河上皇が院政を始めた、みたいなイメージで覚えてね。

院政(いんせい)
院政(いんせい)

天皇が皇位を譲った後も上皇となり、天皇に代わって政治を行うこと。

上皇のことを院とも言うので、院政と言われる。

白河上皇が本格的に始めた。


院御所(いんのごしょ)
院御所(いんのごしょ)

上皇の居所のこと。

院ともいう。

北面の武士(ほくめんのぶし)
北面の武士(ほくめんのぶし)

院御所を警護する役目の武士。


治天の君(ちてんのきみ)
治天の君(ちてんのきみ)

直系子孫を天皇の位につけ、院政を行って政権の実権を掌握した上皇の事は俗に「治天の君」と呼ばれた。

57年間
57年間

白河上皇の天皇在位期間と院政期間を合わせた統治期間は57年間。


院庁(いんのちょう)
院庁(いんのちょう)

別当以下の職員を擁する院の家政機関。

院庁下文(いんのちょうくだしぶみ)
院庁下文(いんのちょうくだしぶみ)

院庁から下達された公文書。

院政期には国政に効力をもつようになった。


年預(ねんよ)
年預(ねんよ)

院庁の職員のひとつ。

富貴寺大堂(ふきじおおどう)
富貴寺大堂(ふきじおおどう)

豊後(現在の大分県)に作られた九州最古の阿弥陀堂。

この例にみられるように、院政期には、阿弥陀堂が地方でも建てられた。


鹿子木荘(かのこぎのしょう)
鹿子木荘(かのこぎのしょう)

寄進地系荘園の代表例。

肥後国にある。

1086年に開発領主である沙弥寿妙の孫の高方が、大宰大弐藤原実政にその所領を寄進したことに始まり、春宮大夫藤原公実に受け継がれた。

その後、権利は様々な人へと受け継がれた。

13世紀末には東寺(教王護国寺)の供僧方に寄進されたため、鹿子木荘の成立と相伝に関する文書が東寺(教王護国寺)に伝来、所蔵されている。

鹿子木荘は肥後国にある(かのこぎのしょうはひごのくににある)
鹿子木荘は肥後国にある(かのこぎのしょうはひごのくににある)

鹿子木荘は肥後国(現在の熊本県)にあった。


鹿子木荘は東寺に寄進される(かのこぎのしょうはとうじにきしんされる)
鹿子木荘は東寺に寄進される(かのこぎのしょうはとうじにきしんされる)

鹿子木荘は13世紀末には東寺(教王護国寺)の供僧方に寄進されたため、鹿子木荘の成立と相伝に関する文書が東寺(教王護国寺)に伝来、所蔵されている。

藤原宗忠(ふじわらのむねただ)
藤原宗忠(ふじわらのむねただ)

1062年 - 1141年

公卿。

日記「中右記」を著す。


中右記(ちゅうゆうき)
中右記(ちゅうゆうき)

藤原宗忠の日記。

白河・鳥羽院政期の重要資料。

日吉神社(ひえじんじゃ)
日吉神社(ひえじんじゃ)

延暦寺の僧兵が日吉神社の神輿をかついで、たびたび強訴(徒党を組んで訴えたり、何かを要求したりすること)したのには、白河上皇も手を焼いた。


熊野詣(くまのもうで)
熊野詣(くまのもうで)

熊野三山(熊野にある三つの社(やしろ)の総称)に参詣すること。院政期には白河上皇も行った熊野詣が盛んだった。

大鏡(おおかがみ)
大鏡(おおかがみ)

平安時代後期(白河院政期)に成立したとされている紀伝体の歴史物語。藤原氏の全盛期を批判的に描写した。


尊勝寺(そんしょうじ)
尊勝寺(そんしょうじ)

1102年創建。

六勝寺のひとつ。

堀河天皇が建てた。

藤原基衡(ふじわらのもとひら)
藤原基衡(ふじわらのもとひら)

? - 1157年

奥州藤原氏第2代当主。

藤原清衡の次男。


毛越寺(もうつうじ)
毛越寺(もうつうじ)

藤原清衡、藤原基衡が再興し、現在も浄土庭園の遺構が残る寺。

参考
毛越寺について │ 毛越寺

鳥羽天皇(とばてんのう)
鳥羽天皇(とばてんのう)

1103年 - 1156年

第74代天皇(在位:1107年 - 1123年)。

院政1129年~1156年。

六勝寺のひとつ、最勝寺を建てた。


源義親(みなもとのよしちか)
源義親(みなもとのよしちか)

? - 1108年

武将。

源義親の乱を起こした。

源義親の乱(みなもとのよしちかのらん)
源義親の乱(みなもとのよしちかのらん)

1107年 - 1108年

源義親が起こした乱。

鎮圧された。


平正盛(たいらのまさもり)
平正盛(たいらのまさもり)

生没年不詳

出雲国で源義親の乱を鎮圧し、白河上皇からその武功を認められた。

最勝寺(さいしょうじ)
最勝寺(さいしょうじ)

1118年創建。

六勝寺のひとつ。

鳥羽天皇が建てた。


崇徳天皇(すとくてんのう)
崇徳天皇(すとくてんのう)

1119年 - 1164年

第75代天皇(在位:1123年 - 1141年)。

円勝寺(えんしょうじ)
円勝寺(えんしょうじ)

1128年創建。

六勝寺の内のひとつ。

六勝寺の中で唯一、(鳥羽天皇の)皇后が建てた御願寺であり、天皇が建てた御願寺ではない。


崇徳上皇(すとくじょうこう)
崇徳上皇(すとくじょうこう)

1119年 - 1164年

第75代天皇の後に上皇になりました。

1156年に保元の乱で後白河天皇と争って負けました。

後白河天皇(ごしらかわてんのう)
後白河天皇(ごしらかわてんのう)

1127年 - 1192年

第77代天皇(在位:1155年 - 1158年)

1156年に保元の乱で崇徳上皇と争って勝ちました。


保元の乱(ほうげんのらん)
保元の乱(ほうげんのらん)

1156年

皇位継承問題や摂関家の内紛により、朝廷が後白河天皇と崇徳上皇に分裂し、双方の武力衝突に至った政変。

後白河天皇が勝利した。この公家の内部抗争の解決に武士の力を借りたため、武士の存在感が増し、後の約700年に渡る武家政権へ繋がるきっかけの一つとなった。

年号の覚え方は「人々(11)殺(56)す保元の乱」です。

藤原忠通(ふじわらのただみち)
藤原忠通(ふじわらのただみち)

1097年 - 1164年

藤原頼長の兄。

保元の乱で後白河天皇方についた。


藤原頼長(ふじわらのよりなが)
藤原頼長(ふじわらのよりなが)

1120年 - 1156年

藤原忠通の弟。

保元の乱で崇徳上皇方について敗死した。

平忠正(たいらのただまさ)
平忠正(たいらのただまさ)

? - 1156年

武将。

保元の乱に敗れた結果、斬首された。


蓮華王院(れんげおういん)
蓮華王院(れんげおういん)

二条天皇に位を譲った後白河上皇の御所として三十三間堂が造営されたが、その三十三間堂を本堂とする寺院。

参考
蓮華王院 三十三間堂

平忠盛(たいらのただもり)
平忠盛(たいらのただもり)

1096年 - 1153年

武将。

平清盛の父。

瀬戸内海の海賊を平定して鳥羽上皇の信任を得て昇進を重ねた。

肥前国神埼荘を拠点に日宋貿易を行った。


平清盛(たいらのきよもり)
平清盛(たいらのきよもり)

1118年 - 1181年

武将・公卿。

平忠盛の子。

平氏の棟梁。

保元の乱、平治の乱で活躍。

1167年には武士として初めて太政大臣に任じられた。

摂津国の大和田泊を修築し、南宋との交易を積極的に行った。

源義朝(みなもとのよしとも)
源義朝(みなもとのよしとも)

1123年 - 1160年

源頼朝の父。

保元の乱で後白河天皇側につき勝利する。

のちに平清盛と争い平治の乱を起こすが敗れ、逃げる途中に謀殺される。


藤原信頼(ふじわらののぶより)
藤原信頼(ふじわらののぶより)

1133年 - 1159年

後白河天皇の近臣。

藤原通憲と勢力を争い、源義朝と平治の乱を起こすが敗れる。

平治の乱(へいじのらん)
平治の乱(へいじのらん)

1160年

院近臣らの対立により発生した政変。平清盛が源義朝に勝利した。


今様(いまよう)
今様(いまよう)

(平安時代末期当時にとっての)現代風の歌謡。

後白河上皇が愛好していた。

平家納経(へいけのうきょう)
平家納経(へいけのうきょう)

1164年に厳島神社に奉納された平氏ゆかりの装飾経。


1164年
1164年

平家納経が厳島神社に奉納されたのは1164年。

覚え方は「人々(11)無視(64)する平家納経」です。

厳島神社(いつくしまじんじゃ)
厳島神社(いつくしまじんじゃ)

広島県にある神社。平清盛が整備する以前から存在するが、平清盛が厚く崇敬し、大規模な社殿を整えた。

『平家納経』は厳島神社に奉納された。

ユネスコの世界文化遺産に登録されている。

参考
国宝・世界遺産 嚴島神社 【公式サイト】


宋(そう)
宋(そう)

960年 - 1279年

10世紀後半に中国を統一した王朝。

開封(かいほう)
開封(かいほう)

宋の首都。


日宋貿易(にっそうぼうえき)
日宋貿易(にっそうぼうえき)

平清盛が中国と行った貿易。

遣唐使が停止(894年)されて以来の日中交渉。

また、清盛は貿易のための港を現在の神戸市に作った。

宋銭や陶磁器が輸入された。

日本からは金などを輸出した。

博多(はかた)
博多(はかた)

日宋貿易の交易の担い手となったのは博多の商人。


宋銭(そうせん)
宋銭(そうせん)

宋のお金。平清盛は日宋貿易を振興して宋から大量の宋銭を輸入し、平時政権の財政基盤にしようとした。だが、当時の日本は絹を財政基盤としていたので、反発があった。しかし、宋銭の便利さに押され、市場にも広く宋銭が流通するようになり、鎌倉時代には幕府も朝廷も公式に宋銭の使用を認めた。

金(きん)
金(きん)

日宋貿易で日本が輸出したものとして金がある。

これは、のちにマルコ=ポーロがが語った「黄金の国」という日本のイメージに繋がる。


大輪田泊(おおわだのとまり)
大輪田泊(おおわだのとまり)

摂津にあった港。現在の神戸港の一部。

日宋貿易のために修築された。

平清盛は宋船が直接京の近くに来航できるように、摂津の大輪田泊をはじめとする瀬戸内海の港湾施設を整備していった。

日宋貿易や日明貿易で栄えたが、室町時代後期の応仁の乱を機に衰退した。

大輪田泊の場所(おおわだのとまりのばしょ)
大輪田泊の場所(おおわだのとまりのばしょ)

兵庫県神戸市兵庫区あたり。


摂津(せっつ)
摂津(せっつ)

大輪田泊があった国。

朱子学(しゅしがく)
朱子学(しゅしがく)

この頃の中国で起こった、儒学をもとにした新しい学問。


高倉天皇(たかくらてんのう)
高倉天皇(たかくらてんのう)

1161年 - 1181年

第80代天皇(在位:1168年 - 1180年)。

平清盛は娘を高倉天皇の中宮(天皇の妻)とし、その子安徳天皇を即位させた。

伴大納言絵巻(ばんだいなごんえまき)
伴大納言絵巻(ばんだいなごんえまき)

1170年頃制作。

応天門の変を題材とした絵巻。


法然(ほうねん)
法然(ほうねん)

1133年 - 1212年

僧。

『往生要集』に触発され、京都の各地で活動し、庶民の教化に努めた。

1175年に浄土宗を開いた。

知恩院で人生の多くを過ごす。

1198年に『選択本願念仏集』を著す。

参考
法然上人の生涯《誕生~開教まで》 | 浄土宗【公式WEBサイト】

浄土宗(じょうどしゅう)
浄土宗(じょうどしゅう)

法然を宗祖とする鎌倉仏教の一つ。

1175年が立教開宗の年とされる。

参考
浄土宗【公式サイト】| 法然上人の「心」を世界へ


知恩院(ちおんいん)
知恩院(ちおんいん)

法然が人生の多くを過ごした寺院。

浄土宗の総本山。

参考
浄土宗総本山 知恩院

鹿ヶ谷の陰謀(ししがたにのいんぼう)
鹿ヶ谷の陰謀(ししがたにのいんぼう)

1177年

後白河の近臣の子と白山神社宗徒との間で荘園整理に関する対立が起こり、白山神社の本社である日吉神社と延暦寺宗徒が朝廷に強訴したが、平清盛が延暦寺を抑えるのに消極的だったため、不満を抱いた後白河の近臣らが平家打倒の謀議を巡らした事件。

発覚後、謀議を行ったとされる者たちは処罰された。


俊寛(しゅんかん)
俊寛(しゅんかん)

1143年 - 1179年

真言宗の僧。

鹿ヶ谷の陰謀に関わったとして鬼界ヶ島に配流された。

鬼界ヶ島(きかいがしま)
鬼界ヶ島(きかいがしま)

現在の硫黄島。


平清盛が後白河上皇を幽閉する(たいらのきよもりがごしらかわじょうこうをゆうへいする)
平清盛が後白河上皇を幽閉する(たいらのきよもりがごしらかわじょうこうをゆうへいする)

平清盛は鹿ヶ谷の陰謀事件があった後の1179年、後白河上皇を幽閉して朝廷の実権を握った。

源頼政(みなもとのよりまさ)
源頼政(みなもとのよりまさ)

1104年 - 1180年

武将。公卿。歌人。

平時政権下で源氏の長老として中央政界に留まったが、平家の専横に不満が高まる中、以仁王と結んで挙兵を計画し、計画が露見して準備不足のまま挙兵を余儀なくされ敗れた。


安徳天皇(あんとくてんのう)
安徳天皇(あんとくてんのう)

1178年 - 1185年

第81代天皇(在位:1180年 - 1185年)。

平清盛は娘を高倉天皇の中宮(天皇の妻)とし、その子安徳天皇を即位させた。

源頼朝(みなもとのよりとも)
源頼朝(みなもとのよりとも)

1147年 - 1199年

源義朝の子。

1180年の8月に挙兵し、10月に相模国鎌倉に入り、11月に侍所を設置し、別当に和田義盛を任じた。


侍所(さむらいどころ)
侍所(さむらいどころ)

1180年

11月に源頼朝が設置。

鎌倉幕府において軍事・警察を担った組織。

別当(べっとう)
別当(べっとう)

侍所の長官のこと。


和田義盛(わだよしもり)
和田義盛(わだよしもり)

1147年 - 1213年

1180年に侍所の初代別当となる。

養和の大飢饉(ようわのだいききん)
養和の大飢饉(ようわのだいききん)

1181年

京都・畿内が深刻な飢饉にみまわれた。

『方丈記』にもその時のことが書かれている。


南都焼き討ち(なんとやきうち)
南都焼き討ち(なんとやきうち)

1181年

平氏政権に反攻的な寺社勢力を討伐するため、平氏の軍が東大寺・興福寺など奈良(南都)の仏教寺院を焼き討ちにした事件。

重源(ちょうげん)
重源(ちょうげん)

1121年 - 1206年

日本の僧。

南都焼き討ちにより焼失した東大寺の再建を主導した。


陳和卿(ちんなけい)
陳和卿(ちんなけい)

?年 - ?年

東大寺の再建にあたり登用された宋の工人。

倶利伽羅峠の戦い(くりからとうげのたたかい)
倶利伽羅峠の戦い(くりからとうげのたたかい)

1183年

源義仲と平家軍との越中での戦い。

義仲は平氏の追討軍をおおいに破り、頼朝に先んじて上洛を果たした。

平家はこの戦いで兵力のほとんどを失い、都落ちのきっかけとなった。


源義仲(みなもとのよしなか)
源義仲(みなもとのよしなか)

1154年 - 1184年

源氏一族の武将。

平氏の大軍を破って入京するが、源頼朝が送った軍勢に敗れた。

寿永二年十月宣旨(じゅえいにねんじゅうがつせんじ)
寿永二年十月宣旨(じゅえいにねんじゅうがつせんじ)

1183年

10月に朝廷が出した宣旨。

源頼朝の東海・東山の両道(東国)の支配権を認めた。

この時源頼朝は北陸道に属する庄園・国衙領も望んだが、朝廷が源義仲を恐れて認められなかった。


平家没官領(へいけもっかんりょう)
平家没官領(へいけもっかんりょう)

1183年平家の都落ちに伴い、朝廷が平氏から没収した荘園。

その後、源頼朝は後白河上皇の信用を得てこの荘園を御家人たちに分与した。

桛田荘(かせだのしょう)
桛田荘(かせだのしょう)

紀伊国にある荘園。

12世紀後半に後白河上皇の御願寺である蓮華王院の所領となり、その後、神護寺の再興に奔走した文覚の要請で上皇から神護寺に寄進された。


桛田荘は紀伊国にある(かせだのしょうはきいのくににある)
桛田荘は紀伊国にある(かせだのしょうはきいのくににある)

桛田荘は紀伊国にあった。

蓮華王院(れんげおういん)
蓮華王院(れんげおういん)

後白河上皇の御願寺。

三十三間堂として知られる。

桛田荘は一時蓮華王院の所領となっていた。

参考
蓮華王院 三十三間堂


神護寺(じんごじ)
神護寺(じんごじ)

神護寺の再興に奔走した僧の文覚の強い要請により後白河上皇から神護寺に桛田荘が寄進された。

参考
弘法大師霊場 遺迹本山 高雄山神護寺ホームページ

桛田荘絵図(かせだのしょうえず)
桛田荘絵図(かせだのしょうえず)

神護寺には立券の際に作成されたと思われる桛田荘絵図が伝来しており、荘園の境界を示す牓示が描かれている。


問注所(もんちゅうじょ)
問注所(もんちゅうじょ)

1184年

源頼朝が設置した訴訟事務を所管する機関。

壇ノ浦の戦い(だんのうらのたたかい)
壇ノ浦の戦い(だんのうらのたたかい)

1185年

源氏が平氏を滅ぼした戦い。


源義経(みなもとのよしつね)
源義経(みなもとのよしつね)

1159年 - 1189年

武将。源頼朝の異母弟。

壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼした。後に頼朝と対立し、陸奥国で殺害された。

西行(さいぎょう)
西行(さいぎょう)

1118年 - 1190年

武士。僧侶。歌人。

歌集に「山家集」がある。